田端で機関車ウォッチング [ちょっとおでかけ鉄]
数日前、仕事の打ち合わせで久しぶりに「上京」…いや、ほんとに都県境を越えて出かけることが、めっきり少なくなってしまっているのです…午後の3時頃にはそれも片付き、山手線外回りの電車に乗っておりました。このまま日暮里で京成に乗り換えれば、4時前には家に帰り着く。でもなんだか中途半端な時間だなぁ…と、ふと思いたち、田端で途中下車。この駅で降りるのは、かれこれ35年ぶりくらい…。
山手線と京浜東北線、その東北側に広がっていた操車場を跨ぐ橋に面して建っていた駅舎は、人工地盤上の駅ビルに生まれ変わっています。駅舎を出ると、古い道路橋と並行して、遊歩道になっている橋ができていて、「田端ふれあい橋」と呼ぶらしい。ほんとにお役人って「ふれあい」が好きだこと…。
その橋の上から見下ろすと、かつての広大な貨物操車場は、なんとも寂しいことになっています。
かつては停車しているEF65の左側に見えるマルエツのビルや、駐車場の部分まで貨物操車場だったはず…。右側にちらっと写っている高架橋は、東北新幹線のものですが、その下の日があたっている線路は標準軌なので、旧貨物操車場北側部分の敷地の大半を流用した、新幹線の留置線(東京新幹線車両センター)への入出区線。その間に挟まれた6線ほどの線路が、貨物列車が行き来する操車場の名残りの部分。いまは「田端信号場駅」と呼ばれているそうです。
橋を渡り切った先は、T字路になっていて、道は二股にわかれ、地上部分へ降りていく。左側の道を行くと、やはり操車場跡地に建ったらしいJR東日本関東支社の、長大なビルが連なり、ビルが途切れてさらに北西方向に歩いて行くと、ようやく視界が開け、道と線路が寄り添うように近づいていきます。
道路の彼方に、留置されている機関車が見えてきたとき、いきなり道路を斜めに横切る踏切が出現。あぁ、この踏切、懐かしいなぁ…。道路の右側には、昔と同じ位置にJR東日本・田端運転所、かつての田端機関区の本屋が建っています。
街路地図に勝手に書き込みをしてしまいました。輻輳する線路のちょうど真ん中を、分断するように走る道路。上中里の駅前を経て王子方向へ続くこの道路の、上(北東側)部分は、東北本線とつながる旅客エリア、街路地図が途切れた左側に、さらに客留線が連なる、かつての尾久客車区、現在は尾久車両センター、ですか。
下(南西)側は田端操車場を中心とした貨物エリアで、その敷地の大部分を新幹線留置線用地に召し上げられたとはいえ、貨物運行の機能は残ってる。その双方を行き来する機関車のための連絡線が、この踏切なのです。
踏切脇の構内境界標。「尾久駅構内」と「田端運転所構内」の境界を示しています。地図下側の貨物エリアは、JR貨物の縄張りかといえばさにあらず。機関車が留置されているのは「JR東日本」田端運転所の構内で、上の写真のEF510-510もEF651105もJREの所属機ですね。でもJR貨物のEH510やDE10が並んで止まっていたりするので、ちょっとややこしい。
こちらは「旅客エリア」に留置されているレインボーカラーのEF65。建物の隙間から撮っているので、これが精一杯。
JREのカシオペアカラーEF510-509と並ぶJR貨物新鶴見機関区所属DE101669。
浦島【鉄ちゃん】太郎の私としては、なにを見ても楽しい、珍しい…なのですが、ほぼ45年ぶりに訪れたこの場所、留置されている機関車がカラフルで、見ていて飽きない。人気スポットなんでしょうね。この日も中学生鉄ちゃんのグループや、子鉄連れのママ鉄さんもいて、結構な賑わいです。
私も思わずコーフンして金網によじ登ろうとしたところを、パトロールのお巡りさんに「コラコラ」されちゃったり(汗)。。
さて、この日の本来の目的は、昔の田端、尾久の写真を【昔鉄】記事にしようかと考え、いまの風景の写真を押さえておこう、と軽い気持ちでやってきたのですが、いや~、こりゃ楽しい。
このEF651105なんて、重検直後なのか、新車のようにピッカピカでした。
ン!? 1105号といえば…。
47年前におんなじ場所でこんな写真を撮っておりました。新小岩から新金線経由でやってきたD511105号です。昭和40年の撮影ですが、線路のバラストが妙に新しいのは、前年に田端操車場の入換をしていた9600が退役、残っていたD51も、翌年に配置がなくなるという流れの中で、蒸機の検修と留置を、一時的に道路の反対側にあった旧尾久機関区側に移し、貨物エリアにあった田端機関区の建屋を取り壊した直後だったせいかと思います。
もちろん新幹線の高架など、影も形もなく、西側の高台が見通せます。機関車の後ろの方に新設のディーゼル機関車の検修庫が見えますね。
それと同じ建物なのか、わかりませんが、いまも同じ辺りに検修上屋があって、北斗星カラーのEF510が休んでいました。
その後ろに見えるのは「茶釜」!?
反対側に回ってみると、なんと茶色一色塗装のEF6437が庫内で整備中でした。
望遠でEF64をのぞき込んでいると、カシオペアカラーのEF510がタンク車で組成された貨物列車を牽いて通過していきます。
タンク車の側面には「東邦亜鉛」の文字。あれ、これっていわゆる「安中貨物」というヤツですか?
JREのカシオペア機が、なんで貨物を牽いているんだろうか? なんてことは、浦島太郎=現在初心者の私以外は、みなさんご存知のことと思いますが…。
そうこうするうちに、EF6437茶釜が動き出し…。
なかなかナイスなポジションに駐機してくれました。このカマも綺麗に整備されているなぁ…。
よくよく考えれば、EF64の茶釜って、185系「あまぎ色」やキハ40「国鉄色」みたいなもんだけど、茶釜全盛時代に、ろくすっぽカラーで撮ったことのない私としては、大満足なんであります。
今日のところは新旧ELやDLをたくさん見られてお腹いっぱい。
そろそろ引き上げるとしましょう。帰りは昔のように尾久から上野行きに乗ろうかな…と歩き出します。旧尾久客車区の構内を突っ切れれば尾久駅は近いんですがね~(コラコラ)。
途中の入出区線の踏切から見た旧尾久客車区の構内。南北縦貫線が出来る頃には、この構内も233系あたりが幅をきかせるようになるんでしょうか?
明治通りまで出たところで気が変わりました。だいぶ歩いて疲れているんだけど、このまま北へまっすぐ突っ切れば、都電荒川線にぶつかる。それに乗って町屋に出て、京成で帰る…、なかなかナイスなアイデアだわい、とさらにずんずん歩き続けます。ところが思いの外、歩きでがあって、小台の停留所に着いた頃は日は西に傾き、喉はカラカラ、足は棒。
どっかでコーヒーでも…という誘惑を振り切り、都電に乗って町屋着。
この界隈まで来れば…ね。そうそうコレですよ。
赤い提灯が「おいでおいで」と誘います。
春の陽気に誘われた鉄散歩、やっぱりシメはこの一杯。
ハイボールを数杯いただき、ほろ酔い気分で帰途につきます。知らぬまにずいぶん日が長くなりました。
あ、申し忘れました。尾久・田端の昔写真は次回更新にて。
山手線と京浜東北線、その東北側に広がっていた操車場を跨ぐ橋に面して建っていた駅舎は、人工地盤上の駅ビルに生まれ変わっています。駅舎を出ると、古い道路橋と並行して、遊歩道になっている橋ができていて、「田端ふれあい橋」と呼ぶらしい。ほんとにお役人って「ふれあい」が好きだこと…。
その橋の上から見下ろすと、かつての広大な貨物操車場は、なんとも寂しいことになっています。
かつては停車しているEF65の左側に見えるマルエツのビルや、駐車場の部分まで貨物操車場だったはず…。右側にちらっと写っている高架橋は、東北新幹線のものですが、その下の日があたっている線路は標準軌なので、旧貨物操車場北側部分の敷地の大半を流用した、新幹線の留置線(東京新幹線車両センター)への入出区線。その間に挟まれた6線ほどの線路が、貨物列車が行き来する操車場の名残りの部分。いまは「田端信号場駅」と呼ばれているそうです。
橋を渡り切った先は、T字路になっていて、道は二股にわかれ、地上部分へ降りていく。左側の道を行くと、やはり操車場跡地に建ったらしいJR東日本関東支社の、長大なビルが連なり、ビルが途切れてさらに北西方向に歩いて行くと、ようやく視界が開け、道と線路が寄り添うように近づいていきます。
道路の彼方に、留置されている機関車が見えてきたとき、いきなり道路を斜めに横切る踏切が出現。あぁ、この踏切、懐かしいなぁ…。道路の右側には、昔と同じ位置にJR東日本・田端運転所、かつての田端機関区の本屋が建っています。
街路地図に勝手に書き込みをしてしまいました。輻輳する線路のちょうど真ん中を、分断するように走る道路。上中里の駅前を経て王子方向へ続くこの道路の、上(北東側)部分は、東北本線とつながる旅客エリア、街路地図が途切れた左側に、さらに客留線が連なる、かつての尾久客車区、現在は尾久車両センター、ですか。
下(南西)側は田端操車場を中心とした貨物エリアで、その敷地の大部分を新幹線留置線用地に召し上げられたとはいえ、貨物運行の機能は残ってる。その双方を行き来する機関車のための連絡線が、この踏切なのです。
踏切脇の構内境界標。「尾久駅構内」と「田端運転所構内」の境界を示しています。地図下側の貨物エリアは、JR貨物の縄張りかといえばさにあらず。機関車が留置されているのは「JR東日本」田端運転所の構内で、上の写真のEF510-510もEF651105もJREの所属機ですね。でもJR貨物のEH510やDE10が並んで止まっていたりするので、ちょっとややこしい。
こちらは「旅客エリア」に留置されているレインボーカラーのEF65。建物の隙間から撮っているので、これが精一杯。
JREのカシオペアカラーEF510-509と並ぶJR貨物新鶴見機関区所属DE101669。
浦島【鉄ちゃん】太郎の私としては、なにを見ても楽しい、珍しい…なのですが、ほぼ45年ぶりに訪れたこの場所、留置されている機関車がカラフルで、見ていて飽きない。人気スポットなんでしょうね。この日も中学生鉄ちゃんのグループや、子鉄連れのママ鉄さんもいて、結構な賑わいです。
私も思わずコーフンして金網によじ登ろうとしたところを、パトロールのお巡りさんに「コラコラ」されちゃったり(汗)。。
さて、この日の本来の目的は、昔の田端、尾久の写真を【昔鉄】記事にしようかと考え、いまの風景の写真を押さえておこう、と軽い気持ちでやってきたのですが、いや~、こりゃ楽しい。
このEF651105なんて、重検直後なのか、新車のようにピッカピカでした。
ン!? 1105号といえば…。
47年前におんなじ場所でこんな写真を撮っておりました。新小岩から新金線経由でやってきたD511105号です。昭和40年の撮影ですが、線路のバラストが妙に新しいのは、前年に田端操車場の入換をしていた9600が退役、残っていたD51も、翌年に配置がなくなるという流れの中で、蒸機の検修と留置を、一時的に道路の反対側にあった旧尾久機関区側に移し、貨物エリアにあった田端機関区の建屋を取り壊した直後だったせいかと思います。
もちろん新幹線の高架など、影も形もなく、西側の高台が見通せます。機関車の後ろの方に新設のディーゼル機関車の検修庫が見えますね。
それと同じ建物なのか、わかりませんが、いまも同じ辺りに検修上屋があって、北斗星カラーのEF510が休んでいました。
その後ろに見えるのは「茶釜」!?
反対側に回ってみると、なんと茶色一色塗装のEF6437が庫内で整備中でした。
望遠でEF64をのぞき込んでいると、カシオペアカラーのEF510がタンク車で組成された貨物列車を牽いて通過していきます。
タンク車の側面には「東邦亜鉛」の文字。あれ、これっていわゆる「安中貨物」というヤツですか?
JREのカシオペア機が、なんで貨物を牽いているんだろうか? なんてことは、浦島太郎=現在初心者の私以外は、みなさんご存知のことと思いますが…。
そうこうするうちに、EF6437茶釜が動き出し…。
なかなかナイスなポジションに駐機してくれました。このカマも綺麗に整備されているなぁ…。
よくよく考えれば、EF64の茶釜って、185系「あまぎ色」やキハ40「国鉄色」みたいなもんだけど、茶釜全盛時代に、ろくすっぽカラーで撮ったことのない私としては、大満足なんであります。
今日のところは新旧ELやDLをたくさん見られてお腹いっぱい。
そろそろ引き上げるとしましょう。帰りは昔のように尾久から上野行きに乗ろうかな…と歩き出します。旧尾久客車区の構内を突っ切れれば尾久駅は近いんですがね~(コラコラ)。
途中の入出区線の踏切から見た旧尾久客車区の構内。南北縦貫線が出来る頃には、この構内も233系あたりが幅をきかせるようになるんでしょうか?
明治通りまで出たところで気が変わりました。だいぶ歩いて疲れているんだけど、このまま北へまっすぐ突っ切れば、都電荒川線にぶつかる。それに乗って町屋に出て、京成で帰る…、なかなかナイスなアイデアだわい、とさらにずんずん歩き続けます。ところが思いの外、歩きでがあって、小台の停留所に着いた頃は日は西に傾き、喉はカラカラ、足は棒。
どっかでコーヒーでも…という誘惑を振り切り、都電に乗って町屋着。
この界隈まで来れば…ね。そうそうコレですよ。
赤い提灯が「おいでおいで」と誘います。
春の陽気に誘われた鉄散歩、やっぱりシメはこの一杯。
ハイボールを数杯いただき、ほろ酔い気分で帰途につきます。知らぬまにずいぶん日が長くなりました。
あ、申し忘れました。尾久・田端の昔写真は次回更新にて。
いや~いいですね。なんたってこのあたりはガキの頃の家から近く、私の鉄道好きの原点ともいえる場所です。家の最寄の国電駅は田端でした。
王子街道の踏切なんて涙がでちゃう!
町屋で一杯の締めかたもいいなあ。帰ってきたヨッパライ~じゃなくてマイペンライ(笑)ですね。
この調子でよろしくお願いします。昔写真も楽しみ楽しみ!
by Cedar (2012-04-02 22:40)
おはようございます。
Cedarさん
おととしの暮だったでしょうか? Cedarさんのブログ記事、特に田端大橋から見下ろした貨物ヤードの写真にワクワクして、当方もブログを始めようと背中を押されたのは。↓(この記事です)
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-12-18
フジペットの写真も「アリ」だと思ったのも大きかったなぁ(笑)。
余談ですが、東京駅北口や御茶ノ水「カルチェラタン」でよくみかけた「東43」系統のバス、謎の行き先「荒川土手」の在り処が、なんとなくわかってきました。
素人写真さん
む〜さん
シュウチャンさん
xml_xslさん
プントさん
フジトモさん
nexus6さん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-04-03 07:22)
ほんとですねー
これは楽しい!楽しい!^^
時間作って行ってみますねー♪
by mitsu (2012-04-03 08:22)
田端の機関車溜まり、国鉄形とJR形が混在する
今がいちばん楽しいときかもしれませんね。
ピカピカに整備されたEF65やEF64、
裏を返すと、汚れるほど働くような
定期仕業が無いという事もあったりして。。。
by あおたけ (2012-04-03 10:02)
mitsuさん
ご来訪&niceありがとうございます。私もヒコーキで鍛えられて、多少の金網にはめげなくなりました。↓であおたけさんも書かれているとおり、いろんなカラーリングの国鉄型&JR型が混在するのも、今のうちかも知れません。素敵な写真を拝見させていただくのを楽しみにしております。
あおたけさん
EF81が14両配置、EF65が8両配置で、いずれも定期運用ゼロ…ですか。工臨やイベント列車も限られる中、もったいない、と思いつつ、生きている「産業遺産」を今のうちに楽しみたいですね。
燕っ子さん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-04-03 21:46)
おっと!更新が早いですね、仕事ひと段落ですか。
型式はわからないけど、茶色で車体本体の前後に手すりの付いた台が飛び出てる機関車今でも現役で活躍しているのかな?色々思い出があります。
by tac (2012-04-04 07:32)
見落としているかと思い過去のを見ていたら去年の11月に載っていました、EF131あの形です、似たような形は他にもあるのでしょうか。懐かしい。
by tac (2012-04-07 11:41)
tacさん
「台が飛び出てる」…言い得て妙ですね。
EF13や15などの貨物機は、短めのデッキですが、長いデッキ付きのEF56/57なんてのもおりました。近日中に田端の昔写真でアップさせて頂きます。
by maipenrai (2012-04-09 09:12)
サットンさん
しまりすさん
gardenwalkerさん
くらいふさん
ミスター仙台さん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-05-03 18:53)
漢字が違います。
釜 は ご飯を炊く カマ
蒸気機関車のボイラーの カマ は
罐 です。
by Y K (2016-09-07 12:01)