総武沿線各駅停車今昔対比写真~01両国駅 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]
昔の両国駅に来ています。ネガの日付は昭和41年(1966年)6月です。
このころの両国駅は南側から御茶ノ水方向にスルーする国電ホームの1/2番線(101系が僅かに見えてます)、その北側の一段下がったところに頭端式のホームが2面(3~6番線)、その4-5番線の間には機回し線があり、さらに北側には5本の客留線、その向こうはさらに一段下がって貨物扱所があるという、広大な敷地を擁していました。
(1)写真は6番線に停車中のDC準急犬吠、おそらく後ろの方には「水郷」が併結されているはずです。客留線にはDD13が、一番右側は貨物扱所につながる坂路です。
今昔対比写真などと銘打ってしまい目下激しく後悔中の私です。ホーム撮りならいざしらず、このころは鉄道用地内に入り込んで撮影するのが当たり前。とくに咎め立てされることはなかった時代と言ってしまえばそれまでですが、今同じことをしたら大変なことになるのは明らかです。ああ、対比写真なんて言うんじゃなかった…。
(2)そんなわけで、現在問題なく撮影できる1-2番線ホームの錦糸町寄りから見た「そのあたり」の写真でお茶を濁させていただきます。手前が唯一頭端式ホームで残された3番線。現在、このホームに定期で入ってくる列車はありません。入場することじたい難しいようです。
その向こうは保線用資材の置き場、その先は総武快速線東京トンネルの開口部、正面にそびえる威容は江戸東京博物館です。
(3)「犬吠」の左に見えていた4番線で発車を待つ新小岩行きの区間貨物列車。DD13313が牽引していますが、この少し前までは新小岩機関区所属の8620の仕業でした。新小岩-両国間は各駅とも貨物の扱いがあり、38年のダイヤですが列車番号680~697の9往復もの区間貨物が設定されていました(錦糸町返しを含む)。
(4)4番線ホームから5番線に入線してきた準急外房(+内房)。真ん中の線路は機回し線です。
(5)雨が降っているので別の日の撮影と思うのですが、6番線に停車中の準急「さざなみ」館山行き。のちに内房線の電車特急に引き継がれた愛称ですが、この当時は全車座席指定、グリーン車つきの千鉄局の看板列車でした。右のDD13は千葉気動車区の所属。新小岩操車場の入換を主に行なっていた370PS×2の初期型です。
(6)後ろに回るとヘッドマークは「くろしお」。こちらは房総東線安房鴨川行き。千葉までは併結運転です。
(7)このとき、構内のはずれではこんな光景が見られました。ロッドとナンバープレートをはずされ、機番をペンキで殴り書きされたハチロク、68626号。新小岩-両国の小運転の運用を新鋭のDD13に奪われて休車中です。おそらくこのまま廃車になったのだろうな。
(8)この場所は清澄通り近く、(2)の江戸東京博物館の右側の脚のあたりでしょうか。貨物扱所もかなり広大だったことがわかります(なにしろ跡地に国技館と博物館が建っているんですからね)。
(9)現在の3番線ホームです。まれにイベント列車の発着に使用されるようですが、ふだんは人影もなくひっそりとしています。
(10)錦糸町方向からE217系の快速が東京トンネルの入口にさしかかりました。6番線の北側、客留線のあたりが、おそらくトンネルの入口になっているんでしょうね。
このときから6年後の昭和47年(1972年)には総武快速線が運行を開始しています。その2年前の1970年には両国駅の貨物扱いを廃止、とありますので、総武鉄道のターミナルとして開業した両国駅が、その面影を残している最後の時期だったのかもしれません。
02の錦糸町編前後編のあとに01をアップするという無様なことになってしまいました。ひらにご容赦を。次回は亀戸に続く、かな?
このころの両国駅は南側から御茶ノ水方向にスルーする国電ホームの1/2番線(101系が僅かに見えてます)、その北側の一段下がったところに頭端式のホームが2面(3~6番線)、その4-5番線の間には機回し線があり、さらに北側には5本の客留線、その向こうはさらに一段下がって貨物扱所があるという、広大な敷地を擁していました。
(1)写真は6番線に停車中のDC準急犬吠、おそらく後ろの方には「水郷」が併結されているはずです。客留線にはDD13が、一番右側は貨物扱所につながる坂路です。
今昔対比写真などと銘打ってしまい目下激しく後悔中の私です。ホーム撮りならいざしらず、このころは鉄道用地内に入り込んで撮影するのが当たり前。とくに咎め立てされることはなかった時代と言ってしまえばそれまでですが、今同じことをしたら大変なことになるのは明らかです。ああ、対比写真なんて言うんじゃなかった…。
(2)そんなわけで、現在問題なく撮影できる1-2番線ホームの錦糸町寄りから見た「そのあたり」の写真でお茶を濁させていただきます。手前が唯一頭端式ホームで残された3番線。現在、このホームに定期で入ってくる列車はありません。入場することじたい難しいようです。
その向こうは保線用資材の置き場、その先は総武快速線東京トンネルの開口部、正面にそびえる威容は江戸東京博物館です。
(3)「犬吠」の左に見えていた4番線で発車を待つ新小岩行きの区間貨物列車。DD13313が牽引していますが、この少し前までは新小岩機関区所属の8620の仕業でした。新小岩-両国間は各駅とも貨物の扱いがあり、38年のダイヤですが列車番号680~697の9往復もの区間貨物が設定されていました(錦糸町返しを含む)。
(4)4番線ホームから5番線に入線してきた準急外房(+内房)。真ん中の線路は機回し線です。
(5)雨が降っているので別の日の撮影と思うのですが、6番線に停車中の準急「さざなみ」館山行き。のちに内房線の電車特急に引き継がれた愛称ですが、この当時は全車座席指定、グリーン車つきの千鉄局の看板列車でした。右のDD13は千葉気動車区の所属。新小岩操車場の入換を主に行なっていた370PS×2の初期型です。
(6)後ろに回るとヘッドマークは「くろしお」。こちらは房総東線安房鴨川行き。千葉までは併結運転です。
(7)このとき、構内のはずれではこんな光景が見られました。ロッドとナンバープレートをはずされ、機番をペンキで殴り書きされたハチロク、68626号。新小岩-両国の小運転の運用を新鋭のDD13に奪われて休車中です。おそらくこのまま廃車になったのだろうな。
(8)この場所は清澄通り近く、(2)の江戸東京博物館の右側の脚のあたりでしょうか。貨物扱所もかなり広大だったことがわかります(なにしろ跡地に国技館と博物館が建っているんですからね)。
(9)現在の3番線ホームです。まれにイベント列車の発着に使用されるようですが、ふだんは人影もなくひっそりとしています。
(10)錦糸町方向からE217系の快速が東京トンネルの入口にさしかかりました。6番線の北側、客留線のあたりが、おそらくトンネルの入口になっているんでしょうね。
このときから6年後の昭和47年(1972年)には総武快速線が運行を開始しています。その2年前の1970年には両国駅の貨物扱いを廃止、とありますので、総武鉄道のターミナルとして開業した両国駅が、その面影を残している最後の時期だったのかもしれません。
02の錦糸町編前後編のあとに01をアップするという無様なことになってしまいました。ひらにご容赦を。次回は亀戸に続く、かな?
両国駅は上野とともに頭端式ホームの素敵な駅でしたね。上のよりも形が整っていたかもしれません。千葉方面のターミナルとして、活躍していた昭和30年代が、華の時代だったかもしれません。
低馬力のDD13二桁ナンバー・・・・釣合梁式の台車で、私はこのタイプが好きでした。茶色に塗られていた時代です。
by む〜さん (2011-03-05 05:27)
このシリーズ、好きです。城北地区生まれ、親戚は総武京成・常磐沿線に数多かった私です。続編期待いたしております。
by Cedar (2011-03-05 08:52)
私(←産まれる前)の父が東京へ行っていた頃と思われる
写真の数々を見せていただき、ありがとうございますm(_ _)m
by an-kazu (2011-03-05 09:30)
む〜さん
両国の地平ホームは普段はひっそりとしているのにDC準急が発着する時間帯だけ賑わいを見せるという都会の真ん中の駅とは思えない不思議な駅でしたね。DD13は70年代はじめ頃までは至る所で見られましたが、87年には全廃という案外短命な機関車でしたね。私も茶トラの塗色が好きでした。
Cedarさん
このへんは中学高校と通学の途中行き当たりばったりに撮っていた写真ばかりです。なにかを狙って撮りに行ったわけではないので、乱雑な写真だらけですが、多少なりと当時の風景や雰囲気を楽しんでいただければ幸いです。
an-kazuさん
はじめまして。10代のころの私の下手くそな写真で恐縮です。これからもよろしくおねがいします。
ほりけんさん
manamanaさん
nexus6さん
gardenwalkerさん
こさぴーさん
niceありがとうございます。
akechiさん
はじめまして。これからもよろしくおねがいします。
by maipenrai (2011-03-05 14:55)
両国に「さざなみ」…準急…貴重な記録ですね。
それを、こんなに簡単に見られるのは幸せですねぇ。
by hanamura (2011-05-28 12:27)
懐かしい準急
今は都内では越中島貨物線しか気動車が走っていないので懐かしいです
by 安房鴨川 (2024-04-10 10:58)