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堀切駅 [ちょっとおでかけ鉄]

 東武伊勢崎線の堀切駅にやってきました。
 こじんまりした赤い屋根の駅舎、いいでしょう。その向こう、ホームの裏側には…アレ、桜が咲いている!?
01駅舎.JPG


 そうなんです。賢明な読者にはすでにお分かりのことかと(このフレーズ、一度使ってみたかったんだ…)思うんですが、前回記事(なんと4月7日付)で東武亀戸線を散策した帰り道、ここに立ち寄ったのでありました。
 それにしても、4週間もブログをほったらかしとは! その釈明弁明言い訳は、いずれさせて頂くとして(ホントにすみませんでした)、堀切駅であります。
 この駅は、その特徴的な立地や風情から、映画やTVドラマのロケによく登場するそうで、個人的には昨年末急逝した森田芳光監督の商業映画デビュー作「の・ようなもの」で、若手落語家が立ち寄ったガールフレンドの実家が、ここ堀切の設定だったのが記憶に残っています。そうそう、森田監督といえば、遺作となった「僕達急行 A列車で行こう」が3月末に封切りされていますね。テツとしては見逃せない…かな?
 昭和28年の小津安二郎監督作品「東京物語」で、老夫婦が上京して訪ねた長男の家も、堀切にあるという設定だったようです(見たのがあまりに大昔なので記憶が曖昧…)。

 そんななかで、一番ポピュラーなものといえば、やっぱりTBSのドラマ「3年B組金八先生」シリーズかな? 桜の木に沿って見える建物が、ドラマの舞台になった「桜中学」、そのロケ地になった旧足立区立第二中学校の校舎なんだそうで…。
 わかったふうなことを書いてますが、私はドラマを見た記憶がまったくないんです。放映され始めたのが80年代前半、私は30そこそこでしたから、金曜日の夜8時(金八の由来はこの放映時間かららしい)に家にいてTVを見ているなんてことは…まったくなかったなぁ。仕事が…というより、あの頃は飲むとか、打つとか…いろいろ忙しかったのでしょうねぇ~たぶん。

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桜に誘われ墨田区散歩 [ちょっとおでかけ鉄]

 東京の桜も昨日で満開とか。
 ちぃっとばかり肌寒さを感じるものの、そんなニュースを聞くとそわそわしてしまいます。
 前回ブログにて、「次回は田端&尾久の昔写真を」と宣言してしまったのですが、実はあれから持病の首肩背中痛が出てしまいました。いつものことなんですが、パソコンワーク、とりわけマウスクリックを繰り返すと塩梅が悪い。昔写真の補正…ゴミや傷取り…にはプチプチとマウスクリックがつきもので、どうにもツライんであります。
 そんなわけで、サボっているうちに桜満開の便り。撮って出しなら、細かい画像補正作業も不要…ってわけで、田端尾久は後日、ということで、今日午前中のお散歩記録でご機嫌を伺います。

 …というわけで、降り立ったのは京成の曳舟駅。墨田と桜といえば、まともな感性の方なら墨田白髭あたりの川辺の桜、向島の百花園などのよさそうですね。今墨田区の最大の話題は、、なんといってもオープン間近なスカイツリー。でもスカイツリーの最寄り駅は、京成ならばお隣の押上駅です。
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 肩痛のため、写真がちょっとナナメっておりますね。
 なんで曳舟で降りたかと申しますと…。

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田端で機関車ウォッチング [ちょっとおでかけ鉄]

 数日前、仕事の打ち合わせで久しぶりに「上京」…いや、ほんとに都県境を越えて出かけることが、めっきり少なくなってしまっているのです…午後の3時頃にはそれも片付き、山手線外回りの電車に乗っておりました。このまま日暮里で京成に乗り換えれば、4時前には家に帰り着く。でもなんだか中途半端な時間だなぁ…と、ふと思いたち、田端で途中下車。この駅で降りるのは、かれこれ35年ぶりくらい…。
 山手線と京浜東北線、その東北側に広がっていた操車場を跨ぐ橋に面して建っていた駅舎は、人工地盤上の駅ビルに生まれ変わっています。駅舎を出ると、古い道路橋と並行して、遊歩道になっている橋ができていて、「田端ふれあい橋」と呼ぶらしい。ほんとにお役人って「ふれあい」が好きだこと…。
 その橋の上から見下ろすと、かつての広大な貨物操車場は、なんとも寂しいことになっています。
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 かつては停車しているEF65の左側に見えるマルエツのビルや、駐車場の部分まで貨物操車場だったはず…。右側にちらっと写っている高架橋は、東北新幹線のものですが、その下の日があたっている線路は標準軌なので、旧貨物操車場北側部分の敷地の大半を流用した、新幹線の留置線(東京新幹線車両センター)への入出区線。その間に挟まれた6線ほどの線路が、貨物列車が行き来する操車場の名残りの部分。いまは「田端信号場駅」と呼ばれているそうです。

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還暦爺鉄「モノサク」デビュー! [ちょっとおでかけ鉄]

 表題の「モノサク」、撮り鉄のみなさんにはいまさら…でありますが、いちおう解説いたしますと、総武本線・物井-佐倉間、略してモノサク。超有名な鉄道撮影地、ということになっております。なんで有名か…というのは、追々述べるとして、私の地元からもさほど遠くないこの地に、デビューして参りました。
 じつは物井-佐倉の間では、40年以上前、ずいぶんと写真を撮ったことがあります。ただ、その頃は「モノサク」なんて言葉はなかったし、なにより今「モノサク」として名を知られている場所は、私が汽車を追っかけていた線路とは若干ズレている…。
 昭和43年(1968年)3月、総武線千葉-成田線成田の間の電化が完成しました。そのときに、物井と佐倉の間は、ルートが変わり、複線電化の新線に付け替えられたんですね。古い線路は廃止となり、新しい線路はやがて鉄道ファンの間で「名撮影地」として名をはせることになります。私は、というと、新線開通以来この地とはご無沙汰…つまり…開通から44年目にして、初めての「新線区間」の撮影に出かけた、というわけなんです。

 さてさて、ふだんは地元・市川市からめったに外に出たことのない愛車を駆って、東関東自動車道四街道インターを降ります。いきなり訳のわからない道に迷い込んでしまった私(カーナビがないのです…)、気がつけば、総武本線を見下ろす小高い丘の上におりました。

 下り電車に対して俯瞰のアウトカーブ、その先は勾配の直線が続いて、丘に突き当たる手前で右カーブして千葉方向の谷あいに向かっている。光線状態は半逆光ですが…いい場所じゃない…。折しも下りの成田エクスプレスが、軽快に坂を下って行きました。
01お立ち台?.JPG


 「モノサク」という超有名地に隣接しているとはいえ、あんまりこの場所での写真をみかけたことがない。穴場発見! と思って、帰ってから写真を大きくしてみたら、あらま、手前に無粋な電線が何本も写ってる。現場で気づけよ! って話なんですが…。

 千葉での終焉も間近い(!?)211系。後追いですが、私としては「変態二丁パンタ」側を撮りたいので、これでいいのだ。
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昭和一桁、矍鑠たり~岳南訪問記~その2 [ちょっとおでかけ鉄]

 接近しつつある台風の影響でどんよりとした曇り空の8月31日午後。岳南鉄道比奈駅に来ております。時刻は14時を少し回ったあたり。上り副本線には、昭和23年生まれの古豪・ED50形がコキ☓1+ハワム6両を連ねて待機中です。
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 電車ホームから少し離れた場所に停まっているオールドタイマーの姿に見惚れておりますと、さきほど吉原駅で見た箱型電機ED402が、コキを3両連ねて到着しました。
 吉原14:04→比奈14:21の定期貨物列車のようです。
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サボり病? ~岳南訪問記 [ちょっとおでかけ鉄]

 自転車でコケて、左腕の骨にひびがはいってしまってから2週間、今度は左をかばっていた右腕がおかしくなってしまいました。もともと頚椎にヘルニアっ気があるのですが、首がバリバリに凝って、肩から右腕にかけてズキズキ痛む。いや、何もしなければ、どうってことないのです。ただパソコンモニターを見続けたり、キーボードを叩いたり、マウスを握ったりすると、痛む。要は仕事をしようとすると具合が悪くなる。話を聞いただけなら、そんな都合のいい症状があるのか、って思いますよね。本人だって半分はそう思っている。でも牽引や鍼で治療しながら「安静に」というのが、医者や鍼灸師の御託宣。つまり「仕事をすんな!」ってことですな。

 ジタバタしても始まらないので、一週間程「仕事ヤメっ!」ということにしました。医者と鍼治療に通って、あとは家で安静に…していられるわけありませんね。仕事にまつわる動作さえしなければ、なんともないんだから…。
 若い友人(といっても50代)のY君にTEL。じつは自転車でコケた翌日、彼とひたちなか海浜鉄道を見に行こうと約束しており、彼はそのために「青春18きっぷ」を購入してくれていたのでした。先日のドタキャンの非礼を詫びて「ときに、『青春18きっぷ』まだ余っているようなら、気晴らしにどこか出かけようかと思うのだけど…」
「あっ、ちょうど私も今、仕事が暇になったところです」
 なぁんて具合に話はトントンと進み、およそ「青春」という言葉が似つかわしくないメタボな親父二人は8月31日朝、東京駅から東海道線普通列車熱海行き777Mに乗り込んだのであります。
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「パワフル☓スマイル」ちば呑み鉄三昧~その3~銚子で沈没編 [ちょっとおでかけ鉄]

 五井から小湊鐵道、いすみ鉄道と乗り継いで大原駅に到着しました。ここまではスムースすぎる乗り継ぎの連続で、ちょっとあたふたしましたが、大原では上りの外房線電車まで、45分ほど時間があります。いすみ鉄道の「急行2号」が大多喜に向けて折り返していくと、駅は閑散としてしまいました。
 真夏の日差しはすでに中天高く、じりじりと照りつけています。学校の夏休み直前とはいえ、三連休の初日、正午前となれば観光客の入り込みのピークのはず…なのに東京からの「わかしお」から降りた乗客は10人ほど。その人たちが改札を抜けると、すぐにもとの静かな駅に戻ります。
 大原には海水浴場もあり、この季節の外房の駅前のイメージは、ビーサンに水着の若者が闊歩している…はずなんですが、そんな海水浴客らしき人影はまったく見られません。
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 上りの258M千葉行きは、209系の4連。がらがらで入線してきましたが、大原ではだいぶ席が埋まるほどの乗り込み。
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 この列車を皮切りに、JR3本の列車を乗り継いで、長い長~い九十九里浜に沿って銚子に向かいます。

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「パワフル☓スマイル」ちば乗り(呑み)鉄三昧~その2~いすみ鉄道編 [ちょっとおでかけ鉄]

 上総中野駅での小湊線3A列車から、いすみ鉄道12D列車の乗り継ぎ時間はわずか6分。鉄もタバコもやらないF氏はとっとと乗り換えますが、一服つけたいhigeraman氏、一服もしたいが写真も撮りたい私がもたもたしている間に「いすみ鉄道にお乗り換えの方、発車しますよぉ~」と運転士さんに声をかけられ、あわてて乗車。
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 この列車も、座席定員ほぼいっぱいで上総中野に着いた小湊線の乗客を引き継ぎ、立ち客が出るほどの盛況ぶりです。
 いすみ200形206号。出戻り鉄の私には、いろんなことが初体験だったりするのですが、いわゆる軽快気動車に乗るのはこれが初めてです。


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「パワフル☓スマイル」ちば乗り(呑み)鉄三昧~その1~ [ちょっとおでかけ鉄]

 前回ブログでもちょこっとご紹介しましたが、いま「パワフル☓スマイルちばフリーパス」という企画きっぷが発売されています。千葉県内のJR全線と、小湊鐵道、いすみ鐵道、銚子電鉄線が一日乗り放題でおとな1800円、こども900円という破格の値段設定です。特急料金は別払いとなりますが、こりゃ千葉県民としては見逃せません。利用出来るのは7月16日から31日、8月21日から31日の間。8月の上旬、中旬こそ使えませんが、夏休み期間中に利用出来るというのも嬉しいですね。

 …というわけで、利用期間初日となる7月16日土曜日、かねてからいつかは行かねば、と心に秘めていた小湊、いすみ、銚電を一気に乗り鉄してしまおうと、真夏の空の下、出かけたわけです。
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 地元本八幡駅朝6時45分の総武線各駅停車620B。これに当ブログにタイレポートを寄せてくれたhigeraman氏が乗ってきまして合流、さらに西船橋駅ではやはり以前、福島-仙台間を走った583系「新幹線リレー号」の写真を寄せてくれたF氏が合流しての3人旅。40年来の旧友で、二人とも鉄分は皆無でありますが、真夏の一日、都会の喧騒を離れ緑の車窓を眺めながらビールでも…と無理やり誘いだしたわけであります。

 なにしろ普段あんまり出歩くことが少なくなってしまった私、総武線も地元・本八幡から先に乗るのはほんとに久しぶりで、幕張の車両基地や前回ブログに掲載した新検見川から稲毛の風景の変貌、懐かしの千葉駅など、いちいち物珍しく、朝っぱらからテンション上がりっぱなしですが、先を急ぎまして、内房線139Mにて五井駅に到着しました。
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掘った、開いた、埋めた~土気の切通し [ちょっとおでかけ鉄]

子供の頃、私の父は車好きで~というおはなしは以前にもしましたが~よく家族をドライブに連れだしてくれました。私は既に鉄道大好きなガキで、ドライブよりも出かけた先で鉄道の写真を撮ることができるか、がもっぱらの関心事、車窓に線路が見えてくると「ちょっと待ってて…」と家族を車で待たせ、やってきた列車(これがなかなか来なかったりする)と一枚パチリと写して、またドライブを続ける…なんてことをやってました。
 この写真はそんな一枚~なので、この場所で撮った写真も一枚きりです~外房線、当時は房総東線の土気-大網間にあった通称「土気の切通し」で撮影した気動車。私の立っている位置は、千葉と外房を結ぶ「大網街道」の道路脇で、画面奥の大網方向から25‰の勾配をよじ登ってきたDCは、切通しを抜け、トンネルで大網街道の下をくぐって土気駅に向かいます。(写真1)
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 この切通し、明治中頃、房総鉄道によって建設された当初はずっとトンネル区間だったそうです。しかし25‰という急勾配を蒸気機関車でよじ登った頂上近くに長いトンネルがある、というのは運転上不都合だったのでしょうか。おそらく煤煙を軽減する目的で、戦後昭和26年からトンネル上部の覆土を撤去する工事を行ない、トンネルはこのような深い切通し区間に生まれ変わったのです。地盤の関係か、切通しの途中に短いトンネルも残っていますね。

 もっともこの区間が切通しだったのは20年足らずのことで、その後、外房線の複線電化が昭和47年(1972年)夏にに完成。この区間は旧線の北側を回り込む形で、新しい複線トンネルができ、同時に大網駅も、移設して高架化、千葉から外房に向かう列車は大網でのスイッチバックを解消、スルー運転できるようになりました。
 それからはや39年…列車が走らなくなった切通し、というのはどうなるんでしょう? 線路として使われなければ、地形を不自然に切り裂いたV字谷。

 天気はぱっとしないけど、湿度が高く蒸し暑い一日、40何年かぶりに土気に行ってみました。

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