奥羽山中死の彷徨~昭和42年北上線 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 昭和42年(1967年)、1月4日早暁。
 前夜、上野発の夜行急行で旅立った私たちは、東北本線北上駅に降り立ちました。東京に較べればだいぶ緯度が高いとはいえ、夜が明けるにはまだ早く、雪が比較的少ないはずのこのあたりなのに、レールを覆うほどの積雪。漆黒の空からは激しい降りではないものの、間断なく雪が降り続けています。
 
 東北本線は昭和40年10月に、仙台-盛岡間が電化され、485系特急「やまびこ」や、455系急行「いわて」「きたかみ」が走り出しました。前年の春休みに訪れたときは、ED75の新製が遅れているのか、貨物を中心にまだかなりの蒸機列車が残っていましたが、それから10カ月、よもや盛岡以南で見られることはないだろうと思っていたC60が、明け方の寒気の中で迎えてくれました。寝不足の脳ミソがパッと目覚めます。
01C6039北上駅.jpg

 
 私たち…私と同行の鉄友A君は、これから始発の北上線…前年秋までは横黒線と呼ばれていた…に乗り換え、最後の冬を迎えている蒸気機関車D60の奮闘を撮影すべく、岩手、秋田県境に近いダム湖・錦秋湖あたりへ向かいます。
  
 ヒョウタンツギ([コピーライト]手塚治虫)の亡霊…ではありませぬ。…北上線の始発を待つ間、下り特急「ゆうづる」が雪煙を巻き上げ通過していきます。
02ゆうづる通過.jpg
 

 音もなく、北上線のホームにすべり込んできたのは、D60が推進するラッセル車。
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 始発前に峠の雪かきを終えて、もどってきたようです。分厚く車体に積もった雪が、峠の雪が半端でないことを物語っていますが…このとき、私たちはまだ本当の雪の凄まじさを知らない…。
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 北上線の始発はキハ22×2+キハユニ26の3連のDC列車。北上線の旅客列車は、仙台-秋田を結ぶ急行「あけぼの」を含めすべてDC列車ですが、かなりの本数の貨物列車が設定されていて、盛岡機関区北上支区と横手機関区に配属されていたD60の活躍の舞台となっていました。
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 二重窓で暖房がしっかりと効いたキハ22の車内で、うとうとするうちに、列車は陸中川尻(現・ほっとゆだ)駅に到着。ホームに降り立った途端、寒さとただならぬ雪の量に仰天する私たち…。
 夜はすっかり明けているはずですが、低く垂れ込めた空から間断なく降り続く雪は、風に煽られ吹雪となって、視界もままならぬ有り様です。ストーブの置かれた駅の待合室は暖かいのですが、そこから一歩外に踏み出す勇気がなかなかでてこない。
 
 ふと、朝から開いていた売店の貼り紙の文字にに気づく。「ぶどう酒あります」。どちらともなく「買っていこうか…」ということになりました。いま思うと恐らく地場産のワインなのでしょうが、ワインボトルでなく、日本酒の四合瓶に詰められていたような…。
 寒さをしのぎのアイテムを手に入れた私たちは、勇躍吹雪舞う駅舎の外へ飛び出していったのでした。ときに私たちは高校一年生(汗)…。

 前年、昭和40年の春休みに、私たちは横手から北上へ、駆け足で北上線を抜けたことがありました。そのときは、いくらか雪は残っていたものの、雨模様でそれも消えかけていました。因みにA君は、その夏にも東北本線浅虫-野内間が土砂崩落で一ヶ月近くも不通となり、特急「はくつる」「ゆうづる」が北上線-奥羽本線を迂回運転した折(どっちかは陸羽東線経由だったか?)にも当地を訪れていたはず。
 しかしこの日の天候は、そのときとは様相がまるで違っています。

 冬場の東北地方への撮影行なので、着られる限りしっかり着込み、足元は当時の定番・キャラバンシューズに防水スプレーをたっぷりとかけて、しかも道なきところにも入り込めるよう、秋葉原にあった登山用品店で「かんじき」を仕入れ…、と高校生の知恵としてそれなりに重装備しているはずなのですが…、とにかく寒い。まだ朝方、気温は零度をかなり下回っているはずで、加えて風もかなり強く、横殴りの吹雪が僅かにむき出しになった頬にあたって痛いほど…

 そんな中、線路に沿って陸中大石(現・ゆだ錦秋湖)方面へ国道を歩き始めます。
06下り貨物01.jpg


 天気が良ければ、右手には水をたたえた錦秋湖が見えているはずですが、どこまでが陸地でどこからが湖なのか…風向きや風の強さで、一瞬湖の対岸が見えたような気がしたかと思えば、次の瞬間には目の前にあるハズの線路すら殴りつける吹雪の中に姿を隠してしまうのです。
07DC2連.jpg


 さらに参ってしまったのは、現在に較べれば列車本数は多かったとはいえ、やはりローカル線。列車が通過すると、一瞬線路上の雪は払われて、レールが顔を見せるけれど、激しい降雪はすぐにそれを覆い隠してしまう。そして次の列車は、その雪をスノープローで排雪するのですが、その量と勢いが半端ではない。後追いで撮ろうものなら、車体は雪煙に霞んでしまい、雪煙が治まる頃には列車は遥かかなたで、降りしきる吹雪に姿を隠してしまうという塩梅。
08DC3連.jpg
 
09キハユニ26.jpg

10上りDC.jpg


 DCでこんなですから、蒸機列車だとどこが吹雪で、どこがケムリで、どこが雪煙なのか…。
11下り貨物02.jpg
 

 春になって雪が消える頃には蒸気機関車を全面的に置き換えてしまうはずのDD51に牽かれた貨物列車がやってきました。列車の後部で煙を上げているD60が辛うじて見えています。
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 吹きっさらしのD60のキャブに較べ、ディーゼルの運転席は暖かいんだろうな。
13上り貨DD51_02.jpg
 

 あ、でもSLも石炭の焚き口を開ければ暖かいか…。
14上り貨後補機.jpg
 

 いかん、長時間吹雪の中にいて、身体は芯まで凍え思考回路が怪しくなっています。
 
 上手い具合に線路際にブロック積みの保線小屋が見つかりました。扉にカギはかかっておらず、失礼して荒れ狂う白魔から避難させて貰う。寒いは寒いのですが、リュックから「ぶどう酒」の瓶を取り出し、二人で回し飲み。アルコールが胃の腑に落ちるとカッと身体が暖まるような気がして、ようやく人心地がつきました。
 見ればA君、旨い旨いと残っているワインをラッパ飲みしている。四合瓶はあっという間にからっぽ。
 少し身体が暖まってくると、どっと夜行列車の疲れが出てきて睡魔が襲ってくる。
「眠くなってきたなぁ…」「いかん、ここで眠ったら死ぬぞ」と、漫画のような会話も半分はマジ。
 そんな線路際の小屋には、列車が接近してくると、雪に埋もれていてもレールのジョイントの響きが伝わってくる。
「来たぞ」「撮るか?」と、小屋から出ていくものの、撮影ポジションを取るどころではない。A君に至っては、列車にカメラも向けてないし…。
15保線小屋.jpg


 どちらともなく、「帰ろうか」ということになり、いっこうに吹雪の収まらぬ国道に出て駅に向かう。クルマが通ったら乗せてって貰おう、なんて励まし(?)あうも、クルマ一台、人っ子ひとり通らず駅までの道のりの遠かったこと…。いま地図で見てみると、1キロちょっとの距離なんですけどね…。
16下り貨物.jpg
 
17下り貨物後追い.jpg


 這々の体で陸中川尻の駅に戻ってきました。待合室で赤々と燃えるストーブにあたって濡れた靴を乾かしていると、下りの横手行き列車が到着。そういえば、想像を絶するような大雪なのに、列車はほとんど遅れている様子もなくやってくる。
18川尻駅下りDC.jpg
 

 陸中川尻は、北上線のちょうど中間くらいに位置するちょっとした規模の町。見ていると横手からの北上行きも到着。雪まみれの列車から、大きな荷物を抱えた大勢の乗客が下車してきたのにはちょっとびっくり。
19川尻駅上下交換.jpg
 

 薄い煙を上げながら、北上行きのDCが発車していきます。
20川尻駅上り出発.jpg
 

 私たちは、というと、待合室のストーブから離れられず、時刻表を引っぱり出してこの後の行動の検討会。すると上りの副本線に、D60が牽く貨物列車が到着しました。
21川尻駅D6072_01.jpg
 

 この駅で、秋田発仙台行きのDC急行「あけぼの」を待避する模様。私たちはその「あけぼの」で北上に出て、下りの「むつ」に乗り換えて盛岡に向かうことになったようです。

 お目当てのD60とようやくじっくりご対面…、といっても、横手から県境の峠を越えてきたD6072は、苦闘を物語るように、あらゆる空間をびっしりと雪で埋め尽くした姿…圧倒されて言葉もないままシャッターを切り続ける。
22川尻駅D6072_02.jpg
 

 高温の炎と蒸気とケムリを、その体の中に蓄えた蒸気機関車とはいえ、少しでも表面温度が低いところには容赦なくまとわりつく雪、雪…。
23川尻駅D6072_03.jpg
 

 待避停車のさなかも、機関車の点検に余念のない機関士。
24川尻駅D6072_04.jpg
 

 釜石線のD50/51、山田線のC58とともに、北上線のD60の煙突には特異な形の簡易集煙装置がつけられていました。お世辞にも恰好いいとはいえないけれど、岩手の山線区間でのみ見られたスタイルでした。そんなD60の活躍も、あと二ヶ月余りのことです…。
25川尻駅D6072_05.jpg


「あけぼの」が到着しました。乗り込んだキハ58の車内は、嘘のように暖かで快適な空間。ヘタレの都会っ子高校生も、ようやく一息つきます。
 走り出した列車はすぐに雪煙を巻き上げながら加速していきます。さきほどまで、寒さに凍えていた保線小屋も、窓の上まで雪煙に霞んで、ようやく暖まってきた身体は襲ってくる睡魔の任すまま…。
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みやちゅう

こんばんは
素晴らしき撮影行でしたね。ほんと都会人の恐いもの知らずです
実は自分も雪の飯山線にC56を追いかけたある年の正月に経験
しました。この年は中央本線のD51を木曽路に記録し その後
長野から桑名川ー上桑名川そして最深記録がある森宮野原まで
足を伸ばしました。正月で飯山駅でスキー臨がC12だったように
記憶しています。そうそうその駅間までまったく冬装備なしで行った
んですよ 考えたら全く無知としかいいようが無い無謀旅でした。
by みやちゅう (2012-01-04 20:27) 

manamana

雪に体当たり、ちょっと無茶な、でも貴重な記録ですね。
雪にもめげずダイヤ通りの列車が頼もしく感じました。
by manamana (2012-01-04 22:57) 

伊 騰

雪の中の蒸機は、なるべく避けていました(笑)。
体験したのは、只見線小出口のC11ぐらいですねぇ。

by 伊 騰 (2012-01-05 01:15) 

hanamura

凍える映像です。部屋を暖めてからゆっくり見ます。
by hanamura (2012-01-05 05:50) 

よしくん

こんにちは。
凄い雪ですね!そして凄い寒さだと伝わってきます。
本当に昔は日本の雪は凄いと聞きます。
生前のおばあちゃんも言っていました。私が生まれた新潟は昔は
雪で玄関は2階になるんだよと いつもへぇ~と聞いてましたが
今回の写真を見ると本当だったと理解できます。
いつも拝見させて頂きありがとうございます。(^^)
by よしくん (2012-01-05 15:19) 

maipenrai

みやちゅうさん
 冬装備なしで森宮野原とは凄い! 鉄道の積雪記録ホルダーが森宮野原というのは、私も子供の頃なにかで読んだ記憶があるのですが、深名線という説もありますね。どちらも凄そうですが…。

manamanaさん
 雪が数センチ積もっただけですぐ電車が停まってしまう首都圏ってどうよ、って言いたくなりますね。そういえば、新幹線も昔は「雪に弱い」と言われていましたが、最近はあんまり聞きませんね。

伊 騰さん
 降ったら降ったで姿が隠れてしまうし、晴れればコントラストが強すぎて…。確かに雪の白と蒸気機関車の黒は、写真にするのは難しいですね。そういいながら、この歳になっても雪が降ると嬉しくて、ついカメラを持って出かけてしまうんですが…(あまり降らない地域に住んでいるせいかも)。

hanamuraさん
 真夏の暑い盛りに公開したほうが、涼んでいただけたかも…(笑)ですね。

よしくんさん
 新潟の大雪といえば、私が小学校の頃のサンパチ豪雪(昭和38年)が有名ですね。当時新潟と上野を結んでいた急行「越路」が、行く手をはばまれて100時間以上遅れて上野駅に到着したときのニュース映像を覚えてます。雪まみれの牽引機EF58を見て、へ~、5日も雪に閉じ込められていたのに、機関車交換もしないでそのまま牽いてきたんだ…と妙なことに感心したものでした。

xml_xslさん
シュウチャンさん
フジトモさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-01-05 18:02) 

あおたけ

雪ダルマになった蒸機はスゴい迫力ですね!
安全運行する方はもちろん大変でしょうが、
これは撮影する方も命がけですね〜!
線路脇で撮影していたら、雪煙をモロにかぶって、
まさに雪だるまと化してしまうのではないでしょうか・・・。
by あおたけ (2012-01-05 18:20) 

Cedar

学生の頃は私も、北海道などにこういう写真を撮りに行ったことがあります。
雪国に行くと鉄道のたくましさ、人々の信頼感が感じられたものでした。雪まみれのDCの姿に痺れますね!こういうのが駅に入ってくる姿は感動します。
by Cedar (2012-01-05 19:33) 

maipenrai

あおたけさん
 激しい吹雪には手も足も出ない、まさに雪「ダルマ」状態でした(笑)。現代の性能の良いデジカメは、昔では絶対無理だった夜間撮影を可能にするなど、表現領域が大きく拡大していますが、こういう吹雪だとどうなるんでしょうか?

Cedarさん
 都会のチャラい高校生でも、鉄路が人々の暮らしをつないでいて、その鉄路を守っているのもまた人間である…ということが実感できましたね。この撮影地もいまは秋田自動車道なんてものが走っているようで、人々の暮らしもクルマ中心になっているんでしょうけど…。
>北海道などにこういう写真を撮りに
 雪景色の中の「ニセコ」C62重連(遠景)…だけってことはないですよねぇ…。Cedarさん版「鉄道員(ぽっぽや)」的世界を、いつか拝見できるのではないかと、密かに期待しているのですが…。

素人写真さん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-01-05 22:27) 

gardenwalker

こんばんは
昔は夜行列車がたくさん走っていましたね~
鈍行の夜行もまだまだあって・・・
中央線長野行き、上越線長岡行き、大垣行き・・・
私も高校生の頃は夜行列車でよく出かけました
でもすごい体験をなさっていますね!
一歩間違うと新聞にでも出てたかもですね
今となってはいい思い出ですね
by gardenwalker (2012-01-06 00:37) 

田淵啓一郎

はじめまして。
私はスターバックスコーヒージャパン株式会社 店舗設計部の田淵と申します。
突然このような書き込み失礼します。

実は弊社で計画中の店舗にmaipenraiさんがブログで掲載されていた写真を使わせていただけないかと思いまして、他に御連絡する手段がなかったので、このコメント欄に書き込みさせていただきました。
大変恐縮ですが、このコメントをご覧になりましたら下記アドレスまで御連絡いただけないでしょうか?
どうぞ、よろしく御願いいたします。

スターバックスコーヒージャパン株式会社
店舗設計部 田淵啓一郎
e-mail:KeiichiroTabuchi@starbucks.co.jp
phon: 03-5412-8268

by 田淵啓一郎 (2012-01-06 16:04) 

maipenrai

gardenwalkerさん
 まだ夜行バスもなく、安いビジネスホテルもほとんどなかった時代で、遠距離旅行は夜行ででかけるのが普通でしたね。もちろん寝台なんて高嶺の花で、空いていればボックス席の座面をはがして通路に敷いて(オイオイ)…。逆に混んでいると車内に入れず、真冬の客車のデッキで新聞紙にくるまって寝たこともありました。
 昭和46年に新田次郎さんが、実際にあった遭難事件をベースに「八甲田山死の彷徨」という小説(本記事のタイトルはもちろんこのパクリですw)を書かれているんですが、このときの体験のおかげで(厳しさのレベルは大違いでしょうが)リアリティを感じながら読んだことを思い出します。

パルの大冒険さん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-01-06 18:08) 

D6025

大変貴重な豪雪の北上線を行くD60を公開頂きどうもありがとう御座います。残念ながら北上線のD60には会う事が出来ませんでした。今迄雑誌や近年にWEBで公開されている分も含めD6072の映像は初めてです。
しかも稼働中。唯一此処で働き郡山から九州へ転属した52、71に後年磐越東線と九州で合う事できたのが慰めです。今後も貴重な映像の公開を
期待して楽しみにしております。
by D6025 (2012-01-07 14:52) 

maipenrai

D6025さん
 D60は改造された両数も多く、活躍範囲が全国に広がっていましたが、迂回列車とは家ブルートレイン牽引の実績があるのは、横黒・北上線のだけでしょうね。大正の鎧をまといながら、従台車の部分だけは妙に近代的なところが面白かった気がします。全車郡山工式の集煙装置つきでしたが、アレは好みが別れるところだったかも知れません(私は嫌いじゃないんですが…)。

SpeedBirdさん
しまりすさん
ねじまき鳥さん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-01-08 17:36) 

FTドルフィン

なんて言ったらいいか
雪国の営みがすごく感じられる映像ですね
すばらしいです。
by FTドルフィン (2012-01-21 08:19) 

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