民衆駅~国鉄千葉駅昭和38年 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 今年の1月の終わりごろでしたか、新聞の千葉版にJR千葉駅の買い再開発計画に伴い、駅ビル(ペリエ1)を取り壊して建て替え、新たに橋上駅として再整備するとの記事が掲載されていました。
 駅ビルは既に閉鎖されており、おそらく解体工事も始まっているんでしょうね。
00C578.jpg


 取り壊されることになった駅ビルは、昭和38年4月28日に「民衆駅」として現在の場所に開業したもので、その前日まで、国鉄千葉駅は今の場所から800メートルほど離れた、現在の東千葉駅の手前よりにありました。 西千葉駅を発車した総武線電車は、千葉駅の手前で大きく左にカーブを切ります。進行方向右手には、千葉機関区の扇形庫が垣間見えると、やがて右手から房総線の線路が寄り添うように合流し、電車は千葉駅の3番線に到着します。
 昭和38年当時、電化区間はここまで。DC準急や一部の客車列車は両国や新宿から直通していましたが、ほとんどの場合、この先は千葉始発のディーゼル列車や、蒸気機関車が牽引する客車列車に乗り換えて佐倉、銚子、成田方面、あるいは木更津、館山、安房鴨川方面に向かうことになります。線形は佐倉方面には直通の形ですが、房総線方面には逆方向にスイッチバックして向かいます。

 貨物扱い線や客留線があって、それなりに広い構内を持つ千葉駅でしたが、客扱いホームとなると、3面5線だけ。そのうち1線は総武線電車の専用ホームですから、残る4線で総武線、成田線、房総東線(外房線)、房総西線(内房線)の4方向の列車の着発を捌いていたことになりますね。

 鉄道研究家の佐藤信之様のブログ「鉄道と旅と温泉と・・」2006年9月19日の記事に、当時の国鉄千葉駅の配線図が掲載されています。
http://raillinks.at.webry.info/200609/article_4.html
 なんとも貴重な資料ですので、佐藤様のご承諾を得て紹介させていただきます。

 そんな狭隘な旧千葉駅の中でも、海側の2線(機回し線を含むと3線)は頭端式のホームになっていました。昭和38年4月27日、旧千葉駅最後の日の頭端式ホーム、0番/1番線の情景です。
01旧千葉駅0-1番線.jpg


 0番線は房総東線、1番線は房総西線の専用ホームとして使われていたようですね。
02旧千葉駅0番線.jpg


 さて、1)駅自体が狭隘、2)駅前広場も狭い、3)房総線方面へスイッチバックする運転上の不便、4)地平を走る房総線の立体化。まだ理由はあるかもしれませんが、そうした諸問題を一気に解決するため、国鉄千葉駅を西千葉よりに移転することになりました。房総線と総武線に挟まれる位置にあった千葉機関区を廃止し、その跡地を中心に新駅が駅ビル併設の「民衆駅」として建設されたわけです。
国鉄千葉駅移転概念図.jpg


 中学に通い始めたばかりの私は、初めての「お泊り」でこの旧駅の最後と、新駅の開業を見に行ったわけです。いや、実は叔父の家が新駅の近くにあり、泊めてもらっただけなんですが…。

 千葉-本千葉間は地平線でしたが、新駅開業後は本千葉駅手前まで高架線となります。頭端ホームで撮影した後、その切替地点を見に行ったらしい。
 煙突がちょんぎれたなんともお恥ずかしい構図ですが、C57160(岩)が単機で切り替え地点を通過します。右側には複線になった新しい高架線が伸びています。
03C57160切替地点.jpg

 千葉機関区廃止後、千葉駅を出入りする蒸気機関車の方向転換は、蘇我まで行ってやっていたんですね。一部、西千葉の千葉気動車区にあった転車台を使う運用もありました。

 同じ地点を通過する房総線DC。
04キハ17他旧切替地点.jpg


 千葉駅近くまで戻ってきたときは、すっかり日も暮れかけて…、さきほどのC57160に牽かれた房総西線の客車列車が旧千葉駅を後にしていきます。
05C57房総西線レ.jpg


 この後も何枚か写真を撮ったのですが、もはや周囲は真っ暗、ネガの保存状態も悪くご覧のありさま。。。背後に明日から列車が走る高架線が見えていますが…。
準急外房千葉旧線.jpg


 その晩は叔父の家に泊めてもらい、翌朝始発列車の時間に合わせて新駅に向かいました。ところが…朝早かったせいもあるんでしょうが、駅は閑散としていて、これといった飾り付けもない。
06新駅6番線キハ35.jpg

 ファンの姿も全く見かけず、窓口でナンバー「0001」の入場券をあっさり入手したものの、なんだか拍子抜けです。開業式とかなかったのかなぁ。私もこの後、暗いうちに上り電車で家に戻ったようです。
07新駅8番線キハ35.jpg


 そんな具合に、さりげなく開業した「千葉民衆駅」。開業当日ではありませんが、もう少し写真をお目にかけます。おそらく同じ昭和38年の夏に撮影したもの。

 総武、成田線専用ホームとなった7番線に停車中のC58289が牽く客車列車。背後が後に「ペリエ」となった駅ビルですね。
08C58289.jpg


 このとき長声一声が聞こえ…。高架となった房総線を下り客車列車が出発していきました。
09新駅房総線客レ.jpg


 懐かしいのでバスの部分を拡大。右側2台が東洋バス、真ん中2台が小湊バス、左側が京成バスですね。車体のスタイルはだいぶ変わったけど、小湊と京成の2社は塗色パターンがいまも基本変わっていないというのは、ある意味凄いことですね。
10バス拡大.jpg


 駅ビルの屋上に登ってみました。金網越しに、やはり下り房総西線客車列車の出発シーンです。そごうも千葉モノレールももちろんまだありません。
11俯瞰房総線客レ.jpg


 拡大してみると、列車の右側の地平に寄り添うように京成の線路が見えます。物議を醸した「国鉄千葉駅前」駅ができるのは、まだずっと後のことですね。
12京成千葉方面拡大.jpg


 こちらは総武/成田線側。金網にしっかり遮られてしまいましたが、機関車のあるあたりから左側が旧千葉駅です。
13俯瞰総武線客レ.jpg


 開業から数ヶ月たっているのに、駅前はまだ未舗装。ようやく開発が始まったばかりの千葉駅前の光景でした。

 
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gardenwalker

こんばんは
貴重な写真や資料ですね
まさに激動の高度成長を支えた千葉駅だったのですね!
by gardenwalker (2011-04-26 22:44) 

maipenrai

gardenwalkerさん
 近代的な駅ビルや高架線、画期的な線路配置など、子供心にびっくりしたものですが、その後は複々線化や遠距離直通列車の激増など、時代に適応しきれない部分も出てきたようですね。この度の大改装で、橋上駅舎化されるようですが…。

皆様
  niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-04-27 17:02) 

京葉帝都

はじめまして。移転前後の千葉駅の写真に見入ってしまいました。高架駅とSLの組み合わせには驚きました。頻繁に利用してきた千葉駅の変遷は私なりに理解して、痕跡を辿ったこともありました。千葉機関区や旧千葉駅の跡地には記念碑が建っています。県庁と現千葉中央駅の京成ローザが随分目立っていましたね。
by 京葉帝都 (2011-04-29 23:25) 

maipenrai

京葉帝都さん
 はじめまして。HNからして千葉にゆかりのある方とは思っておりました。あの屋根が円弧を描いている建物、「京成ローザ」でよかったんでしょうか。どうも「京成ローザ」は映画館の名前? などと混乱していたもので…。あの建物の地平部分は京成のバスターミナルになっていましたね。
 真新しい(しかも架線が張られていない)ホームとSLのミスマッチ風景は結構大好きで、電化までの短い間、なんども通っていました。
by maipenrai (2011-04-30 00:23) 

YK

こんにちは
良いお写真を拝見しました。
昔の千葉駅の写真てなかなか無いですよね。
東京方面より来ると千葉から先はディーゼルと恐らく機関車の煙なんかで、きな臭い感じがしたのを覚えています。こっから先はローカル線だよと言わんばかりの”駅弁売り”なんかがいていい雰囲気でしたっけ。特に夏休み期間中は南国リゾートの入り口みたいなわくわくさせる物があって好きでした。

昭和の一シーンですね。古い駅もいわゆるターミナルだったのでしょうが、東京圏が小さかった頃の設計だったのでしょうね。
終戦後の天皇陛下の地方めぐりの第一弾として、お召し列車が千葉駅に到着するシーンがYouTubeに出ていました。
これをみると旧駅0番線がピッタリ乗り降り出きるように作れられていたのが良くわかります。

”大衆駅”になったというのはそういうことだったんですね。







by YK (2011-09-08 15:29) 

作草部鎮守の森

大変に素晴らしい写真ですね。
今となっては貴重な記録です。
「鉄道ピクトリアル」2012年6月号に移転前の千葉駅に関する記事がありますね。

私は1980年ころに天台に住んでいましたが、千葉から離れた後に千葉駅の移転のことを知り、県庁所在地の駅であっても大きな変化があることにとても驚いたことがあります。
居住当時は、旧駅のあった場所に近い東千葉駅を見に行ったり、旧鉄道連隊の線路跡を歩いて遊んだりしていましたが、もっとよく観察しておけばよかったです。

by 作草部鎮守の森 (2012-04-29 12:21) 

maipenrai

作草部鎮守の森さん
 「鉄道ピクトリアル」誌、私も釣られて購入いたしました。さすが千葉の大重鎮・白土さん! と唸るような充実した記事と写真でしたね。
 写真を撮ったのは最後の日だけですが、国鉄千葉の旧駅は、父の仕事の関係でよく県庁の近くまでおつかいに遣らされていたので(当方小学生でしたが)何度も乗り降りしておりました。
 天台、作草部といえば、千葉モノレールに開業以来の新型車がデビューしたとか。ちょっと乗りに行きたいなぁ…なんて思っています。
by maipenrai (2012-05-03 18:31) 

Tosh

昭和35年から38年3月まで、国鉄房総西線で、千葉駅からお茶の水行き電車(省線電車)に乗り換えて津田沼の高校に通った。よく帰りに千葉駅で降りて駅前通りで買い物をしたので懐かしい。

この千葉駅の線路の貴重な配置図から記憶にたどってみると、昭和38年4月27日まで現在の「千葉市民会館」のところにあった「旧国鉄千葉駅」は大体以下のようだったと思います。どなたか違う点や補足が有りましたらぜひご指摘ください。

旧千葉駅ホーム
千葉駅には全部で3面のホームが有った。0番線。Ⅰ-2番線。3-4番線。

・なし  貨物ホーム・留置線?
・0番線 房総東線   (スイッチバック)
     留置線
・1番線 房総西線専用(スイッチバック)
・2番線 房総西線、東線 特急等?

・3番線 総武線 お茶ノ水方面専用〈茶色の電車〉
・4番線 総武本線成田線 銚子方面

お茶の水方面と、後ろの駅舎側に連絡通路が有った。
前のお茶の水側は木造屋根なしで、0番線から4番線、それに千葉の北市街への階段があった。後ろの駅舎側は行きどまりで、0番線と、1,2番線はホームと同じ普通の通路でつながっていた。3、4番線とは、地下通路で繋がっていた。当時は省線以外、蒸気機関車かディーゼル機関車だった。

駅舎から1,2番線へは、ホームで繋がっており、3,4番線とは地下通路で繋がっていた。駅舎は木造で屋根に三角の屋根がついていてそこが入口だった。

房総東線,西線が行きどまりで柵が有った。その先はそれは狭い駅前広場だった。現在「千葉市民会館」の前の路になっている部分。ここは今でも少し高くなっているが当時は広場は狭く。今も、川が有るが、駅前広場に行くには橋を渡り、それは急峻な坂を昇る、バスもタクシーも。
「市民会館」前の閑散としている路が旧駅前通り、車が通れないほどの混雑だったが今は閑散としている。

by Tosh (2012-09-02 17:32) 

Tosh

旧千葉駅の貴重な写真ですね。上から2番目と3番目は同じ写真で、ちょっと角度が違う者で。上から二番目の写真の手前に手柵と自転車、それに線路には車止めが写っています。

左が貨物ホーム?と0番線、右側が1番線と2番線で間に留置線がある。
手前柵のすぐ後ろが駅構内の柵があってその後ろ側が駅前広場。
左の0番線ホームと、右側の1番線と2番線ホームは、この黒い柵の手前の通路で駅舎とそれぞれ繋がっている。

3,4番線に行くには、地下通路で行く。

なお、この写真の先に見えないが、ホームの荷物エレベータの荷物を各ホームに移動する鉄構造物のさらに向こう、お茶の水側最先端に屋根の無い
跨線橋が有り、0番線から4番線まで連絡できる。ただし駅に行くにはホームの駅舎側ででなければならない。

この2番目の写真の手前ガ駅前広場で、その前〈右側〉が駅舎。右手の2番線ホームから駅舎に繋がっていたと思う。
by Tosh (2012-09-02 19:12) 

maipenrai

Toshさん
 こんばんは。コメントありがとうございます。
 旧千葉駅は歴史もあり、私の写真は新駅に切り替わる直前の一瞬のことなので、それ以前のことについては残念ながらわからないことだらけです。
 分かる範囲だけのことになりますが…。
 院内の交差点から要町を経て「千葉市民会館」に至る道路が、かつての駅前通りだったのはご指摘のとおりです。駅前からすぐに葭川(の支流?)を跨ぐ橋があるのは、当時は気づきませんでした。バスは小湊と東洋バスが駅前に来ていましたが、京成バスは京成千葉駅から16号を穴川方向に向かうバスはありましたが、国鉄駅前には入ってきていなかったと記憶しています。
 0番線の南側の貨物ホームは、小さな行き止まり式のホームでした。もっとも4番線の北側に、旧鉄道連隊の線路とも連絡していたちょっとしたヤードがあったので、貨物の取扱の主力はそちらだったのかな? と思います。

 0番線、1番線、2番線がフラットに駅本屋と繋がっていたのはそのとおりで、3/4番線には改札からすぐに地下道があり、西千葉寄りにはご指摘の跨線橋があった他、都賀よりにも構内踏切があったようです(鉄道ピクトリアル2012年6月号所収の写真)。
 2番線(4番線もですが)は、各方向に進路が繋がっており、両国方向への直通の他、総武成田線の始終着の列車も使っていましたし、両国発の三層建て(館山/安房鴨川/銚子行き)準急も、ここで分割併合をしていたと思います。
 これだけの規模で多方面の列車を捌いていたとは、びっくりしますが、当時は房総総武各方面とも1時間ヘッドの規格ダイヤだったので、なんとかなっていたのかもしれません。でもイレギュラーの列車も数多く、佐倉や蘇我から新小岩に直通するD51が牽く貨物列車など、どういう経路をとっていたのか? なんていまでも分からない謎だったりします。
by maipenrai (2012-09-02 22:04) 

Tosh

maipenrai さま さっそくコメントいただきあいがとうございます。
旧国鉄千葉駅については、薄れた記憶を繋いで、なかがどうなっていたのか図を書いて頭の中で復元していました、この配線図や写真を拝見させていただき、特に0番線、1番線の通路の写真で、自分の描いた頭の中の図面とほぼ同じ事がわかりました。ありがとうございました。

でも2番線がどうつかわれたかふめいでしたが、そうでしたか。かなりいろいろ便利につかわれたのですね、また、0番線、1番線、2番線がフラットに駅本屋と繋がっていたのですね。3/4番線には改札からすぐに地下道があったのですね。dっからあったのかは不明でした。

それから駅舎の中はどうなってたかおわかりですか?。

by Tosh (2012-09-02 22:23) 

Cedar

こ、これはすごいお写真の連続攻撃ですね!
旧千葉駅の頭端ホームや、オープンの跨線橋も懐かしいし、新駅の俯瞰~真新しい線路と旧客の対比は千葉らしいです。

駅ビルも立て替えですか~きっと墓石みたいな高層なんでしょうね。
by Cedar (2012-09-04 00:51) 

maipenrai

たった5線のホームでで国電を含む5方面の列車を捌いていたのですから、ずいぶんと活気のある駅でした。新駅では8線、いまは10線ものホームがあります。「新」新駅ですが、墓石みたいな高層ビルに加え、ホームを覆う東西連絡通路を作るそうで、旅客は納骨室状態…(´ヘ`;)
by maipenrai (2012-09-04 09:12) 

作草部鎮守の森

 「鉄道ピクトリアル」の1966年3月号(No.181、特集:房総の鉄道) にも千葉駅移転の記事があります。
 入手は難しそうですが、県立図書館ならあるかもしれません。
 
 千葉都市モノレールといえば20年ほど前に乗る機会がありましたが、自分が住んでいた町を上から見下ろしたときに、懐かしく、またなんとも不思議な気持ちになったことを思い出します。
by 作草部鎮守の森 (2014-04-20 17:27) 

地図ラーの会

素晴らしい記録ですね!楽しませていただきました。
千葉の駅前大通りの歩道がなぜこんなに広いのか、その疑問を解くために色々調べていって千葉駅移転に行き着きました。過去の写真や絵ハガキ、そして文献なども調べてきましたが、旧千葉駅も、新千葉駅も、今まで見られなかった当時の写真を拝見して大興奮しております。
示していただいた図の中で、旧房総線の痕跡を探して歩きましたが、結局は分岐した場所、合流した場所の特定までしかできませんでした。この図をもとに、再度調べてみようと思います。貴重な資料をありがとうございます。
by 地図ラーの会 (2020-09-16 10:08) 

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