モノサク1967年、雪の日 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 日本海側の豪雪、たいへんなことになってますね。夕刊でみた福井のサンダーバードの写真、衝撃的でした。豪雪に苦しんでおられる方々からすれば、申し訳ない話ですが、関東地方の昨日今日の寒さはやはりこたえます。ものぐさなオヤジにとっては、なかなかお出かけモードにはなりません。
 ということで、今回も昔々の古びた写真で御機嫌を伺います。
 前にも書いたとおり、ネガの管理保存が出鱈目で、ホコリ、カビ、スリキズだらけのネガ、しかも撮影した日付すらわからない…そんな写真ばかりなんです。でも今回は40年以上前ですが、日付ははっきり覚えています。昭和42年(1967年)2月11日。建国記念日です。正確には建国記念の日…ですか。この年は建国記念日が制定されて2月11日が休日になった最初の年なんですね。戦前の紀元節…。当時この日を建国記念日とすることについては、政治的にデリケートな対立がありました。70年の安保改定を控え、高校生になっていた私も、多少は世の中の動きに興味を示すようになっていましたので、そんなことを覚えているわけです。
 そんないきさつはともあれ、高校生には嬉しい休日です。しかもこの日は朝から雪。近場日帰りで雪景色を撮れる絶好のチャンスです。まずはいつもの国鉄市川駅から。線路には雪が降り積もっていますが、まだたいした積雪量ではありません。
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 総武線の下り電車に乗って、目指すは「モノサク」。いや、当時はそんな言葉はありませんでしたけど…。総武本線の佐倉-物井の間。いまはすっかり有名な撮影地ですが、当時もいい雰囲気だったんですよ。そこで雪景色の中を走るSLやDCを狙おう、という魂胆です。
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 船橋でC57牽引の貨物列車が止まっていたので、途中下車してちょこっとスナップ。
 千葉駅ではこんな列車を狙ってます。この日から運転を開始した「ワッペン列車」急行フラワー号です。
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両国から館山、千倉方面に走らせた臨時急行ですね。そもそもワッペン列車とはなにか? どうもよくわからないんですが、乗客にワッペンを配布して、そのワッペンをつけていると目的地の観光地で割り引きなどのサービスが受けられる…ってことのようなのです。当時は列車の愛称といえば旧国名だったり、鳥の名だったり、有名な山の名前であったり…それなりに格調があった時代。高校生にとっても「ワッペン列車 フラワー号? なに、そのユルい名前」と思った印象が残っています(最近の愛称の苦情はあえて言わない…)。早春の南房総観光キャンペーンで走らせたようですが、初日からこの天気ではねぇ…。あんまり長続きした列車ではないような気がするのですが…。そんなこととは関係なくキハ28、26を連ねたフラワー号が千葉駅を出発していきます。
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 佐倉にやってきました。C58179の牽く上りの貨物列車が待機中。新小岩まで、各駅で貨車の解結を繰り返しながら上っていきます。
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 駅の物井寄り南側には機関区があります。67年当時の記録を見ると、在籍するのはC57=11両、C58=21両、8620が6両。実に40両近い蒸気機関車が配置されており、佐倉のカマは千葉県中の至るところで見ることが出来ました。成田(我孫子)線の客車を引っ張って上野に行く運用もまだ残っていたはず…。
 佐倉のヌシ、C57最若番の8号機も寒さに震えているように見えますね。
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矩形庫近くには新参のC5731号も。ボイラ回りに雪が積もってますが、火は入っていたんでしょうか?
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 矩形庫の右側に見える腕木式の信号機の向こう側、線路が右にカーブしています。今は佐倉から千葉方面に向かうと、まっすぐ前方の台地をトンネルで抜けて、向こうにに広がる田圃を貫いて物井に至る線形ですが、当時はいっぺん右にカーブしてから台地(寺崎台?大崎台?)の裾を迂回して巻くように左にカーブを描き、鹿島川のあたりで新線と合流し、物井へ至るというルートだったのです。新線ができて廃止される運命でしたから、最後まで単線、電柱とも無縁の区間でした。
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 C58179の貨物列車が出発していきます。雪がだんだん横殴りになってきました。
 「モノサク」の旧線区間にやってきました。
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 キハ17を先頭にした千葉行きのDC。が雪を蹴たてて。
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 こちらの千葉行きの先頭は新製配置されて間もないキハ45、以下キハ35(36?)、25、26(あいまいですが)いかにも当時の千葉のDCらしい編成です。
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 SL牽引の客車列車。どちらも残念ながら下り列車です。下りは佐倉駅が近いため、絶気状態でやってきます。この場所にそんなに長居をした覚えはないのですが、成田線回りと総武線回りの列車が相次いでやってきた、というところでしょうか。
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 ずいぶんと視界が悪くなってきました。雪はまったく止む気配がありません。この後、佐倉から総武線で2駅の「榎戸」に向かったのですが、そちらは「後編に続く」ということで失礼します。
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nexus6

「ワッペン列車」 懐かしい!!!
小学生の時の社会科学習(当時は現場学習って言ってました)で、千葉~銚子間をこのワッペン列車で移動したのでした。
はたしてその時のモノサクは旧線だったのか?  よくわかりませんが、まさかこんなオヂさんになっても、モノサク通いをしているとは...
by nexus6 (2011-02-01 04:33) 

む〜さん

いや~、この雪で撮影に行かれ、しかも長時間。お陰でいい写真を撮れましたね。最後から二つ目のC57がカーブから顔を出したときの写真・・・・素敵です!!
by む〜さん (2011-02-01 13:04) 

maipenrai

nexus6さん
 いまのモノサクにもお邪魔したいとおもってます。113系が消えないうちに…なんてのんびり構えてたら、そろそろ尻に火がついてきたようで…。

む~さん
 いつもありがとうございます。三つ子の魂百までではないですが、この年になっても雪が降ると出かけたくなってしまう妙な体質は変わりません。

Cedarさん
 いつもniceありがとうございます。
by maipenrai (2011-02-01 13:31) 

gardenwalker

こんばんは
昭和40年代初頭の佐倉あたりは単線だったんですね
私は先日撮影をしていたのですが旧線らしき跡を発見しました
ひょっとしたらこちらの写真はそうだったかもと思うと
ちょっと嬉しい気分です
by gardenwalker (2011-02-01 22:36) 

manamana

雪と機関車って何だかすごく似合いますね。
雪煙を上げるディーゼルカーも臨場感たっぷりです。
子供の頃、すごい雪が降ったことを思い出しましたが、
この年だったのかもしれません。
by manamana (2011-02-01 23:04) 

maipenrai

gardenwalkerさん、こんばんは。
 廃線跡探訪ブームのおかげで、この区間の旧線あとを紹介したHPがけっこう見つかりますね。いい写真や地図が載っているサイトも多いんですが、勝手にリンクを貼るのもアレなので「総武線 廃線」あたりでググっていただければ…。
by maipenrai (2011-02-01 23:12) 

Cedar

当時の千鉄管内の線路は、千葉から先はいきなりの地方亜幹線ムードで、その落差に戸惑ったものでした。房総方面は海水浴輸送など華やかな顔もあり、実際に利用したこともありましたが、銚子方面はほんとに地味でしたね・・ですから電車屋は殆ど関心が向かなかった・・・スミマセン。
by Cedar (2011-02-02 00:14) 

maipenrai

Cedarさん
 小学校の時に、銚子の醤油工場見学(銚電見学でなくて残念・笑)に連れて行かれたのが私の総武「本線」初体験だと思います。、60年頃までは総武線は千葉を発車すると次は都賀「信号場」だったんですよ。NEXが走りまわる今の姿など、想像もつきません。こちらこそローカルネタで失礼しました。
by maipenrai (2011-02-02 20:20) 

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