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ひと山越えれば小湊線~国鉄色DC欲張り撮影行 [ちょっとおでかけ鉄]

 はじめての久留里線撮影行は、3両しかないキハ30のうち2両が運用に就いている、という幸運に恵まれて充実したものになりました。
 だがしか~し…、朝の4時起きでクルマを走らせたせいでやや睡眠不足に加え、9時を回った頃にはおそらく30度超えしていたと思える、真夏と変わらぬピーカンの天気の下の野外活動、お昼近くには早くもヘバリ気味なんであります。
 遠目にもテッペンの心許なさが目立つ私の脳天を、容赦なくジリジリと焼く太陽。
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 お目当てのキハ30も、この列車が久留里で折り返し、木更津に戻ると夕方まで入庫してしまう模様です。
02ki30100.JPG


 さて、午後はどうしようか。

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久留里線欲張り撮影行 [ちょっとおでかけ鉄]

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 すでに皆様ご案内のとおり、千葉県下木更津から上総亀山を結ぶ久留里線にこの秋から新型気動車が投入されることになり、国鉄時代から活躍を続けてきた3両のキハ30をはじめ、私の目には十分にモダンな新車に映る昭和&国鉄末期に製造されたキハ37、38の一統が姿を消すことになっています。
 久留里線は千葉県にありながら、東葛飾地区に住む私(千葉都民、というヤツです)からするとビミョーな位置にあり、齢60を越えた今の今まで、乗ったことも撮影をしたことすらありません。私がそれなりに千葉の鉄道を追っかけていた40年前にはとっくに無煙化を完了し、貨物列車もDD13が牽いていたそうです。房総ならどこでも見られたキハ16/17の時代から、キハ35系一色になって…と、まぁわざわざ見に行く、乗りに行く事もないまま現在に至る…と。
 本ブログを立ち上げ鉄道趣味に舞い戻って一年半、生来のものぐさと、腰の重さでもたもたしているうちに113系電車は姿を消してしまい、いままた久留里線からも昭和の車両がなくなろうとしているわけで、やはり千葉県民鉄としては、昭和のキハの姿を見ておきたい。
 某鉄道趣味誌の7月号「久留里線特集」で予習には励んでいたのですが、さっぱり頭に入らないまま。そうこうするうちにもはや9月も中旬、猶予の時間はあんまりありません。
 そこに強力な援軍到来。拙ブログにも何回か登場してもらっている若き鉄友(といっても50代)Y君。実は彼は生まが久留里で、今は東京暮らしですが生家もまだ久留里に残っている。本人曰く「まだ誰も撮影しない頃から久留里線を撮っている」そうで、強力型試作気動車キハ60の一統が、晩年久留里線を走っていた頃を知っているというから凄い。彼がついてくれるなら撮影地もお任せでオッケーだね。
 もっとも後で判明したことだけど、生家にはたびたび行ってるけど、沿線で撮影するのはン十年ぶりだそうで…。それで多少情報が古かったりするのだけれど、まっ、いいか。

 久留里線を撮るなら、やはり一本だけの4連や、2連の基本にキハ30が確実に増結される朝の時間帯を狙いたい…、ならば現地には6時に着いていたい、ということで、Y君には拙宅に前泊してもらい、朝の4時半出発。まだ昏き京葉道路~館山道を一路クルマを走らせ一般道に降りると、久留里の街を抜け、Y君の生家にほど近い久留里-平山間の線路際に立ったのはちょうど6時。周りを囲む房総特有の穏やかな山並みから、ちょうど朝日が射しこんできます。
 ほどなく遠くの踏切の警報機が鳴り出すと、顔を見せたの上総亀山を5時59分に発った922D。久留里線の朝の2番列車です。国鉄色のキハ3098を先頭に、キハ38を2両つないだ3両編成。
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呑み鉄再び…灼熱の銚子電鉄 [ちょっとおでかけ鉄]

 唐突ですが、旨そうなイワシの刺身でしょう?
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 こちらはアジの「なめろう」。これも堪えられない。
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 何を隠そう、私は「青魚大好き」人間であります。今の時期ならイワシやアジ、秋にかけてはサンマ、冬場にかけてはサバ…。旬の青魚が美味いのはいうまでもありませんが、私の場合、旬へのこだわりはあんまりなく、例えば家人がたまに夜、留守にして「ご飯適当にお願い」なんて言われると、しめしめとばかりストックしてある一缶98円のサバ缶を嬉々として開け、悦に入っているんだから、味覚と言ったっていい加減なもんでありますが…。
 それでもこの時期のアブラの乗ったイワシの旨さ、それも水揚げ高日本一を誇る千葉の漁港近くでいただくイワシは、これぞキング・オブ…とまではいかなくても青魚好きには関脇、大関クラスの味覚です。

 そんなイワシ、アジにありつくために、立ちくらみするほどの真夏の炎天下、爺鉄どもの汗まみれの奮闘(笑)があったのだ…というわけで。

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北陸電車旅~その7~早月加積の奇跡。 [ちょっとおでかけ鉄]

 富山地鉄本線・上市駅にやってきました。(寺田10:42発→上市10:50着)。
 よく知られているとおり、上市は地鉄本線の途中にあるスイッチバック構造の駅。広大な富山平野のど真ん中、線路を敷くのに障害などなさそうな場所に、スイッチバック駅とは奇妙ですね。
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 富山地鉄はもともと県下の多くの私鉄が合併して、今の形になった、ということで、ここ上市の地に、最初に敷かれた鉄道は、富山湾に面した滑川から上市まで大正2年に開通した「立山軽便鉄道」(のちに改軌して「立山鉄道」となる)。
 一方、県都・富山市から、東へ線路を伸ばしていったのが「富山電気鉄道」、いまの電鉄富山や、電鉄黒部といった、頭に「電鉄」がつく駅名は、この鉄道に由来しているそうです。
 この「富山電鉄」が昭和6年に上市まで到達、「立山鉄道」と合併、直通運転を始めようということになりましたが、先に開通していた「立山鉄道」の上市駅は、滑川から真南に下ってきた線形を、直前で東に向けて振って、東側に広がる上市の市街と接着させていました。西から東に伸びてきた「富山電鉄」と「立山鉄道」を直通させるためには、駅の西側の方に短絡線を設ければ、スルーの線形となりますが、それでは駅の位置が、上市の市街地から遠く離れてしまう…。
 そんなわけで、「富山電鉄」は真っ直ぐに「立山鉄道」の上市駅まで乗り入れることとし、富山-滑川間の直通列車は、上市でスイッチバックする運転方式となり、そのまま今に至る…、と(以上、『鉄ピク』誌2012年6月号の記事の受け売りです)。

 因みに今の地鉄本線、滑川-宇奈月温泉間を開通させたのは「黒部鉄道」(昭和11年に全通)。これらに加え、富山県下に多数存在していた私鉄が、戦時下の昭和18年に合併して、「富山地方鉄道」になるわけで…。

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北陸電車旅~その6~見張塔からずっと。 [ちょっとおでかけ鉄]

 旅もあっという間に四日目。今日5月11日は、東京に戻ります。昨日はフライング気味に、ちょこっと富山地鉄の鉄道線をかじりましたが、今日は時間の許す限り、鉄道線を満喫する…予定。
 例によって朝6時に目が覚めてしまいました。ホテルの部屋にいても所在ないので、カメラを持って外に出ます。
 今日も空模様はぱっとしない。夜半にかなりの雨が降ったのでしょう。路面にはあちこちに水たまりが残っています。暫く待つと、ヘッドライトを煌々と光らせながら、市内線の7000形電車がやってきました。
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 まだ6時台というのに、市内線の電車はけっこうな頻度でやってきて、早出の勤め人や朝練? の高校生を乗せては走り去っていく。
02雨は上がって.JPG


 昨日の反省があるので、近くのコンビニでビニール傘と合羽を購入。ホテルに戻りY君と合流、改めて身支度を整え、歩いてすぐの富山地鉄「電鉄富山」駅へ向かいます。

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北陸電車旅~その5~雨の午後、呑み鉄は…。 [ちょっとおでかけ鉄]

昨晩は記事を書き終わり、さてアップロード…という段階で「サーバメインテナンス」のため更新できません」とのメッセージ、しょうがないなぁ~と、そのままほったらかしにしておいて、朝10時過ぎ、「公開する」「保存」で更新作業を終えたつもりでした。
 ところが、いまさっき覗いてみたら、なんと記事の「続きを読む」以降が消えています。記事管理画面に入っていたはずのテキストも、どこかに吹っ飛んでいて…。
 まぁ、こんなこともあろうかと、記事本文はテキストエディタに書いて、保存してはあるんですが、直書きしてたら泣いちゃいましたね…というわけで、改めて全文&写真をご覧いただければ幸いです。

5月10日午後。富山地鉄「電鉄富山」駅。

 頭につく「電鉄」の文字がいかにも似合う、頭端式のターミナル駅です。
 駅前のコインロッカーに荷物を預けて、ライトレールの撮影に向かうというY君と別れて単独行動…。
 富山が誇るライトレールは見ないでいいの? えー、だって工事中の南口から北口まで歩くの、遠そうなんだもん…、と、旅も3日目ともなりますと、やや疲れが出てきて、ものぐさ&ワガママが出てまいります。
01電鉄富山駅.JPG


 ホームに入っている電車は、いわゆる「かぼちゃ色」の3000系…じゃない、10030系ね。ボディーはもちろんご存知、もと京阪の特急車3000系。標準軌の京阪からやってきたので、当然下回りは変更されているんだけど、それも元営団3000系(マッコウクジラ)の足回りの流用で、だったら3000系でいいじゃん←ホントわがままな爺さんです。

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北陸電車旅~その4~倶利伽羅で悶々。 [ちょっとおでかけ鉄]

 東京を発って三日目。金沢の朝。
 今朝も快調に(?)6時に目が覚めて、ホテルの窓から眺める空は、少しもやがかかっているけれど青く晴れ渡っています。
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 目の前には2本並んだ鉄道の高架橋。奥が北陸本線、手前は建設途上の北陸新幹線。
 この場所は金沢駅の南西方向です。長野から金沢駅まで開業予定の北陸新幹線の、さらにその先に位置しますが、車両基地への回送線も併せて作っているため、北陸在来線の松任駅の先まで、新幹線の高架がずっと並行して立ち上がっています。
 このあたり、構体はすでに完成し、線路を敷き架線柱を建て架線を張れば、新幹線が走れる状態にまでなってます。そういえば、昨日見たえちぜん鉄道福井駅の斜め頭上には、新幹線の高架橋が既にほぼ完成していました(車両基地-福井-敦賀の正式着工はまだなのにね)…。

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北陸電車旅~その3~2社3線福井の朝をチョイかじり [ちょっとおでかけ鉄]

 東京を発って二日目、福井の朝。
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 今日は5月の9日。連休明け、土日も挟まず、平日に三泊四日の旅ができるのは、同行のY君も私も、仕事的にはフリーの立場だから…。私の場合は、半ばリタイア…というか「そろそろお引取りを…」という周囲のビミョーな空気を感じる今日この頃であるんですが…。

 暗い話はともかく、平日に電車旅ができるのは、正直ありがたい。私が見たいと思っている電車は、基本、年代物の古い電車です。どこへ行ってもベテランの車両というのは、一日中目一杯稼働していることは少なく、朝夕のラッシュ時に限定的に運用されている場合が多いんですね。しかも日曜休日は運用が減るとか車庫でお休みとか…。このあたり、私の地元・京成の3300形なんかもおんなじですが、全国的にも「古い電車を撮るなら平日朝を狙えの法則」が存在していそうです。

 まぁ、年をとったせいで、早起きは苦でもない。今朝も6時には目が覚めてしまい、投宿した駅前のビジネスホテルのサービス朝食(7時から)をそそくさと平らげ、街に出ます。

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北陸電車旅~その2~福鉄にシビレまくる~ [ちょっとおでかけ鉄]

 50年近くまえ、ミーハーな鉄ガキだった私は、まだ全国各所に残っていたローカル私鉄や、そこで働いていた神話的世界の旧型電車にまったく興味を示さず、ファン誌やピク誌で紹介される新型電車には「カッコいいなぁ」と憧れながらも、わざわざ見に行く、なんてことはなく、もっぱら蒸気機関車を追っかけておりました。
 三つ子の魂百まで、といいますが、いまだに電車の好みのタイプといえば、昭和30年代に製造された、丸みを帯びたデザインの当時の高性能電車、できれば顔立ちは、3枚窓より、2枚窓の湘南タイプが好ましい…でもそんな電車たちも、めっきり少なくなってしまいましたね。
 長電2000系なきいま、そんな数少ないストライクゾーンど真ん中の電車が、福井鉄道モハ200形、昭和35年(1960年)製造、2車体連接のWN駆動、福井市内の併用軌道区間を走るため、前面にはカウキャッチャー(でいいのかな?)を取り付け、ドアに連動する3段のステップが付き…なんてことは、皆さんとうにご承知のことですね。
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 名古屋からの「しらさぎ」で武生着、駅前を出て少し歩くと、福井鉄道の「越前武生」駅です。以前は「武生新」という駅名で、なんで「新武生」じゃなく、後ろに「新」がつくのか、不思議に思っていたものです。

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北陸電車旅~その1~万葉線で大チョンボ [ちょっとおでかけ鉄]

 唐突ですが、富山県高岡に来ています。
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 高岡といえば、鉄的にはJR氷見線、城端線、そして3セク路面電車の「万葉線」。
 じつのところ、こないだまでは、「万葉線ってなに? あそこには確か加越能鉄道の路面電車があったはず…」なぁんて、ズレまくりだった私。白状すれば、富山県に足を踏み入れたことは、大昔(46年前だ!)北陸線を列車で通過しただけ。この年まで下車したことのない県(少なからずあるんですが)の一つなのであります。

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