豪雪の青森~昭和42年~その1 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

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 前回の北上線の記事の続き…なんですが、新年早々中4日も開いてしまいました。イカンなぁ…横着癖は、年が開けてもいっこうに治りません。

 さて、高校1年生の冬休みを利用しての東北旅行、北上線の豪雪を体験した後は、盛岡、滝沢を経て花輪線の龍ヶ森へ。駅併設のオハ31系客車を利用したヒュッテに泊り、翌日は午前中、峠に挑むハチロクを追っかけたあと、そこまで同行していた鉄友・A君と別れて別行動…だったよう…。私は前日ちょこっと撮影した滝沢駅近辺の風景がが気に入って再度立ち寄り。そして14時前に好摩を発車する仙台発のディーゼル急行「むつ」で青森に向かいます。今日は1月6日。9日からは学校が始まるので、8日には東京に戻っていなければなりません。



 45年前の大雪の東北への撮影行、どんな行程をたどったのか、記憶もさだかでないのですが、手元に「SL甲組の肖像1」所収の、昭和40年10月1日改正ダイヤ表があり、それを元に記憶を辿っていくことにしましょう。
 東北本線筋は、雪は積もっているものの、沼宮内を過ぎるあたりまでは日が射して、暖房の効いたキハ58の車内はいたって快適。三重連の撮影名所、奥中山もなんなく越えて…なんですが、峠を上るに連れ雪がチラチラと舞い始めました。
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 なんだか上りの列車が遅れているようで、ダイヤの上では峠を下る途中、小繋(こつなぎ)あたりですれ違うはずの上り「むつ」106Dと交換したのは、だいぶ尻内に近づいた剣吉駅…たぶんです、駅名票がひらがな4文字なので…。2時間近く遅れているようです。
02剣吉駅上りむつ.jpg


 尻内(現・八戸)駅。ここまで多少遅れながらも快調に飛ばしてきた下り「むつ」ですが、ここでバッタリと動かなくなっていまいました。定時だと15時30分ごろの出発の予定が、駅には早くも夕闇が迫ってきています。カレチさんも手持ち無沙汰そう。
03尻内駅.jpg


 尻内を1時間近く延発した「むつ」。残る青森までの100キロ足らずの行程は闇の中。北上するに連れ、暗い窓の外は吹雪が舞いだしたらしく、長時間停車を繰り返しながらじりじりと進んでいきます。対向列車もご覧のような雪だるまで到着。
04吹雪の列車交換.jpg


 青森が近づくと、東北線下り列車の恒例、青函連絡船の乗船名簿の配布が始まります。憧れ続けていた青函連絡船、そして北海道ですが、津軽海峡を渡ることができたのはこれから2年後。しかもその時はカメラもなく、テツへの情熱も冷めかけていた頃でした…。

 結局終着青森に到着したのは、2時間あまり遅れた20時近く。海峡を渡ってくる北風に煽られた吹雪の中、予約していたユースホステルまでの道のりが遠かったこと…。

 明けて1月7日。一晩中荒れ狂っていたらしい吹雪も、朝方ユースを出る頃にはやんでいました。車道と言わず歩道と言わず降り積もった雪をラッセルするように、歩いて向かった先は青森よりひとつ東京寄りの「浦町」駅。
05浦町駅標.jpg


 線路は除雪されているけれど、ホームにはうずたかく積もった雪。終着駅を目前にした夜行急行「第一十和田」が通過していきます。牽引するDD51重連には、雪の峠は超えていたのか、苦闘の跡はみられません。
06第一十和田.jpg


 エンジンの音も高らかに、雪煙を巻きあげてやってきたのは、青森を出発したばかりの「三陸」104D。気動車の特性をフルに生かした「多層建て列車」として有名だった列車で、基本編成は青森をキロ2両を連ねて発車し、尻内で久慈からやってきた編成を、さらに一関で盛発の編成を併結して東北線経由で長駆、上野に到達するのは夜の10時近くです。
07急行三陸.jpg


 浦町駅の南側には、広大な青森操車場が広がっていました。東北線にも奥羽線にも直行できる配線を持った大規模な貨物ヤードに、客車区、扇形庫と転車台を2セット持つ大きな機関区がひしめく、国鉄本州最北の大現業機関。
08雪に埋まった操車場.jpg

 この朝も、入換の9600形蒸気機関車が盛んに煙をあげていますが、除雪の済んだ線路はまだ一部で、多くの線路は雪に埋もれたまま…。手前の雪原のように見える辺りにも、その下には仕訳のためのレールが敷かれているはずです。

 線路と線路の間には、雪の壁が立ちふさがり、横断することもままならない。
09入換する9600.jpg


 近所のおばさんたちなんだろうか、大勢の人々が動員されていて、除雪作業に精を出す。
10_39663と除雪作業.jpg


 胸の高さまでありそうな雪の壁。周密に線路が入り組んだ操車場では、ラッセルで脇に寄せただけでは、隣の線路を支障してしまうわけで、人の手による除雪が必要なようなのです。
12_29682&除雪作業.jpg


 除雪作業を続ける人々のかたわらを、DD51重連に牽かれた特急「ゆうづる」が終着青森へ向けてラストスパートをかける。
13ゆうづる.jpg


 キューロクの後ろに連結されているのはラッセル車。ポイントの掘り起こしや除雪はとりわけ入念に…。
11_19652.jpg


 単線式のラッセルでは、線路の両側に雪の壁ができてしまうので、操車場では雪を片側に寄せる複線式ラッセルの出番のようです。D51に押されて作業中の、キ550形かな?
16複線式ラッセル.jpg


 こちらは単線式のキ100形キ232号。車両分類的には除雪車は貨車の範疇なんだそうです。知りませんでした。
17キ232.jpg


 雪に閉じ込められてしまった気動車たち。しばらく動けそうにありません。
14雪に埋まった車両基地.jpg


 構内で煙を上げる49637。傍らにある詰所の屋根から垂れ下がったつらら。
18_煙を上げる49637.jpg

19つららが….jpg


 津軽線で運用されていたC11。
15C1194.jpg


 機関区にやって来ました。転車台を取り囲む機留線も、扇形庫以外の露天部分はまだほとんど雪に埋もれたまま。
20_D51474.jpg


 扇形庫に待機していたC6130が出庫して転車台に乗る。ようやく日がさしてきて、機関区の中も活気づいて来ました。
21扇形庫C6130.jpg


 45年前、大雪に見舞われた青森への撮影行。次回は大型機がひしめく機関区と、津軽海峡を望む青森駅の情景をご覧いただきます。

 続きます。
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みやちゅう

こんばんは
正月気分ももう九日 冬晴れの関東では北国の白い悪魔の認識が
忘れがちになります。40数年前の北の国ではこのような日々が続いて
いたのですね。本当に当たり前に有った風景のように見えますし、
こんな風景を体験的に知っています。
青森には昭和46年に初めて行ったので 津軽線のC11は青森駅で遭遇していますが、その他の機関車はC61くらいです。
青函連絡船の乗船票を知っている方も少なくなったかな?
懐かしの昭和の記録 本当にうれしく思います。

by みやちゅう (2012-01-09 22:14) 

hanamura

ドキュメンタリー・ドラマ2時間物・・・見た感じです。
by hanamura (2012-01-09 22:31) 

gardenwalker

こんばんは
雪かきをしている人たちの格好が
なんか昭和を物語っていますねー
祖母が畑に行くときにあのような
格好をしていました
とても懐かしいです
by gardenwalker (2012-01-09 22:36) 

Cedar

雪国のSLの撮影ってストイックっていうか、道を究める、ってな感じですね。
そこ行くと私のやってる都会の電車ときたら、周りは開けてるし楽なモンでした。





by Cedar (2012-01-10 16:56) 

maipenrai

みやちゅうさん
 青森は夏にも行っていますが、やはり厳寒期の風景が忘れがたいです。ヨン・サン・トオで東北本線から消えてからも、奥羽線で3年、宮崎で3年。ハドソン三兄弟の中ではC61は長生きでしたね(今も生きてますが…)。このときはDD51にかなり奪われてはいましたが、一部に急行を牽引する運用も残っていました。

hanamuraさん
 やはりテーマ曲は中島みゆきで? 因みに「津軽海峡冬景色」は72年の作品だそうです。ということは「上野発の夜行列車」が青森駅に着いた時、引っ張っていた機関車はED75?

gardenwalkerさん
 ずきんというのか、ほっかむりというのか、あれは冬の東北のおばちゃんたちの定番でした。私が行った場所の中では、津軽のおばちゃんのコトバが一番聞き取り&理解が難しかった気がします。

Cedarさん
 のちの北海道のSL終焉の頃は、一週間も宿は夜行列車…なんてツワモノが多くいたようですが、このころの私は高校生の分際で、毎晩暖かいおふとんで寝ていたのですからユルい旅です。ただメシは切り詰めていたので、後年、冬の北国へ行くと、夜になれば街に繰り出して散財…アレ、ストイックって意味が違いますね。

xml_xslさん
manamanaさん
nexus6さん
シュウチャンさん
よしくんさん
 niceありがとうございます。

by maipenrai (2012-01-10 18:35) 

あおたけ

前回に続き、冬の東北の厳しさを物語るお写真ですね。
列車だけではなく、除雪作業にあたる方たちにもカメラを向けるとは、
高校生とは思えない視野の広さですね!
by あおたけ (2012-01-11 09:32) 

maipenrai

あおたけさん
 いや…当時の自分のナンパな気質を思うに、別に社会派気取りだったとも思えず、皆さんが働いているところで、小僧がウロウロして…なんかアリバイ作りのようにカメラを向けていたんではないか、なんて考えてるんです。機関車だけを撮った写真もあるんですが、下回りは雪に隠れていて、つまらない…。
 ガキの目で撮った写真を、爺の目で選んで…ってことで、ご容赦下さいませ。

パルの大冒険さん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-01-11 21:46) 

伊 謄

96の後ろにワキフでしょうか、大型の有蓋緩急車が写っていたのが!でした。
この貨車には会ったことがなかったんです。
by 伊 謄 (2012-01-11 22:07) 

maipenrai

伊 謄さん
 写真を拡大してみたら「ワムフ139」と車番が読めました。ボギー車の貨車は、黄色い帯を巻いて「急」と大書きしたのを連ねた編成が、よく秋葉原の貨物駅(今のヨドバシあたりでしょうか?)に停まっていたのを思い出しました。この頃から「急貨」というのは見なくなって、高速貨物はコンテナに置き換わっていったんでしょうね。
by maipenrai (2012-01-12 20:12) 

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