田端で機関車ウォッチング [ちょっとおでかけ鉄]

 数日前、仕事の打ち合わせで久しぶりに「上京」…いや、ほんとに都県境を越えて出かけることが、めっきり少なくなってしまっているのです…午後の3時頃にはそれも片付き、山手線外回りの電車に乗っておりました。このまま日暮里で京成に乗り換えれば、4時前には家に帰り着く。でもなんだか中途半端な時間だなぁ…と、ふと思いたち、田端で途中下車。この駅で降りるのは、かれこれ35年ぶりくらい…。
 山手線と京浜東北線、その東北側に広がっていた操車場を跨ぐ橋に面して建っていた駅舎は、人工地盤上の駅ビルに生まれ変わっています。駅舎を出ると、古い道路橋と並行して、遊歩道になっている橋ができていて、「田端ふれあい橋」と呼ぶらしい。ほんとにお役人って「ふれあい」が好きだこと…。
 その橋の上から見下ろすと、かつての広大な貨物操車場は、なんとも寂しいことになっています。
01田端操車場.JPG


 かつては停車しているEF65の左側に見えるマルエツのビルや、駐車場の部分まで貨物操車場だったはず…。右側にちらっと写っている高架橋は、東北新幹線のものですが、その下の日があたっている線路は標準軌なので、旧貨物操車場北側部分の敷地の大半を流用した、新幹線の留置線(東京新幹線車両センター)への入出区線。その間に挟まれた6線ほどの線路が、貨物列車が行き来する操車場の名残りの部分。いまは「田端信号場駅」と呼ばれているそうです。

よろしければ続きをどうぞ。


「春まつり号」走る [ご近所鉄(京成電車など)]

ご無沙汰しております。

 今年に入り、ブログの更新も滞りがち…というか、更新ストップ既に50日を超え、3月は一度も更新しないまま、明日からはもう4月であります。
 おかげさまで、仕事のピークは乗り越えたのですが、どうにも復帰のキッカケが掴めない…ネタがない…と思っておりましたら、京成&北総鉄道が格好のネタを提供してくれました。

 3月31日、今日ですが、千葉ニュータウン中央で行われる「ほくそう春まつり」にあわせ、臨時電車を運転する、というのです。しかもそれが、京成の八千代台始発、千葉ニュータウン中央行き。直線距離なら10キロ余りの区間を、はるばる京成本線を上り、高砂で折り返して北総線を千葉NTに向かうという酔狂(!?)な設定です。
 さらに車両は北総9100形C-Flyerを使い、一般特急として運転する、というのであります。
 …ということは、地元の京成八幡にも停まる、ってこと!?
01.JPG


 これは撮らないわけにはまいりますまい。

よろしければ続きをどうぞ。


ハーフカット~DD20のことなど [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 今朝がた、起きがけに畏友・higeraman氏から電話がかかってきて、開口一番「生きてるかぁ?」
 どうやらブログがもう2週間も更新されていないので、気になって電話をくれたらしい。いやぁ、仕事が立て込んじゃってて…。ご心配おかけしました。
 なんでも泰国愛好爺友の会・大阪支部長のBetween氏からも問い合わせメールがあった由。見ていただいているんだ、ありがとうございます。
 そんなわけで、泥縄的更新に着手…はいいんですが、ネタが…。

 少し前に発売になった「東南アジアを走るニッポンの廃車両」という本に、興味深いことが書かれておりました。ビルマ…おっと、今はミャンマー…には、日本の地方私鉄、とりわけ旧国鉄から三セクに移行した地方交通線で走っていた「軽快気動車」が多数譲渡され、活躍しているのは、皆さんご存知かと思います。しかし、気動車だけでなく、ディーゼル機関車=DD51も何両か海を渡り、彼の地で活躍しているらしい。
 その中に、とんでもない「魔改造」を施された機関車がいる…、なんでももともと2機関のDD51を、真ん中からすっぱりとハーフカットして、それぞれを1エンジンの機関車2両にして使っている、というのです。
 なんていうことをするんだ!

 ここで「これがその写真です」とさらっと出せればカッコイイんですが…残念ながら、彼の国には足を踏み入れたことのない私。隣の国の三角のビザスタンプなら、一杯コレクションしているんですけどね~。

 だが、待てよ。DD51のハーフカット版なら、日本にもいたじゃないか。そう、これがその機関車、DD20形です。
01DD201_4002田端.jpg

よろしければ続きをどうぞ。


昭和38年冬、新宿ルミネ前 [昔鉄(フジペットシリーズ)]

 今回はいきなり拡大写真から。どこかの地方都市のような街並み、2階建ての家屋が立ち並んでいます。「ハトヤ時計店」の隣は「トリスバー」、柳原良平画伯描くアンクルトリスのテレビCM…ウィスキーを流し込むたび、首から上が「赤く」染まっていく(モノクロTVなのに、ネ…がさかんに流れていた頃でしょうか。
 併用軌道なのか、踏切なのか、道路を横切る線路は雨に濡れています。架線は路面電車にありがちな直接吊架ではなく、郊外電車のようなシンプルカテナリー…。
01part.jpg


 さて、ここはドコでしょう…って、右隅にちょっとだけ写ってる電車が、あまりにも特徴的なのでもうお分かりですね…っていうか、タイトルでネタをバラしてるし(笑)。

 あざとい導入ですみません。
 ハイ、これが写真の全体像です。幹線道路の甲州街道上を走ってきた京王電車…いちおうセンターリザベーションで、車道とは分離していたようですが…が、新宿駅南口の国鉄線路を跨ぐ陸橋の手前で、左に急カーブをきり、地上にあった京王線新宿駅に進入しようとしているところです。
01full.jpg

よろしければ続きをどうぞ。


貨物列車を待ちながら~新金線と京成電車 [ご近所鉄(京成電車など)]

 先週はモノサクで、久しぶり(ン十年ぶり)の国…もといJRの線路際を楽しんだのですが、帰ってからなんとなく食い足りなさが残っている。出かける前は、撮れればいいなぁ~、なんて謙虚に構えていたはずの「鹿島貨物」を案の定撮り逃がしてしまった(シャッターは押してるんですが)のがその理由。どんな餌にも食らいつく「ダボハゼ鉄」気質、久しぶりに見た国鉄型電機、その逃したサカナ、じゃない餌があきらめきれないようで…。
 運休が多い貨物の撮影が難しいのは百も承知…ネットでググれば、貨物のダイヤは見つかるのですが、調べ方が悪いのか、あるいはダイヤそのものが変わっていないのか、2年前の2010年3月改正のまま。幸い「鹿島貨物」は総武線を走っているわけだから、地元の本八幡駅で待っていれば、大雑把なダイヤは掴めるのでしょうが、この寒空に殺風景(あえて言う)な高架駅で長時間待っているのもイヤだなぁ…なにしろ年をとると堪え性がなくなっていく(横着)。

 そうだ、いいこと考えたっ。いつ来るかわからない貨物列車を、ただじっと待っているんじゃなく、他のことをしていりゃぁいいんだ…ってヒラメキに身を任せ、やってきたのが、こちら、京成高砂の駅です。
01.JPG


 スカイライナーの向かう先には中川放水路の鉄橋。その手前、川の土手にそって、JRの金町と新小岩を結ぶ新金貨物線が走っています。「鹿島貨物」は武蔵野線から常磐線に入り、金町からこの新金線を抜けて新小岩、そこで方向転換して総武線を下っていく、らしい。なので、この辺りで総武線に入る前の「鹿島貨物」を待ちかまえ、さらにその間京成電車を撮っていれば一粒で二度美味しい、鉄壁のリャンメン待ち作戦、というわけです。

よろしければ続きをどうぞ。


モノサク旧線幻視行 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 総武本線は物井を過ぎると左側に迫る丘陵の裾を回りこみ、やがて田園地帯に躍り出る。下り電車の左側の車窓にも広い田んぼが広がりはじめ、加速を続ける電車が右に大きなカーブを描きだす頃、北の方角に向けて低い築堤らしきものがが伸びていくのに気づくかも知れない。だが時速120キロで駆け抜ける特急列車からその姿を捉えることができるのはほんの一瞬で、車窓から徐々に遠ざかり、田園地帯のとらえどころのない風景の中に消えて行くその「築堤」の上を、かつて蒸気機関車や気動車が走っていたことを想像することなど至難なのだろう。(写真:01)
01分岐A地点NEX.JPG


 昭和43年(1968年)3月の総武・成田線、千葉-成田間の電化に伴い消えていった物井-佐倉間の旧線。モノサクデビューの後編は、その旧線の面影をたどりつつ、45年前のモノサク風景を懐かしんでみたいと思います。今回は文体も少しばかり「はぁどぼぃづどだど([コピーライト]内藤陳)」。

よろしければ続きをどうぞ。


還暦爺鉄「モノサク」デビュー! [ちょっとおでかけ鉄]

 表題の「モノサク」、撮り鉄のみなさんにはいまさら…でありますが、いちおう解説いたしますと、総武本線・物井-佐倉間、略してモノサク。超有名な鉄道撮影地、ということになっております。なんで有名か…というのは、追々述べるとして、私の地元からもさほど遠くないこの地に、デビューして参りました。
 じつは物井-佐倉の間では、40年以上前、ずいぶんと写真を撮ったことがあります。ただ、その頃は「モノサク」なんて言葉はなかったし、なにより今「モノサク」として名を知られている場所は、私が汽車を追っかけていた線路とは若干ズレている…。
 昭和43年(1968年)3月、総武線千葉-成田線成田の間の電化が完成しました。そのときに、物井と佐倉の間は、ルートが変わり、複線電化の新線に付け替えられたんですね。古い線路は廃止となり、新しい線路はやがて鉄道ファンの間で「名撮影地」として名をはせることになります。私は、というと、新線開通以来この地とはご無沙汰…つまり…開通から44年目にして、初めての「新線区間」の撮影に出かけた、というわけなんです。

 さてさて、ふだんは地元・市川市からめったに外に出たことのない愛車を駆って、東関東自動車道四街道インターを降ります。いきなり訳のわからない道に迷い込んでしまった私(カーナビがないのです…)、気がつけば、総武本線を見下ろす小高い丘の上におりました。

 下り電車に対して俯瞰のアウトカーブ、その先は勾配の直線が続いて、丘に突き当たる手前で右カーブして千葉方向の谷あいに向かっている。光線状態は半逆光ですが…いい場所じゃない…。折しも下りの成田エクスプレスが、軽快に坂を下って行きました。
01お立ち台?.JPG


 「モノサク」という超有名地に隣接しているとはいえ、あんまりこの場所での写真をみかけたことがない。穴場発見! と思って、帰ってから写真を大きくしてみたら、あらま、手前に無粋な電線が何本も写ってる。現場で気づけよ! って話なんですが…。

 千葉での終焉も間近い(!?)211系。後追いですが、私としては「変態二丁パンタ」側を撮りたいので、これでいいのだ。
02_211系.JPG


よろしければ続きをどうぞ。


雪の日は二度美味しい~京成八幡 [ご近所鉄(京成電車など)]

 昨晩は夜になって降り始めた雪に、ついついコーフンして深夜の京成八幡界隈を徘徊。まったく還暦超えして久しいのになにやってんだか…でありますが、夜が明ければもうひとつのお楽しみ。
 列島南岸の低気圧が通過した後は、青空が広がる…というのが通例。雪化粧した街並みと、その中を走り抜ける京成電車、3300形が撮れればさらに美味しいなぁ…なぁんてことを考えながら布団にくるまった昨晩。そして今朝。

 雨戸を開ければ、雪は未明にやんだようで、空はすっきりと晴れ渡っている。確かブログを始めた一年前にも、こんな状況下、ご近所の京成電車を記事にしておりますが、その時と今と違うのは「京成4連の運用」を押さえてる、ということ。

 いえ、そんな力みかえることじゃないんですが、マイフェイバリットの京成3300形、いまや4両編成が8本残るだけ…の中で、とりわけ赤電塗色の3324Fは雪景色に映えそうだよなぁ…撮りたいなぁ…と思っていたわけです。共通運用となる3500形未更新車4編成と合わせ、12編成ある4連組の中で、午前中に地元京成八幡を通るのは6編成。その中に「赤電」が含まれているかは、出たとこの運勝負…なのですが、果たして首尾よく「雪景色の赤電」をゲット出来ますやいなや…。

「午前中に地元京成八幡を通るのは6編成」の4連編成を、確実に捉えるためには、午前8時前後に相次いで下っていく「53」「59」運用を押さえなければなりません。この2本はラッシュの逆方向の下りに運用され、そのまま宗吾の車庫に入庫したあとは今日のお役目御免、の運用なので、これに目的の車両が充当されていた場合、一日待っても空振りとなります。
 なので、7時半には家を出て、アイスバーンと化して滑りまくる八幡の路地を線路際へと…。凍りついた線路際の道を、通勤客が急ぎ足で駅へと向かっています。
01_3019F.JPG


よろしければ続きをどうぞ。


待望の雪景色~京成八幡 [ご近所鉄(京成電車など)]

 当地では、先週金曜日からずっと冷たい雨が降り続き、ここまで寒いならいっそ雪になればいいのに…なんて思う気持ちとは裏腹に、今日も一日冷たい雨が降る。
 仕事を終えて風呂に入り、夕飯…の前に、降雪の可能性もあり、との天気予報の御託宣が気になり外を覗いてみると、おっ、雪が降っている。
 かねてから、もし夜になって雪が降る日があったなら是非とも試してみたいことがあった。かなり前だけど、鉄道雑誌のフォトコンで入賞した作品。東急線だったかな? 踏切に隣接した駅を発車する電車、空からは白い雪、それが水銀灯の照明に照らされて、まるで真昼のように鮮やかに捉えられている…すいません、本屋での立ち読みなもので、よくは覚えてないんですが…。
 似たシチュエーションなら我が家の近くにもあります。これは出かけて行かないテはないゾ…。
 「湯冷めするわよ」と呆れ返る家人を無視して、ヒートテックの上下で完全防備を整えて、いざ出陣です。ものの50メートルも歩かぬうち、普段履きのウォーキングシューズには水が沁み込んできて、しまった、長靴にすれば良かった…なんて思うも後戻りはききません。一路京成八幡駅の踏切へ。
01.JPG


 これが今から一時間半ほど前のこと。以下ろくすっぽ写真のセレクトもしておりませんが、ブログならではの速報ネタということで、撮影した写真を御覧くださいませ。


よろしければ続きをどうぞ。


複線で、非電化~昭和42年四街道-物井 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 週末は「どっか」に行くぞ! どっかといっても、具体的には全くノープランなんだけど、気合いだけは十分に仕事を前倒しで片付けて、迎えた週末は3日連続の雨模様。東京の西郊は雪が積もったようで、雪景色となればお出かけ気分も高まるというものだけど、当地ではたまにみぞれが混じりはするものの、雪景色には程遠く、ただひたすら冷たい雨が降るばかり。こんな天気では、ご近所の京成電車すら撮りに行く気分になれず、陰々滅々と家篭もり…。
 そんなわけで今回も昔ネタでお茶を濁させて頂きます^_^;

 昭和42年の1月も終わる頃…例によってネガにも日付の記録がないいい加減さなんですが、前回記事の青森シリーズのネガの続きに写っているんで、そう大きくは違わないでしょう。総武線で千葉から3(2)つ目の四街道駅です。どんよりと曇った空から、ときおり霧雨のような冷たい雨が落ちてくるお天気。キハ17+18+17とキレイな編成美(?)の千葉行き上りDCが停まってます。車高も車幅も違ういろんな車両を混結するのが当たり前の千葉のDC列車にしては珍しい(!?)。
01四街道駅.jpg


 看板の影に隠れた駅名標識。「ものい」はいいのですが、千葉方向が都賀の「つ」ではなく、「ひ」に見える。東千葉!?
01-02駅名標.jpg


 今は千葉モノレールとの乗換駅として発展している都賀駅は、この頃はまだ「仮乗降場」だったんですね。正式に駅になったのは、昭和43年3月の成田電化開業のときからでした。

よろしければ続きをどうぞ。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。