本州北限のハドソンたち~昭和42年1月 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]
昭和42年1月67日、津軽海峡に面した青森駅の南東にあった広大な青森操車場、その中でも一番南側に位置していた青森機関区にやってきています。
前夜からのドカ雪は、広い操車場を一面の雪原に変えてしまいましたが、早朝からの除雪作業で、東北線や奥羽線の基地としての徐々にふだんの活気が、蘇っています。
中でも動力車基地としての機関区は、除雪も早くから進んでいて、大規模な扇形庫と転車台を中心に、機関車が活発に出入りをしていました。
煙突の両側に立てた整風板が特徴的なC6130が、扇形庫から出区、巨大な身体を転車台に乗せています。
そんな光景を撮っていたら、庫内手の方から「俺達を撮ってくれ」とリクエスト。
青森機関区の扇形庫は、風雪に備えて各番線に巨大な扉が設置されていました。
夜っぴて列車を牽いていたのか、豪雪の痕跡を残したまま庫内に休むC6120。
仙台機関区所属で馴染みだった機関車ですが、前年10月、仙台-盛岡間の電化に伴い同僚C6111、19、24、29らとともに青森区へ転出。同時に青森区からC611、17、23が仙台へ移動しますが、仙台区に残った仕業は常磐線のみ。おそらくほとんど使われることのないまま、同年夏には廃車になっています。
青森区のプロパー、C6122はほとんど雪をかぶってませんね。昨晩は庫内でゆっくりおやすみだったんでしょうか。
もともとは8両が配置され、仙台からロングランでやってくる同区のC61の補完的存在だった青森のC61ですが、この年、昭和42年秋、常磐線北部の電化が完成しすると、職を失った仙台に残留するC61を迎え入れ、一挙に14両のC61が青森に集うことになりました。しかしそれも翌43年、ヨン・サン・トオ改正で盛岡-青森間の電化が完成するまでの1年ほど。その後46年10月までの3年間は、奥羽線秋田-青森間用として6両が残され本州最後のC61として活躍、しかもその6両は奥羽線電化後、遙か南の九州宮崎に配転され、3年余り活躍を続けました。その一員だったC6120号機のその後については、皆さんよくご存知のとおりです。
転車台回りに積もった雪が、黒く汚れています。蒸気機関車のシンダーを浴びやすいせい、だけではなく、凍結とすべり止めのため、アス殻(蒸気機関車の石炭の燃えカス)を撒いていたせいのようです。
DD51も足回りに雪を巻き込み精悍な姿ですが…。
精悍さでいえばやっぱり蒸機にかなうものはいませんネ。
日はすでに高く、除雪も一段落したのか、機関区の周辺はいくらかホッとした空気が流れています。
白い雪がレフ板となって、C60のメカニカルな足回りを黒光りさせる。
盛岡機関区のC6016が出区していく。
転車台に乗るC606。これも盛岡の所属機。
青森区のC6030が出区のため転車台に乗ったのを潮に、機関区を辞して青森駅へ向かうことにします。
待機する奥羽線用のDF50の向こうに、格好の跨線橋がある。
これ幸いとのぼってみると、青森駅のほうから、北海道から航走されてきたコンテナ車でしょうか…を牽いて、キューロクが白煙をたなびかせてやってきました。
カーブの右手奥は、陸奥湾に突き当たる青森駅。直進方向への線路は、奥羽線へ直通する短絡線です。
暖かさを感じる陽光に、郊外の丘陵もうす霞んでいます。操車場では、まだまだ除雪作業が続いているようです…。
今日1月11日で、拙ブログは一周年を迎えました。飽きっぽい私がなんとか1年続けられたのも、コメントやniceをいただいた皆様のおかげと感謝しております。
年末ぐらいの計画ですと、青森シリーズは1周年前に完結して、華麗に2年目の新企画(まだ何~んも考えてないんですが…)をスタート、なんて目論んでいたのですが、私の怠惰からもろくも構想が崩れまして…。
そんなわけで、もう一回、昭和42年東北シリーズにおつきあいくださいませ。次回、青森駅編へ続きます。
前夜からのドカ雪は、広い操車場を一面の雪原に変えてしまいましたが、早朝からの除雪作業で、東北線や奥羽線の基地としての徐々にふだんの活気が、蘇っています。
中でも動力車基地としての機関区は、除雪も早くから進んでいて、大規模な扇形庫と転車台を中心に、機関車が活発に出入りをしていました。
煙突の両側に立てた整風板が特徴的なC6130が、扇形庫から出区、巨大な身体を転車台に乗せています。
そんな光景を撮っていたら、庫内手の方から「俺達を撮ってくれ」とリクエスト。
青森機関区の扇形庫は、風雪に備えて各番線に巨大な扉が設置されていました。
夜っぴて列車を牽いていたのか、豪雪の痕跡を残したまま庫内に休むC6120。
仙台機関区所属で馴染みだった機関車ですが、前年10月、仙台-盛岡間の電化に伴い同僚C6111、19、24、29らとともに青森区へ転出。同時に青森区からC611、17、23が仙台へ移動しますが、仙台区に残った仕業は常磐線のみ。おそらくほとんど使われることのないまま、同年夏には廃車になっています。
青森区のプロパー、C6122はほとんど雪をかぶってませんね。昨晩は庫内でゆっくりおやすみだったんでしょうか。
もともとは8両が配置され、仙台からロングランでやってくる同区のC61の補完的存在だった青森のC61ですが、この年、昭和42年秋、常磐線北部の電化が完成しすると、職を失った仙台に残留するC61を迎え入れ、一挙に14両のC61が青森に集うことになりました。しかしそれも翌43年、ヨン・サン・トオ改正で盛岡-青森間の電化が完成するまでの1年ほど。その後46年10月までの3年間は、奥羽線秋田-青森間用として6両が残され本州最後のC61として活躍、しかもその6両は奥羽線電化後、遙か南の九州宮崎に配転され、3年余り活躍を続けました。その一員だったC6120号機のその後については、皆さんよくご存知のとおりです。
転車台回りに積もった雪が、黒く汚れています。蒸気機関車のシンダーを浴びやすいせい、だけではなく、凍結とすべり止めのため、アス殻(蒸気機関車の石炭の燃えカス)を撒いていたせいのようです。
DD51も足回りに雪を巻き込み精悍な姿ですが…。
精悍さでいえばやっぱり蒸機にかなうものはいませんネ。
日はすでに高く、除雪も一段落したのか、機関区の周辺はいくらかホッとした空気が流れています。
白い雪がレフ板となって、C60のメカニカルな足回りを黒光りさせる。
盛岡機関区のC6016が出区していく。
転車台に乗るC606。これも盛岡の所属機。
青森区のC6030が出区のため転車台に乗ったのを潮に、機関区を辞して青森駅へ向かうことにします。
待機する奥羽線用のDF50の向こうに、格好の跨線橋がある。
これ幸いとのぼってみると、青森駅のほうから、北海道から航走されてきたコンテナ車でしょうか…を牽いて、キューロクが白煙をたなびかせてやってきました。
カーブの右手奥は、陸奥湾に突き当たる青森駅。直進方向への線路は、奥羽線へ直通する短絡線です。
暖かさを感じる陽光に、郊外の丘陵もうす霞んでいます。操車場では、まだまだ除雪作業が続いているようです…。
今日1月11日で、拙ブログは一周年を迎えました。飽きっぽい私がなんとか1年続けられたのも、コメントやniceをいただいた皆様のおかげと感謝しております。
年末ぐらいの計画ですと、青森シリーズは1周年前に完結して、華麗に2年目の新企画(まだ何~んも考えてないんですが…)をスタート、なんて目論んでいたのですが、私の怠惰からもろくも構想が崩れまして…。
そんなわけで、もう一回、昭和42年東北シリーズにおつきあいくださいませ。次回、青森駅編へ続きます。
SLの勇壮な姿を間近での画像すばらしい、こんな撮影ができたんですね昔は。前回もだけど、大雪の中寒さの中写真を撮りに行くという行為に脱帽、すごい鉄ちゃんがいたんだ>
by TAC (2012-01-12 05:44)
雪との戦いですね。
そうすると写真を撮るのは戦場カメラマンというところ、
迫力ある訳です。
by manamana (2012-01-12 06:18)
こんばんは
青森青春の記録シリーズ 歓迎です
雪晴れの機関区周辺 本当に現場はこんな雰囲気でしたね
カメラがやっと庶民の周辺で当たり前に使われ始めた頃
こうした現場の職員は気さくにアングルに入ってくれました。
さて 北のC61 奥羽電化の夏 最後の記録に出向きました
二日間撮影 大館からのった青森行き 833レで
釜はC6119 浪岡ー大釈迦間で機関車キャブに乗せてもらった
事が有ります。数年前にD51 このときは関西本線
またしても貴重な経験をしたのでした。
我が家のC6120の写真は青春の記録を今も語っています。
by みやちゅう (2012-01-12 18:19)
TACさん
スキーなどはやらないのですが、昔から雪は大好きでした。いまも雪が降ると、意味もなく出かけたりしますが、どちらかといえばこたつに入って熱燗雪見酒…の方に惹かれます(笑)。
manamanaさん
こらこら、戦場を高校生がカメラ持ってウロウロしてるんじゃない(笑)。それはともかく、毎度の話になりますが、どこに行っても現場では親切にしてもらった記憶ばかりです。お茶をごちそうになって、いろいろ話を聞かせてもらったり…。
みやちゅうさん
C61のキャブに添乗とはうらやましい。私も御殿場線のD52と、新鶴見のハンプ押し上げのD51に乗せてもらったことがありますが、こちらはダンプカー、C61は高級車(笑)。
冗談はともかく、職員さんに「写真を撮ってくれ」といわれたこともずいぶんあります。お名前も聞かずに撮った写真を「区へ送っといてくれ」で、ホントになんどか送ったことがありますが、届いたんだろうか。今だったら「勤務中に何やってるんだ」と問題視されることは必定。窮屈な世の中です。
hanamuraさん
xml_xslさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-01-12 20:35)
シュウチャンさん
フジトモさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-01-12 21:58)
このシリーズ、ただただウットリと見入ってしまうのであります。
by nexus6 (2012-01-12 22:27)
唐辛子食べて温まったので、素晴らしい画像を楽しんでます!
もっと!もっと!・・・って、欲張りしたくなります。
by hanamura (2012-01-12 22:54)
雪中でモデルさん達(蒸機)は何時もの何倍も魅力的です。C6122を除いてこのモデルさん達には会ったり撮影したりした記憶があります。この頃は
何処へ行っても現場の方々がとても親切で仕事に誇りを持って居られました。その様子が伝わってくるような写真と解説、有難う御座います。
by D6025 (2012-01-13 14:41)
nexus6さん
連日の寒さに、線路際に立つ元気もなく、昔写真と戯れています。ネが傷をレタッチしているだけで、一日が過ぎてしまう…っていうのもいかがなものかと…。
hanamuraさん
年取ると、皮下脂肪が減ってきて寒さに弱くなってます。カプサイシン効果で少しテンションを上げなくては…。
D6025さん
まったく、好き放題やっていられた時代でした。我々ファンの憧れと、現場の方々の誇りがうまい具合にシンクロしていた蜜月時代と言えるかもしれませんね。
パルの大冒険さん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-01-13 22:33)
蒸気は1台1台、個性があっていいですよね
しかし、一連のお写真を見ていると
人の仕事が沢山あった時代・・・
営みが暖かだった時代を
とても感じますね。
タイムマシーンがあったらなぁ〜(笑
by FTドルフィン (2012-01-21 08:30)