昭和41年の都内ドライブ~都電を眺めながら~ [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 大昔のネガを眺めていると、その写真を撮ったシチュエーションがどうにも思い出せないことがままあります。35ミリフィルムだと、1スリーブに6カット写っているので、前後の関係もつかみやすいのですが、フィルムの最初や最後に1コマ2コマ、バラけたものがあります。それがまた、迷子になりやすい。この写真もそんなひとつです。
 建物が密集した街並みの中を走って来る都電、系統番号の「4」は読めるし、形式も1000形のようです。どこかのビルから見下ろしているようですが、まったく覚えがありません。4番の都電は五反田駅前から清正公前、古川橋を経て一の橋で右折、赤羽橋、芝園橋を通って、金杉橋で第一京浜に突き当たり、それを左折して新橋から銀座まで走ります。
02_1044金杉橋.jpg


 街の佇まいからすると、電停にやたら「橋」がつくあたり、一の橋から金杉橋にかけての風景のような気がします。
 次のカットは同じ電車が交差点の電停で止まっている。交差する道路にも都電の線路が走っているようですが…、このあたり、4番の都電は赤羽橋で3番と、芝園橋で37/2番と、金杉橋で1番とそれぞれ交差(合流)するわけで…。いずれにせよ、このあたりの街を見下ろすビルに知り合いはいないし、潜り込んだ覚えもありません。
03_1044金杉橋.jpg


 思いついて写真を拡大してみると…電停の表記は読めそうで読めない…アレ、電車の屋根の四隅に、日の丸の小旗が立っている…ってことは撮影したのは祝日ですね…。
02_1044金杉橋up.jpg


 この旗でようやくピンときました。実はクルマで走りながら助手席から都電を撮っている一連のネガがあるのですが、そこに写っている都電が、みんな日の丸を掲出していて…。するとこの2枚はそれらの前に撮ったもの。私はこの日、クルマで移動しているから…、なぁんだ、私は平行している首都高速環状線の上から撮影しているんですね。よく見りゃあ最初の写真に首都高の橋脚が写ってるし…。
 いまの首都高速環状線の交通量を考えると、路肩や駐車帯に車を止めて撮影するなど、考えられませんが、昭和39年秋に浜崎橋JCT - 芝公園間が開通した後、残る芝公園 - 霞が関JCTが開通して都心環状線が完成するのが昭和42年夏のこと。芝公園の外回り出口も、盲腸線の終点みたいな感じで、のんびりしていたのかもしれません。
 地図と道路のカーブの具合をにらめっこして、どうやらこの交差点は金杉橋らしいこともわかりました。

 というわけで、前置きが長くなりましたが、昭和41年晩秋の休日、天気はいまいちパッとしませんが、都電を追っかけながらの都内ドライブにご案内しましょう。

 クルマに囲まれて走る7500形。系統番号は「10」、行先表示は「青山車庫」、線路は単線。渋谷駅東口から宮益坂を上り詰めたあたりですね。渋谷駅に向かう電車は、いまの246になっている右側の坂を下って行きます。ところであの坂、なんていう名前なんでしょうね?
04_7514宮益坂.jpg


 東京オリンピックで拡幅された広々とした青山通りを走ります。6000形が止まっているのは青山一丁目の交差点ですね。
05_6163青一.jpg


 クルマは青一を右折して、青山墓地沿いの道を下って行きます。首都高速の大きな橋脚から「6」番の7500形が顔をのぞかせる霞町交差点。もうこの頃は「西麻布」になっていたのかな。奥のレンガ造りの建物が、なんとも由緒ありげで…。
06霞町7500形.jpg


 天現寺に向かう外苑西通りを走ります。すれ違うのは「7」系統四谷三丁目行きの7000形。
07_7015広尾.jpg


 天現寺の交差点の手前にあった都電広尾車庫です。「7」番の他に、中目黒-築地を結ぶ「8」番と、渋谷駅前-金杉橋を走る「34番」、さらに四谷三丁目から六本木を経由して浜松町一丁目を結ぶ「33」番を担当していました。この写真は別の日に撮影。
08-01広尾車庫.jpg


 高速2号線の下を窮屈そうに走る「7」系統1200形。スラントノーズで戦前の「流線型」ブームをちょっぴり取り入れた個性派。城東方面にはこの1200形を車体延長改造した1500形がたくさん走っていましたが、私はこのこじんまりした1200のほうが好きだったなぁ。
08_1236天現寺.jpg


 さて、クルマは古川橋から魚藍坂下、伊皿子を抜けて、泉岳寺前で第一京浜に突き当たりました。目の前を横切るのは「3」系統飯田橋行きの2000形。電車の奥に見える大きな鉄塔は、国鉄品川基地の投光器かな。
09_2008泉岳寺.jpg


 信号待ちの間に、続けてやってきたのは7000形の四谷三丁目行き7016号。三枚窓に改造されたこのタイプを見るのは、このときが初めてでした。
10_7016泉岳寺.jpg


 都電の7000形にはいろんなタイプがあるんですが、もともとは正面2枚窓です。さきほど外苑西通りですれ違った「7」番の7015号は未改造でしたが…。初期の7001~7019は直接制御で、コントローラがデカいため、6000形などと同じく運転手が中央に立って運転するようになっていたけれど、目の前に柱があって視界を妨げるため、三枚窓に改造した…という話を聞いたことがあります。

 ちょっと先ほどの7015号を拡大してみてみましょうか?
11_7015広尾.jpg


 確かに運転手が柱の真後ろに立っているように見えますね。これじゃぁ運転しづらそう…。

 閑話休題。第一京浜を左折したクルマは、札の辻手前でさきほどの2008号に追いついちゃいました。
12_2008三田.jpg


 品川行きの「1」系統8000形とすれ違います。広い第一京浜は、このあたりずっと鉄板道路。地下では都営浅草線の工事がたけなわなのでしょう。都営浅草線が、大門 - 泉岳寺間を開業して、京浜急行と乗り入れを開始したのはのは、地上から都電が消えて半年あまりたった昭和43年6月のこと。
13_8078三田.jpg


 三田車庫前です。7000形の7031以降はは間接制御となりました。このタイプは正面窓も大きく、近代的な感じがします。
14_7075三田.jpg


 地下鉄工事の影響か、いかにもとってつけたような安全地帯。ドラム缶を一本置いただけでは、クルマに突っ込まれたらひとたまりもなさそうですね。
15_7075三田安全地帯.jpg


 日比谷通りとの交差点、顔をのぞかせた「37」番の電車は三田車庫前が終点。
16_6233三田.jpg


 第一京浜をまっすぐ走ってきたクルマは、国電のガードが見える新橋5丁目の電停で、ひと電車前の「1」系統に追いついてしまいました。あれ、行き先が上野じゃなくて「浅草」になっている。日曜休日には室町を右折して江戸通りに入り、浅草橋を経由して雷門の真正面につける臨時系統があったんですね。
 左側のバスの方向幕は「目黒駅-日本橋三越前」と読めます。
17_6228新橋5.jpg


 銀座通りには入らずに、新橋から昭和通りへカーブを切る。電車は「4」番の五反田行き1100形。後ろにはここが終点となる南千住からやってきた「22」番が見えます。
18_1100形新橋.jpg


 昭和通りには都電は走っておらず…次に写っているのは、またまた1100形。永代橋と目黒駅を結ぶ「5」系統。電停名は「越前堀」。このあたり、左に曲がれば東京駅八重洲口まで1キロ程度…だと思うんですが、ずいぶんひなびた街並みが続いています。
19_1127越前堀.jpg


 クルマも人通りも少なく、いよいよ寂しい感じの永代橋終点。「5」系統はここでおりかえしますが、正面の突き当りは永代通りで、そこにも都電は走っています。右に曲がれば永代橋を渡って門前仲町から深川へと線路は続きます…、が残念ながらフィルムはここで終わってしまいました。
20_8109永代橋.jpg


 昭和41年の都内ドライブ、いかがだったでしょうか? ドライバーは私の父、少しばかり荒っぽい運転、失礼いたしました。

 しかし、親に運転させて、自分は助手席にふんぞり返って写真を撮るって、態度デカいし、「鉄」的にも横着この上なし。まったくなんてガキでしょうか。まぁ、たぶんドライブ好きだった父が、「首都高を走りに行く」とか言い出して、私がくっついていったんだと思うのですが…。それにしても、よく意味の分からないルートを走っているなぁ…。
nice!(16)  コメント(13)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 16

コメント 13

TAC

都電ですか、とても良い響きがあり懐かしいですね。子どものとき都電の料金が片道13円往復だと25円というのを覚えているけどいつかな?子供料金か大人料金かは分りません。昔を思い出させてありがたい。
by TAC (2011-11-19 20:47) 

Cedar

親子おそろいで趣味趣味三昧~お父上はクルマ、ご子息は電車。
城北ガキにはめったに行けないエリアの都電風景、我が家にもクルマがあれば見に行けたのにと思います。我が家は父母ともクルマに全く興味無く、免許もなしでした。
7000の3枚窓改造中の姿は父と一緒に行った芝浦工場で見ました。
by Cedar (2011-11-20 08:06) 

maipenrai

おはようございます。

TACさん
 片道13円という料金は私もおぼろげに覚えてます。手元の電車案内図(復刻)昭和37年10月版を見ると、片道15円、往復25円(ただし早朝)となってますね。子供料金の記載はありません。この頃はまだ国電の初乗りも10円だったと思うんですが、10円で乗れるのはひと駅かふた駅程度でしたね。

Cedarさん
 よくいえば多趣味、悪く言えば遊び人(笑)な父でした。御ブログを拝見しながら、私の父もちょっとでいいから鉄分があったらなぁ…なんて思ったり…。でも機動力と言うか、子供が歩いてはとてもいけないようなところに連れていってもらったことは、ありがたかったなぁ…。
 芝浦工場の記事、拝見しました。これもうらやましい体験ですね…。

ほりけんさん
manamanaさん
フジトモさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-11-20 09:15) 

maipenrai

ひもブレーキさん
よしくんさん
hanamuraさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-11-20 17:39) 

maipenrai

燕っ子さん
gardenwalkerさん
シュウチャンさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-11-21 12:25) 

なにわ

うわ、土曜の夕方から見忘れてる・・・。

新橋五丁目で写っている都バス、http://pluto.xii.jp/bus/line/index.shtml
によると、今も健在です。目黒から新橋を広尾から麻布の坂を通り抜けて二の橋へ、都電とは全く違う経路故に生き残ったのでしょうか。


銀座線廃止前から7000一次車の3枚窓改造ってされてたんですね。
それにしても大きなライトですこと。


by なにわ (2011-11-23 19:16) 

maipenrai

なにわさん
 そうだ!思い出しました。広尾から仙台坂を通って二の橋に抜けるバスがありました。それが目黒-三越前の系統だったんですね。今も健在とは嬉しくなります。一度乗ってみたいですね。
 7000形初期車の前面改造は、昭和40年から始まっているようです。三枚窓の7000形は、城東の都電が廃止になる最後まで生き延びたようですから、(当時はどうせすぐ廃止になるのに無駄な改造を…なんておもっていたのですが)それなりに意味のある改造だったと思います。

素人写真さん
あおたけさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-11-23 21:11) 

maipenrai

湘南ライナーさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-11-24 22:31) 

麻布田能久

はじめまして。
麻布田能久の田沼久太郎と申します。
1960年代の東宝娯楽映画(主に若大将、クレイジー、社長、駅前の各シリーズ)のロケ地を調査研究している者です。
現在調査中の場所が下から4枚目の新橋5丁目電停付近(厳密にはガード先)であることが判明いたしました。
突然で申し訳ないですが、貴ブログへのリンク(可能であれば当該画像拝借)をお願いしたく、コメントさせていただきました。ご検討のうえ何卒宜しくお願いいたします。
by 麻布田能久 (2012-12-03 12:49) 

maipenrai

麻布田能久様
 御返事遅れ申し訳ありません。
 諸事情(私のチョンボなんですが…)あって自分のブログの管理ページにアクセス出来ない状態です。リンクや画像の使用については、基本フリーでやっておりましたので、よしなに…。リンク先のアドレス、教えていただければ幸いです。
by maipenrai (2013-02-19 19:48) 

麻布田能久

管理人殿
こんばんは。
私の方こそ大変遅くなり申し訳ありません。
貴ブログを最初に教えていただいた方より「レスがあったよ」と連絡があり、改めてご挨拶に参上した次第です。
お写真、無断でお借りしてしまい申し訳ありませんでした。

リンク先のアドレスです。
http://azabu-tano9.jimdo.com/世界に広がる支店網/港区/新橋駅前ビル1号館/
日本語混じりでなんか変でしょ?
JimdoというHPを使ってるとこんなアドレスになってしまうんです。
一度ご確認ください。
併せて、20日午前0時(今夜ですね)よりYahooワイワイマップを公開します。映画に出てくる60年代の東京が満載です。
是非ご覧下さい!

今後ともよろしくお願いいたします
by 麻布田能久 (2013-04-19 18:12) 

中谷杏子

はじめまして。
突然の連絡で大変申し訳ありません。
テレビ番組の制作をしております、中谷杏子と申します。
広尾の古い写真を探していたところ、こちらのHPにいきつきました。
「都電広尾車庫」の写真の使用に関してご相談したくご連絡を取らせていただきたいのですが、
下記のアドレスにご連絡をいただけましたら幸いです。
ankonakatani@yahoo.co.jp
できましたら、2013年8月1日(木)までにご連絡いただけますでしょうか。
急なお願いで大変申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
中谷杏子
by 中谷杏子 (2013-07-29 17:04) 

obake

はじめまして。
渋谷辺りの都電写真を検索していて、たまたま立ち寄らせてもらいました。
都心の昔の風景を記憶している者の一人として、懐かしく拝見しました。
まだまだ低層の建物が多く、つくづく思うに、本当に空が広かったのですね。

それと、「日比谷通りとの交差点」とキャプションがある写真は、第一京浜との交差点でしょうか。
「第一京浜」の道路案内標識がひしゃげているのが、妙に可笑しかったです。
また、背景に「三田警察署」の看板も見えますが、上記が現在の三田交差点で合っているのでしたら、昔はここに警察署があったのですね。
その後、札ノ辻交差点際から、現在は跨線橋を渡った先に移転していますが、ちょくちょく場所が移動する警察署なんですね。

以上、失礼します。
by obake (2017-09-11 11:42) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。