総武沿線各駅停車今昔対比写真~03亀戸駅 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 東武亀戸線に思わぬ寄り道をしてしまいましたが、昭和40年頃の亀戸に戻ってきました。総武線ホームに隣接する小名木川貨物線の列車を写しています。場所は平井寄りの東口。手前の線路は総武の上り線。小名木川方面から新小岩に向かう貨物列車はワム60000形で統一されたきれいな編成。小名木川の先、砂町にあった汽車会社で新造された貨車でしょうか。はるか先頭部分ではD51が総武上り線を平面交差し、下り線に流入しようとしています。(1)
01小名木川貨物.jpg

(2)こちらは同じような位置から撮影した現在の小名木川貨物線です。総武快速線開通と共に平面交差を解消するため高々架化され、緩行線、快速線を一気に跨ぎ越して両線の北側に移り、単線腹付けする形で新小岩操車場まで専用線が作られました。
02亀戸駅ホームから.JPG
 亀戸といえば、亀戸天神(水神に非ず)、亀戸餃子、最近はやりの亀戸ホルモン、ショッピングセンターのアトレ亀戸…。いずれも錦糸町より、明治通りに面した北口に所在しています。かつての都営トロリーバス101/103系統も北口に発着していました。街の中心は北口、といって差し支えないと思うのですが、しかしそのあたりの写真が全くない…。トロバスの写真の一枚も撮っておけよ!と40数年前の自分にダメ出ししたいところです。
 やむを得ず、マイナーな東口を降りてみます。改札を出ても、並行する京葉道路ではなく、一本裏道に面していて、寂しげなたたずまいです。
(3)見上げれば土盛り高架の総武複々線の上を跨ぎ越す小名木川貨物線の高々架が圧倒的な存在感です。いまや列車はほとんど走ってないんですけどね…。
03小名木川線橋脚.JPG

(4)地下道のような通路をくぐり総武線の北側に出ると、そこには東武亀戸線が地平を走っています。東武亀戸線の亀戸駅は、行き止まりの一面二線のこじんまりとしたホーム。正面に駅ビル・アトレ亀戸が建っていますが、昔はホームがもう少し奥まで突っ込んでいたような気も…。
05東武亀戸駅02.JPG

(5)実はこの地平スペースに、かつて国鉄の貨物扱所も存在していました。右側に見える手前の間口が狭く、奥が広がった変わった形をしたマンション、これがかつての貨物扱い所の跡地です。左に見える総武線の土盛り高架と、地平を連絡線が結んでおり、ハチロクがその坂を降りてきては東武の構内なのか、国鉄の構内なのかよくわからない場所で入換に励んでいたものです。
04東武亀戸駅.JPG

 東武亀戸線が亀戸水神に向けて急カーブを切った少し先から、総武線も左に大きくカーブを描いて平井に向かいます。
(6)やっと古い写真が出てきました。昭和40年夏、そのカーブに差し掛かる両国初の臨時準急「汐風」。普通車に冷房など考えられなかった頃、真夏の海水浴客で混雑しているだろう列車の窓は全開です。
 右側に地平の貨物扱所を結ぶ坂路がみえていますね。
06汐風.jpg

(7)坂路の先を拡大してみると、
07連絡線.jpg
8620の牽く貨物列車が待機しているのがかすかにわかります。これから入換にかかるんでしょうか?
(8)もう少し平井に寄ったところで、クモハ41を先頭とする総武線各駅停車・船橋行き。3両目まで3ドア車が編成されています。このころには山手線から玉突きで101系の投入も始まっていましたが、まだこんな編成が残っていたんですね。
08クモハ41.jpg

(9)同じ場所で、C58396が牽引する房総西線直通の夏期臨です。同機は当時千葉局管内唯一の船底テンダのC58でした。
09C58396.jpg

(10)現在は線路回りのフェンスもがっちりと完備され、ずけずけと線路敷地内に入り込んで写真を撮るなど思いも寄りません。所在なく歩いていますと、高架と地平を結んでいた連絡線の遺構らしきものを発見しました。E217形電車の渡るガードの手前、使われなくなった橋脚部分が一段低くなっているのがおわかりでしょうか。
10旧橋脚.JPG


 なんだか肝心な写真が少なくて、中途半端な記事になってしまいました。もう少し、いろいろ撮っていたような気がするんですが…、写真が見つかり次第、アップさせていただくということで、今宵はご勘弁を願います。

 今週から仕事が忙しくなるので、その前に一度やってみたかった「お団子を一週間並べる」(毎日記事をアップする)にトライしてみたのですが、思いの外難事でした。写真や文章の拙さもありますが、毎日毎日ネタを考え、写真を選び…という作業はやはり元来ものぐさな私には荷が重いようです。毎日更新を続けていらっしゃるブロガーの方たちというのは、凄いなぁと改めて実感いたしました。
 勝手ながらまたもとの不定期更新に戻らせていただきますが、今後とも宜しくお付き合いの程をお願いいたします…。
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manamana

クモハ41かっこいい。
by manamana (2011-03-07 06:29) 

maipenrai

manamanaさん
 8連時代の総武線は基本6両プラス千葉方に付属2両という編成でした。クモハ41は付属編成の千葉方に組まれていることが多かったです。半流スタイル、いまみても惚れ惚れしますね。

Cedarさん
ほりけんさん
あおたけさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-03-07 19:11) 

風旅記

こんばんは。はじめまして。
亀戸駅に貨物の扱所があったとは知りませんでした。地平に降りた線路は、東武亀戸線を平面で跨いでいたのでしょうか。
小名木川駅も今では既になく、大きなショッピングモールとマンションに変わっています。
越中島貨物線が機能していた時代は、さぞかし賑やかな地域だったのだろうと想像しています。
2両編成がのんびりと行き交う亀戸線だけは、往時も長閑な雰囲気だったのでしょうか。
他の記事も楽しませて頂きます。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc
by 風旅記 (2015-03-30 19:52) 

shizue1111

https://www.youtube.com/watch?v=II-SjGoeC78
亀戸駅の貨物扱所辺りが映っている動画です。
1963年冬頃の撮影、1964年2月劇場公開の日活映画「美しい十代」の1シーンです。
最初に映っているのは東武亀戸線の踏切、次に映るのも同じく東武亀戸線の踏切、
カメラの向きが変わって左上には国鉄亀戸駅のホームの屋根?が映っていますね。
そして亀戸線と並行してSLが走行して来ます。
この位置関係だと、どう考えても東武亀戸線を平面で跨いでから総武線に合流したのでしょうね。
最初に映る踏切の辺り、総武線の線路と亀戸線の線路の中間位の高さ位置に、
総武線に合流する為の坂(線路)があるように見えますね。
by shizue1111 (2019-09-06 17:59) 

shizue1111

https://www.youtube.com/watch?v=6BZRl645sjE
同じ映画の錦糸町駅界隈が映っている動画です。
錦糸町駅前、東京楽天地、都電錦糸堀車庫等が映っています。
by shizue1111 (2019-09-06 18:18) 

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