上田丸子電鉄、真田傍陽線瞬景 [昔鉄(フジペットシリーズ)]
小学生の頃、当時叔母が勤めていた兜町の証券会社の社内リクリエーション(というのかな?)のスキーツアーに何度か同行させてもらったことがあります。バスを借りきって、行きは夜行ですからおそらく金曜の晩に東京を出発、土曜の未明にスキー場に着いてその日一日と日曜の午前を滑り、午後には現地出発、夜に東京に着く、というスケジュールだったと思います。行く場所にもよりますが、高速道路などない時代、片道7,8時間はかかったような…。高度成長期のただ中、昔の人はよく働き、よく遊んだのですね。
このときの目的地は菅平。宿で出された野沢菜漬けがやたら美味かったということ以外、なにひとつ覚えていないのですが…。
さて、遊び疲れた帰り道。山を下り終え、上田の街まではもう少し、というところでバスが止まってしまいました。窓の外を見ると、はるか向こうに雪をかぶった山々、見るとその手前に電車の線路がある。たぶん旅の思い出に風景写真でも撮ろうかと思ったのでしょう。カメラ(フジペット)を取り出したその時、単行の「古い電車」が目の前を左から右へゆっくりと横切って行きました。夢でも見ているような光景…。
あわててシャッターを切った興奮が覚めるまもなくさらにもう一台。こんどは単行電車に貨車がぶらさがっています。
上田丸子電鉄、真田傍陽(そえひ)線。信越線の上田から、真北に向かって山裾の町を結ぶローカル電車です。途中の本原という駅で、真田行きと傍陽行きに分かれる…ということを知ったのは、もちろん帰ってから地図帳や時刻表をひっくり返して分かったこと。おそらく真田線の電車と傍陽線の電車が接続をとるため近接したタイミングで本原駅に進入する…というシーンだったと思います。昭和37年(1962年)もしくは38年冬の光景です。今思うと、おあつらえ向きの場所に、おあつらえ向きのタイミングでなぜバスが止まっていたのか見当もつきません。バスが走りながらカメラを向けたのなら、おそらく手ぶれのボケボケ写真になっていたでしょうね。
この年まで「上田丸子電鉄の古い電車」で済ませてきたんですが、さすがに気になってちょっと調べてみました。といっても手元に何の資料もありませんのでwikiの受け売りです。窓配置を見てみると電車は2台とも左側(下り方向)に荷物室がついている合造の車体に見えます。真田傍陽線にはモハニ4251 - 4254という合造車がいたようです。1927年川崎造船所製。真田傍陽線が上田温泉電気軌道北東線として開業した当初に新造されたデナ100形を前身とする車両。これかなぁ。
wikiによればモハニ4251 - 4254は導入当時側窓は一段下降式、荷物室の扉窓は丸窓で、1961年 - 1963年の車体更新時に側窓が二段上昇式に改められ、丸窓は廃止された、とあります。写真では窓まわりは二段になっているので、更新後の姿なのでしょう。
この真田傍陽線、上田丸子電鉄が上田交通と社名を改めたのち1972年2月に全廃されたということです。
このときの目的地は菅平。宿で出された野沢菜漬けがやたら美味かったということ以外、なにひとつ覚えていないのですが…。
さて、遊び疲れた帰り道。山を下り終え、上田の街まではもう少し、というところでバスが止まってしまいました。窓の外を見ると、はるか向こうに雪をかぶった山々、見るとその手前に電車の線路がある。たぶん旅の思い出に風景写真でも撮ろうかと思ったのでしょう。カメラ(フジペット)を取り出したその時、単行の「古い電車」が目の前を左から右へゆっくりと横切って行きました。夢でも見ているような光景…。
あわててシャッターを切った興奮が覚めるまもなくさらにもう一台。こんどは単行電車に貨車がぶらさがっています。
上田丸子電鉄、真田傍陽(そえひ)線。信越線の上田から、真北に向かって山裾の町を結ぶローカル電車です。途中の本原という駅で、真田行きと傍陽行きに分かれる…ということを知ったのは、もちろん帰ってから地図帳や時刻表をひっくり返して分かったこと。おそらく真田線の電車と傍陽線の電車が接続をとるため近接したタイミングで本原駅に進入する…というシーンだったと思います。昭和37年(1962年)もしくは38年冬の光景です。今思うと、おあつらえ向きの場所に、おあつらえ向きのタイミングでなぜバスが止まっていたのか見当もつきません。バスが走りながらカメラを向けたのなら、おそらく手ぶれのボケボケ写真になっていたでしょうね。
この年まで「上田丸子電鉄の古い電車」で済ませてきたんですが、さすがに気になってちょっと調べてみました。といっても手元に何の資料もありませんのでwikiの受け売りです。窓配置を見てみると電車は2台とも左側(下り方向)に荷物室がついている合造の車体に見えます。真田傍陽線にはモハニ4251 - 4254という合造車がいたようです。1927年川崎造船所製。真田傍陽線が上田温泉電気軌道北東線として開業した当初に新造されたデナ100形を前身とする車両。これかなぁ。
wikiによればモハニ4251 - 4254は導入当時側窓は一段下降式、荷物室の扉窓は丸窓で、1961年 - 1963年の車体更新時に側窓が二段上昇式に改められ、丸窓は廃止された、とあります。写真では窓まわりは二段になっているので、更新後の姿なのでしょう。
この真田傍陽線、上田丸子電鉄が上田交通と社名を改めたのち1972年2月に全廃されたということです。
タグ:上田丸子電鉄 真田傍陽線
斜めになった大形パンタが痺れます。私鉄ではよく有りましたが荷物室にも乗客が乗っていますね。
by Cedar (2011-01-28 01:30)
地方の電車はどんどん消えていきますね。悲しいです。
by ねじまき鳥 (2011-01-28 19:59)
コメ返おそくなり失礼しました。
Cedarさん
いつもありがとございます。どういうわけだか、知識皆無の電車ネタが多くなっちゃってます。いろいろご教示いただければさいわいです。
ねじまき鳥さん
はじめまして。これからも宜しくお願いします。
gardenwalkerさん、む~さん、niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-01-29 19:56)
うつマモルさん、ShinKaitokuさん
はじめまして。niceありがとうございます。
あおたけさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-01-31 21:45)
懐かしいですね・・・
地元・上田市在住の者です。
単行の電車の後ろに小さな貨物車を連結して走る風景は、真田傍陽線では、なじみの光景でした。廃止のさよなら電車が運行された日は、小学校から下校して、すぐに親にねだってさよなら電車に乗せてもらいました。まるで都会のラッシュ時のような混雑ぶりでした。今は昔・・・
現在は別所線が残っていますが、上田駅のコンコースは近代的な高架駅に生まれ変わり、電車も東急目黒線で現役バリバリでもおかしくない新型電車が走り、昔の面影はありません。が、上田駅を出て2〜3分も走ると、昔と変わらないのんびりとした田園風景が広がります。地元住民の責務として、いつまでも残したいと痛感します。
なつかしい写真をありがとうございました。
by ミケ (2011-10-01 14:57)