昭和38年冬、新宿ルミネ前 [昔鉄(フジペットシリーズ)]
今回はいきなり拡大写真から。どこかの地方都市のような街並み、2階建ての家屋が立ち並んでいます。「ハトヤ時計店」の隣は「トリスバー」、柳原良平画伯描くアンクルトリスのテレビCM…ウィスキーを流し込むたび、首から上が「赤く」染まっていく(モノクロTVなのに、ネ…がさかんに流れていた頃でしょうか。
併用軌道なのか、踏切なのか、道路を横切る線路は雨に濡れています。架線は路面電車にありがちな直接吊架ではなく、郊外電車のようなシンプルカテナリー…。
さて、ここはドコでしょう…って、右隅にちょっとだけ写ってる電車が、あまりにも特徴的なのでもうお分かりですね…っていうか、タイトルでネタをバラしてるし(笑)。
あざとい導入ですみません。
ハイ、これが写真の全体像です。幹線道路の甲州街道上を走ってきた京王電車…いちおうセンターリザベーションで、車道とは分離していたようですが…が、新宿駅南口の国鉄線路を跨ぐ陸橋の手前で、左に急カーブをきり、地上にあった京王線新宿駅に進入しようとしているところです。
グーグルアースの画像(横着)で現在の姿と重ねてみると、画面左側(初台方向)からやってきた電車は、西新宿一丁目の交差点でカーブを描き、ルミネのビルに突っ込んでいく…という感じでしょうか。現在のルミネの正面入口あたりが撮影場所のようです。
昭和38年(1963年)のちょうど今頃、もうすぐ小学校を卒業するガキ鉄は、愛機「フジペット」を手に、千葉から総武線・中央線を乗り継いで新宿までトコトコやってきました。おそらく鉄道雑誌で、もうすぐ京王新宿駅が地下化されるという話を知り、地上を走る京王電車を撮っておきたいと考えたのでしょう。あいにく冷たい小雨模様、空も暗くオモチャに毛が生えたようなフジペットではキビしい条件ですが、なんとか写ってくれているのはブローニー6☓6というフィルムサイズの賜物。
もう一枚、同じ場所から。先頭のデハ2022は、前年の8月に就役したばかりの最新車…らしいです。方向幕は辛うじて「新宿/府中」と読めます。
ちょっと拡大してみました。初台の方へ、架線鉄柱が連なっています。まだ新宿西口の高層ビル群など、影も形もなかった時代のランドマーク、初台のガスタンクが見えていますね。
まだボンネットバスも健在だったんですね。塗色の感じが京王バスのように見えますが、違うかな?
グーグルアースで無理矢理同じ場所に視点をおいてみました。ガスタンクのあった場所は、オペラシティに変貌を遂げています。
地上時代の京王新宿駅です。ホーム先端は急激に幅が狭まっていて、おそらく50センチくらい? 17メートル車4連でいっぱいいっぱいだったのでしょう。
進入してきたデハ2023は「快速」の種別札を掲げています。方向幕は「新宿/京王多摩川」、相模原線が京王よみうりランドまで延伸されるのは昭和46年、まだだいぶ先の話です。
ホームは木造、線路も仮設の足場のような構造物の上に敷かれています。このとき地下では新しい地下駅が完成を迎えようとしていたんですね。
向かって左側は小田急の敷地。こちらも翌昭和39年2月に、地上と地下の立体ターミナルが完成します。その工事もたけなわだったのでしょうね。
この時撮った写真はこの3枚きりです。なにしろ小学生の小遣いではフィルムは高すぎたし、6☓6ブローニーは12コマしか撮れない…。写しているのも最新鋭の2010系ばっかりで…まぁ新車好きの小学生らしい…っちゃぁらしいのですが…。同じ2010系でも、14メートルのサハをサンドイッチしてるのを撮っていたらよかったのになぁ…なんて思ったのは、もう少しヒネてからのことです(笑)。
ところで、2010系とは昨夏、銚子電鉄でほんとうに久しぶりに再開しました。グリーンに戻された車体は、ただもう懐かしいばかりで、その時は気づかなかったのだけれど、お顔がなんか物足りない…。そう、湘南スタイルの二枚窓の前面を引き締める、鼻面の方向幕(板)がない…。サボ受けはついているのにねぇ…。
できれば、の話だけれど、京王スタイルの方向板で鼻面を飾ってくれたら嬉しいなぁ、「銚子/外川」の文字は、当然隷書体でね…なんて勝手に妄想してみたのでした。
併用軌道なのか、踏切なのか、道路を横切る線路は雨に濡れています。架線は路面電車にありがちな直接吊架ではなく、郊外電車のようなシンプルカテナリー…。
さて、ここはドコでしょう…って、右隅にちょっとだけ写ってる電車が、あまりにも特徴的なのでもうお分かりですね…っていうか、タイトルでネタをバラしてるし(笑)。
あざとい導入ですみません。
ハイ、これが写真の全体像です。幹線道路の甲州街道上を走ってきた京王電車…いちおうセンターリザベーションで、車道とは分離していたようですが…が、新宿駅南口の国鉄線路を跨ぐ陸橋の手前で、左に急カーブをきり、地上にあった京王線新宿駅に進入しようとしているところです。
グーグルアースの画像(横着)で現在の姿と重ねてみると、画面左側(初台方向)からやってきた電車は、西新宿一丁目の交差点でカーブを描き、ルミネのビルに突っ込んでいく…という感じでしょうか。現在のルミネの正面入口あたりが撮影場所のようです。
昭和38年(1963年)のちょうど今頃、もうすぐ小学校を卒業するガキ鉄は、愛機「フジペット」を手に、千葉から総武線・中央線を乗り継いで新宿までトコトコやってきました。おそらく鉄道雑誌で、もうすぐ京王新宿駅が地下化されるという話を知り、地上を走る京王電車を撮っておきたいと考えたのでしょう。あいにく冷たい小雨模様、空も暗くオモチャに毛が生えたようなフジペットではキビしい条件ですが、なんとか写ってくれているのはブローニー6☓6というフィルムサイズの賜物。
もう一枚、同じ場所から。先頭のデハ2022は、前年の8月に就役したばかりの最新車…らしいです。方向幕は辛うじて「新宿/府中」と読めます。
ちょっと拡大してみました。初台の方へ、架線鉄柱が連なっています。まだ新宿西口の高層ビル群など、影も形もなかった時代のランドマーク、初台のガスタンクが見えていますね。
まだボンネットバスも健在だったんですね。塗色の感じが京王バスのように見えますが、違うかな?
グーグルアースで無理矢理同じ場所に視点をおいてみました。ガスタンクのあった場所は、オペラシティに変貌を遂げています。
地上時代の京王新宿駅です。ホーム先端は急激に幅が狭まっていて、おそらく50センチくらい? 17メートル車4連でいっぱいいっぱいだったのでしょう。
進入してきたデハ2023は「快速」の種別札を掲げています。方向幕は「新宿/京王多摩川」、相模原線が京王よみうりランドまで延伸されるのは昭和46年、まだだいぶ先の話です。
ホームは木造、線路も仮設の足場のような構造物の上に敷かれています。このとき地下では新しい地下駅が完成を迎えようとしていたんですね。
向かって左側は小田急の敷地。こちらも翌昭和39年2月に、地上と地下の立体ターミナルが完成します。その工事もたけなわだったのでしょうね。
この時撮った写真はこの3枚きりです。なにしろ小学生の小遣いではフィルムは高すぎたし、6☓6ブローニーは12コマしか撮れない…。写しているのも最新鋭の2010系ばっかりで…まぁ新車好きの小学生らしい…っちゃぁらしいのですが…。同じ2010系でも、14メートルのサハをサンドイッチしてるのを撮っていたらよかったのになぁ…なんて思ったのは、もう少しヒネてからのことです(笑)。
ところで、2010系とは昨夏、銚子電鉄でほんとうに久しぶりに再開しました。グリーンに戻された車体は、ただもう懐かしいばかりで、その時は気づかなかったのだけれど、お顔がなんか物足りない…。そう、湘南スタイルの二枚窓の前面を引き締める、鼻面の方向幕(板)がない…。サボ受けはついているのにねぇ…。
できれば、の話だけれど、京王スタイルの方向板で鼻面を飾ってくれたら嬉しいなぁ、「銚子/外川」の文字は、当然隷書体でね…なんて勝手に妄想してみたのでした。
こんばんは
ここが新宿だったんですかー!!
福井鉄道かと一瞬思うような風景ですね
貴重なお写真、ありがとうございました
by gardenwalker (2012-02-06 23:36)
素晴らしいです。地上駅の新宿から甲州街道を通る京王線を撮っていたのですね。しかも小学生時代で頭が下がります。
私は乗った記憶しかありません。この頃の京王線はよく飛ばして、初台辺りの民家の間をかなりのスピ-ドでSカ-ブを走っていた記憶があります。
貴重な写真ありがとうございます。
by シュウチャン (2012-02-07 00:37)
gardenwalkerさん
新宿は今でもたまに行きますが、写真をみて「へ~、こんなだったんだ」と時分でもびっくりです。なにしろ50年近く前のこと、むしろ自分の中では「最近の風景」のほうが、焼き付いているんですね。
シュウチャンさん
甲州街道上の京王線、乗ったことはあるはずなんですが、記憶が…。千歳烏山の叔母の家に行ったのですが、駅を降りて少し歩くと、それこそ国木田独歩の「武蔵野」のような風景が広がっていた…少しおおげさかな?
あおたけさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-02-07 20:15)
ひさしさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-02-09 22:29)
nice!×10ってくらいの画像です。真新しい2010系が路面電車スタイルの敷石を踏んでいる姿は涙ものですね。この時期に一度くらいは乗った記憶はあるのですが、父のネガをひっくり返しても写真はありません。
京急の八つ山をしばらく前に取り上げましたが、もっと本格的な併用軌道のここで撮影していないのは、なんとも残念です。
by Cedar (2012-02-09 22:47)
Cedarさん
もうちょっと頑張って文化服装学院のあたりまで歩けばよかったんですが…2010系を撮れたので満足しちゃったのかも…。なぜかこの後のネガには西武線の池袋で451系(夕方で真っ暗)が写ってました。
ちょこっと心配しておりましたが、新規更新、なによりです。
hanamuraさん
suzuran6さん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-02-10 13:24)
マチャさん
プントさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-02-12 14:04)
銀狼さん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-02-13 22:34)
恐ろしき鉄ちゃんのパワー。7月22日のいすみ鉄道のブログ面白かったけど、今朝のがっちりで倒産寸前の鉄道が鉄ちやんのおかげで黒字になったとか。すごいものだ
by TAC (2012-02-19 08:26)
この京王帝都電鉄の路面線通過の写真は感動しますね。その昔、京王帝都の本社が新宿伊勢丹のちょっと先にあった頃、同社と仕事での打ち合わせの折、京王の前身は馬車鉄道とうかがいました。そのため、軌道幅も独特の幅とうかがいました。
今、この写真を見て、新宿の路面を走る京王電車のイメージがはじめて具体化しました。
本当に有難うございました。
写真集を出版してください。今後とも楽しみにしております。
by 上野のおぢさん (2012-02-21 14:18)
TACさん
いすみの黒字化には正直なところ驚きました。確かに営業収支は赤字で、補助金を算入しての黒字化、ということなのですが…。まだまだ捨てたもんじゃありませんね。
上野のおぢさん様
はじめまして。京王電車が南口の陸橋を越えていた時代は存じませんが…淀橋の浄水場跡が摩天楼に変わろうとしていた時代、甲州街道に石畳の併用軌道があったときを、辛うじて見ている世代として、本当に今昔の感があります。
私の地元にも関わることですが、1372ミリの馬車軌(都電がそうでした)のまま、京急や京成が改軌しないでいたら…、ウチの界隈(京成八幡、東日本橋の辺りも)は京急、京成、都営、京王が相互に結節するターミナルになっていたかもしれませんね。
燕っ子さん
ug-takさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-02-21 22:01)
くまくんさん
hirapさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-03-31 13:06)
こんにちは。
貴重なお写真を拝見させて頂き、大変楽しませて頂きました。
幼少の頃から京王線に乗ると、新宿駅直前の急カーブが地上で言うところのどこにあるのか、地理感覚がつかめず不思議に思っていましたが、こちらの記事を拝読し、やっと場所や方向感覚がつかめました。
今では想像もつかない風景ですね。
京王帝都は馬車軌道からのゲージと聞いたことがありますが、まだ長閑な頃の甲州街道を走る姿を見れば、その出自も納得です。
今の綺麗なステンレス車ばかりの様子とは、言葉通りの隔世の感を禁じ得ません。
他の記事も楽しませて頂きます。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc
by 風旅記 (2015-06-26 12:19)