北陸電車旅~その4~倶利伽羅で悶々。 [ちょっとおでかけ鉄]

 東京を発って三日目。金沢の朝。
 今朝も快調に(?)6時に目が覚めて、ホテルの窓から眺める空は、少しもやがかかっているけれど青く晴れ渡っています。
01ホテルの窓から.JPG


 目の前には2本並んだ鉄道の高架橋。奥が北陸本線、手前は建設途上の北陸新幹線。
 この場所は金沢駅の南西方向です。長野から金沢駅まで開業予定の北陸新幹線の、さらにその先に位置しますが、車両基地への回送線も併せて作っているため、北陸在来線の松任駅の先まで、新幹線の高架がずっと並行して立ち上がっています。
 このあたり、構体はすでに完成し、線路を敷き架線柱を建て架線を張れば、新幹線が走れる状態にまでなってます。そういえば、昨日見たえちぜん鉄道福井駅の斜め頭上には、新幹線の高架橋が既にほぼ完成していました(車両基地-福井-敦賀の正式着工はまだなのにね)…。 さて、ホテルにいてもしょうがない。身支度を整えると、チェックアウトを済ませ一人で金沢の駅に向かいます。同行(私がぶら下がって歩いているだけ)のY君はもう少し寝かせておいて、後で電話すればいいやね。
 昨日は夜到着したのでわからなかったけど、金沢駅前は既に新幹線を迎える準備が完了? まるでどっかの新設国際空港のような華麗なアプローチが完成しています(褒めてるわけではない)。
02近未来的造形.JPG


 ちょうどタイミングよく発車する敦賀行きの電車がありました。この電車に乗ってひとつ隣の西金沢へ。
03_521系敦賀行き.JPG


 もはや金沢-敦賀間の普通電車は、ほとんどが新製の521系のひとり舞台…。かと思いきや、朝のラッシュは例外らしく、413系電車の運用も見かけました。2連の521系では運びきれないほどの乗客がいるんでしょうね。
04朝のラッシュが.JPG


 西金沢駅。北陸線に並行して新幹線の高架橋がずらっと林立しています。ホーム上でつむじ風を巻き起こしながら通過する特急などを撮影しておりますと、場違いにのどかな「カンカン」という踏切警報音が聞こえる。見ると新幹線の橋脚の隙間から、オレンジ色の帯を巻いたステンレスカーが、ゆったりと走っていくのが見える…。

 下車してみましょう。、橋上駅舎の階段を降りた目の前に単線の電車踏切があって、左方向にはこじんまりした木造の駅舎が見える…。
 北陸鉄道石川線の「新西金沢」駅です。待つ間もなく、野町方向から鶴来行きの電車が到着。いうまでもなく、我が国で最初のオールステンレスカー、東急デハ7000系(初代)電車が譲渡されてこの地にやってきたもの。
05鶴来行き7112.JPG


 すぐに反対側から、野町行きの電車がやってきた。これもデハ7000系オリジナル顔で、この7001+7011は当線唯一の非冷房車で、夏場はお休みになるらしい…。
06野町行き7001.JPG


 狭い島式ホームを挟んで、デハ7000系オリジナル顔が並びました。

 ご承知のように、東急デハ7000系は、北は弘南鉄道から西は水間鉄道まで、多くの地方私鉄に譲渡されていて、私なんぞ一時は「どこに行っても7000顔ばかりじゃ面白くない…」なんてホザいていたこともありますがどうして…実際にこの顔を見るのは何年ぶりだろう?
07_7000系が並ぶ.JPG


 オールステンレスのボディと並んで、デハ7000系を特徴づけたパイオニア台車は、入線時に「雪との相性が悪い」ということで履き替え、全電動車方式も、そこまでの高性能は必要ないのか、再生品を寄せ集めてモハ+クハに仕立て直し…、と下回りはまったく別物になっているそうですが…なに、正面から見れば、30年前の池上線か目蒲線の風景、と言えちゃいそうです(ちょっと強引か?)。

 左側の野町行きの、後部の方向幕が白地になっていますが、「進行方向側しか方向幕(方向板)を掲出しない」というのは、昔からのこの線区の「伝統」のようです。

 敬愛するCedarさんのブログ『Cedarの今昔写真日記』の10年1月11日付↓(記念すべき第一回!)
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-01-11
 
 をはじめ、4回に渡り昭和52年当時の石川(総)線の画像(素晴らしい!)がたっぷりと紹介されています。

 さて、入場券を購入して(女性の駅員?が配置されていました)ホームに入ってみます。あまり広いとはいえない島式のホームなのに、真ん中に防風板が設置されているのが、いかにも北国らしいですね。そういえば、この頃から空はどんよりと曇って急に気温が下がりだし、風も強まってきて肌寒さを感じます。
08ホームの風防.JPG


 気がつけば、いつのまにかホームの上は、登校の大学生、高校生でいっぱい。
09いつの間にかホームは.JPG


 野町方向から7011+7001編成が戻って来ました。ちゃんと先頭は「鶴来」行きの方向幕を出しています。終点で「白地」→「鶴来」と変える手間と、「野町」→「鶴来」と変える手間は一緒だと思うんですが…面白いもんですねぇ。
10_7011が戻ってきて.JPG


 鶴来行きに乗り込む大学生たち。反対側の野町行きを待つ人も、結構な数です。
11この盛況.JPG


 鶴来からやってきた野町行きは、7200形を名乗る、東急デハ7000の中間車に運転台を後付けしたタイプ。
12上り電車は7201.JPG


 なんか…ブチャイクな顔だなぁ…、としみじみ眺める。東急デハ1000系列と同様の顔、というんだけど、貫通…じゃない、地下用の脱出扉はついてないし、方向幕も省略されていて、間延びした印象です。前記Cedarさんのブログで紹介されている「前面3枚窓のサイズばらばら」な3711号<不ぞろいの魅力>の系譜を引き継いでいる…なんていったら、怒られちゃうかな?
13ブサイクですが7211.JPG


 さて、ここまで来たら、石川線に一編成だけ在籍する元京王の3000系ステンプラカーこと7700系電車…丸みを帯びた前面2枚窓という私のストライクゾーン…ステンレスカーだけど…も見ておきたいところですが、金沢8時50分の富山行きに乗りましょうという、昨夜からのY君との打ち合わせ。ちょこっとだけ電車を見て、行った気になるのが昔からの悪い癖なんだよなぁ…と自省しつつも、後ろ髪を引かれる思いで西金沢から金沢駅に戻ります。西金沢→金沢間を乗車したのは、七尾線直通415系800番台七尾行き。
14七尾線色415系.JPG


 朝の金沢駅です。ホーム全体が屋根に覆われ、薄暗い…というか、夜のような様相です。首都圏でも駅の直上にビルを建てるなど、薄暗いホームの駅が増えていますが…正直なところ朝の爽やかさも開放感も全く感じられない。あんまり長居をしたくない雰囲気…電車の写真を撮る気にもなれません(それが狙い?)。
15金沢駅はこの暗さ.JPG


 まぁ、JRW名物のこんなカットを撮るのには具合がいいかも…。
16JRW名物.JPG


 475系の6両編成が停車中。この電車が8時50分発富山行になるようですが…。
17_475系6連.JPG


 後部のほう、なんだかヘンな色の車両がつながっている。急いで行ってみると…。
18_475系連結部.JPG


 なんとローズピンクの国鉄急行色に塗られた475系電車が繋がっていました。6連を3両ずつに分割作業中で、左側の標準塗色(?)の車両だけが、富山行になるようです。

 うわぁ、しかしこの色、懐かしいぞ。裾のクリーム色のラインも再現されている。その昔、見るたびに赤文字の「急行」を表示していた種別幕(方向幕)は鉄板で塞がれているけど、前照灯はシールドビームに交換されることもなく、昔ながらのデカ目だし…。
19_475系急行色.JPG


…なんて見惚れていると、急行色の3連はホームを離れ、西金沢方のホームから遠い留置線に移動してしまいました。…これは乗りたい、走りを撮りたい…。475系の運用は、金沢から富山、直江津までの間。待っていればそのうち、富山方面へ向かうはず。

 Y君と合流。ことの次第を話すと、6連の富山方半分が8時50分発となると、後ろ半分の急行色はその後の富山行きになるのではないか…で意見が一致。「急ぐわけじゃないから、次の電車にしましょうか?」
 外は雨がふりだした模様。天気もすぐれず「お昼ごろ富山に着けばいいですから」とは、Y君のモチベーションが上がらないのか、私が昨晩口走った「土産を買いたい」、その時間を捻出する心遣いか。
 ともあれ、一階の「名店街(とつい言ってしまうんですね)」で実家への土産配送を頼み、ホームに戻ってみると、入線してきた9時20分発の富山行きはなんと521系。3月のダイヤ改正で、金沢-富山間の運用に投入され始めたことは聞いていましたが…。
20次の電車も521系.JPG


「急行色はこの後かなぁ?」「そうですねぇ…」
 薄暗い金沢駅のホームで、急行色を待っているのも芸がない。ここはどこか途中の駅まで行って、急行色がやってくるのを待ち受けよう…ということになり、521系富山行きに乗車します。

21雨は激しく.JPG


 快調に走りだした521系。外はけっこう降っているようで、運転席のワイパーも忙しげに動いています。。
 ところでこの電車、朝の敦賀行きでも経験したのですが、駅についてもドアは自動で開かない。乗客がドアの脇にある開閉ボタンを押すと、そのドアだけが開くようになってます。案の定…というか、森本駅を発車した頃、後ろの方のドアの近くで「わたし、森本で降りにゃいけんのだけど…」と途方に暮れるおばあちゃんが…。お気の毒に。

 津幡から電車は山の中に分け入り、到着したのが「倶利伽羅」駅。ここで下車しましょう。
22倶利伽藍で下車.JPG


 ここはもう、石川県の東のはずれ。次の石動駅との間にあるトンネルが県境で、その先はもう富山県です。
 「倶利伽羅」の名前、歴史好きなら源平合戦の時代、木曾義仲の「火牛の計」で知られた倶利伽羅峠の戦いを思い浮かべるでしょう。
45木曽義仲.JPG


 鉄ガキだった私が、その難しい漢字とともにこの名前を覚えたのは、「悲運の蒸気機関車」(単なる失敗作…という話も…)E10が昭和25年から30年にかけ、峠越えの補機に使われていた、という雑誌の記事からでした。

 そんな山中のひっそりした駅…駅舎は無人ながらよく手入れされた感じで、入り口脇に佇む古い赤い郵便ポストが決まりすぎ!?
23倶利伽藍駅舎.JPG


 E10が活躍していた当時の25‰の勾配も、新線への付け替えで10パーミルに緩和され、静かな佇まいの構内を、ときおり特急電車が猛スピードで駆け抜けていきます。
24特急が猛スピードで.JPG


 上りの金沢行き普通列車がやってきました。475系の3連、先頭はクハ455-42。
25デカ目がいいね475-42.JPG


 駅の時刻表で、普通列車は時刻がわかるし、特急もパターンダイヤなので、ある程度予測がつきますが、まったく思いがけないタイミングでやってくるのが貨物列車。
 ローズピンクのEF81717が牽く長大な下りコンテナ貨物列車が峠を登ってくる。もうちょっとホームのはずれで狙いたかったなぁ……え!? 717? 700番台???
26EF81717.JPG


 後で調べたところ、JR貨物富山機関区所属のEF81は、最近になって改番が進んでいるようで、この機関車もこの間まではEF81117を名乗っていたカマらしい…。

 次の下り富山行きも521系。
27次の電車も521系.JPG


 北陸本線は名にし負う特急街道。普通列車はこの時間帯、一時間に一本程度ですが、特急は「サンダーバード」「しらさぎ」「はくたか」「北越」と、上下とも次から次へとやってくる感じです。

681系。
28特急街道1_681系.JPG


683系。
29特急街道2_683系.JPG


 までは、Y君に教わり、見分けることが出来るようになったのですが、前面の愛称表示が省略されているため、列車名がわからない。
 なんてことをボヤいてましたら…あわわ! こんなのがやってきた。
30_485系北越.JPG


 あとでモニターで確認すると、特徴的な運転台屋根に並んだ前照灯2灯。ずっと昔、お目にかかりませんでしたっけ? 確か、北海道で…。

 雨脚はいくぶん弱まったようですが、依然細かい雨が降り続く。倶利伽羅の駅は、昔の客車時代の名残でホームが恐ろしく長い。遠くに見える跨線橋の手前、ホーム上の待合室で雨をしのぎながら、列車接近の合図が鳴るとホームに出て…という撮影を繰り返しています。その待合室あたりに6両の停止目標があり、ホームはそこから石動方向にさらに倍くらいの長さで伸びている。
46ホームが長い.JPG


 雨が小ぶりになったので、石動側のホームのはずれまで行ってみます。
 なかなかいい感じの写真が撮れる場所ですが、この間延びした顔は…(HMつければ締まるのにね~)。
31石動側.JPG


 475系の上り列車。国鉄顔登場は嬉しいけど、この場所だともう少し長大編成を狙いたいな…。
32_3両じゃ物足りない.JPG


 再び激しさを増した雨に、待合室に向けて退避…を始めたら、長大編成の貨物がやってくるのだからまったく…。EF510-6牽引の上り貨物列車。
33_EF510-6.JPG


 さて、そろそろ富山に向けて移動しなければなりません。急行色よ、来い! と期待をかけた次の列車は、無念、「ブルーマン」単色塗装の413系でした。
34次は413系.JPG


 旅にでる前は「国鉄顔」をいっぱい見られればいいな、と思い、それが叶っているのに「急行色じゃなきゃ…」なんて言っているのですから、我ながらゼータク&わがままであります。

 ブルーマンは快調に坂を下り、富山県に入ります。昨日万葉線を訪ねた高岡で、下り特急を2本退避。
 もちろんダボハゼ鉄は、その間ホームから目についた氷見線のキハ47とか、
35氷見線キハ47.JPG


 城端線をコンテナを牽いてやってきたDE10などを抜け目なくキャッチ。
36城端線DE101547.JPG


 無事、昼下がりの富山に到着しました。
 隣には富山始発、直江津行きの475系が並んでいます。
37_475系と並ぶ.JPG


 このあたりに生き残る475系は、ほとんどデカ目の原型を保ってくれているのが嬉しい。シールドビームに改造された国鉄顔は、なんとなく線が細く見えちゃうんですね。
 …それにしても…だいぶあちこち傷んでいるなぁ…。
38だいぶ痛んでる.JPG


 以前富山駅にやってきたのは、もう45年も前のこと。昭和42年の10月です。高校1年生だった私は、糸魚川から富山に着いて、乗換の間にちょこっと写真を撮って、そのまま名古屋-高山-富山-米原-名古屋と回る循環急行「しろがね」で米原に抜けちゃったんです。その頃、金沢-福井間など、それこそ各駅ごとに私鉄電車が接続しており、後から思えば魅力的な車両の宝庫だった…そんなものに目もくれなかった「音痴」っぷり。それが私の唯一の北陸体験なのであります。

 その時に国鉄の富山駅で撮った写真をカラーで少々お目にかけます。といってもねぇ…当時はカラーフィルムなど高嶺の花で、友達に借りたハーフサイズのオリンパス・ペンに、24枚撮りを一本だけ忍ばせて(48枚撮れる!)…しかもプリントするお金がなくて、現像したまんまほったらかしにしておいたネガなのですが…。

 富山-米原で乗車した循環急行「しろがね」のキハ55。貫通扉の部分が、三角にデザインされた、当時は「急行色」と呼んでいたような…。
40急行しろがね.jpg


 特急・雷鳥です。富山電化が昭和39年夏。その年の暮れに、名古屋-富山間の「しらさぎ」とともに大阪-富山間に一往復が設定されたのが、北陸線の電車特急の始まりです。3年目のこの頃…、485系の出現は昭和43年ですから、このときの車両はまだ481系でしょうね。
39特急雷鳥481系.jpg


 背後に見えるのが、南口の駅ビルで、いまこのあたりは新幹線のホームを作るため大工事中。駅に降りた時、昔の面影を全く感じなかったのは、北陸線や高山線のホームを北側にあった機関区や、留置線跡に移設したせいなのかも…。

 かつてのホームの一番北側に位置していたのが富山港線。今は富山ライトレールに面目を一新、富山コンパクトシティ戦略の代名詞的存在になっているのは、よくご承知のとおりです。
 ホームに止まっている電車はクモハ2000形。元南武鉄道…いまの南武線ですね…が1941年に製造。南武線が国有化されたことで、国鉄の電車となり、宇部線、可部線を経て富山の地にやってきて、1967年まで活躍…なんてことはウィキの受け売りで、当時の私は「なんだかスゴイ『社形』がいる…」と無意識にカメラを向けていました。
41富山港線クモハ2000.jpg


 やはり当時の富山駅の北側にあった煉瓦造りの矩形庫は、富山第一機関区。停まっているC58216は、恐らく高山線用の機関車でしょう。
42C58216.jpg


 そんな具合に、はるか昔を思い出しているうちに、「ブルーマン」が金沢へ向けて戻って行きました。北陸線の線路が大きく右側(北側)に振られているのがわかります。
43出発するブルーマン.JPG


 工事中の長~い通路を歩いて、富山駅の南口に出ました。さっそく富山地鉄市内線の電車が出迎えてくれます。
44午後は富山市内線を.JPG


 気になっていた天気もいくぶん持ち直したようで、午後は地鉄市内線を巡ることにいたしましょう。

nice!(12)  コメント(12)  トラックバック(0) 

nice! 12

コメント 12

プント

金沢駅、夏暑そうだなあ。。。
こんなコメントですいません。。
by プント (2012-05-20 18:50) 

Cedar

充実した旅だったことが伝わってきます。
長いこと直接式架線だった北陸鉄道も、カテナリーですね。新西金沢は昔の面影残ってます。
by Cedar (2012-05-20 19:15) 

あるまーき

こんばんは。
富山にはよく行くのですが、新幹線工事で富山駅も味気なくなってしまいました。475系急行色とかランダムにやってくる1500番台「北越」とか、貴重なシーンを撮られており、羨ましいです。
自分が生まれる前の富山駅の光景、貴重なお写真を拝見させていただくことができました。ありがとうございました。
by あるまーき (2012-05-20 20:34) 

maipenrai

プントさん
 最近の、線路の上にいろいろ被せてくれる傾向に、ちょっとばかり苦々しさを感じていたんです。まだ抵抗制御車もいっぱい残っているし、地下駅みたいな冷房設備もない…と来ては、夏の暑さは約束されたみたいなもんですね。だいたい、エントランスに人を驚かせるような仕掛けがされている空港ほど、中に入ればヒコーキを撮影するどころか、下手すりゃ乗機するまで自分がどんなヒコーキに乗るのかわからない…なんてのが増えてます。金沢の方には申し訳ないけど、それと同じ匂いを感じちゃったので、ついキツい表現になりました。

Cedarさん
 いまさらながらに、御ブログの北陸シリーズを改めて拝見させて頂きました。本文でも書いていますが、宝の山を目の前に、それに気づかずスルーしちゃうセンスのなさ、これはやっぱり「音痴」としかいいようがありませんね。

あるまーきさん
 私鉄はそれなりに「予習」していったんですが、JRはもともと知識が乏しいくせにまったくノーケアの出たとこ勝負旅でした。なので、正直、ずいぶん運に恵まれたなぁ…というのは実感しています。金沢運転所脇を通るとき、489系ボンネット編成も見ることが出来ましたが、数日後には松任の工場へ回送されちゃったみたいですね。

xml_xslさん
フジトモさん
ほりけんさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-05-20 22:07) 

TAC

昔の「こだま」型の車両まだ走っているんだ、懐かしい。高校を卒業した後母と高岡に行くとき乗った白山がこの形で嬉しかったのを覚えています。ところで雨晴海水浴場なんてマイナーな場所よく知ってますね。
by TAC (2012-05-21 05:44) 

maipenrai

TACさん
 テツをやってると、一般の人より地図を見る機会が断然多いので、地理には詳しくなります。ただ鉄道の骨格に沿って日本地図を描くので、鉄道が走っていないところはさっぱりですが…。雨晴海岸は氷見線の撮影名所、ってことで、昔からインプットされてます。もちろん行ったことはありません(笑)。

えーちゃんaaaさん
nexus6さん
 niceありがとうございます。


by maipenrai (2012-05-21 18:16) 

あおたけ

北鉄に倶利伽藍、盛り沢山ですね!
北鉄石川線は加賀一の宮が廃止される直前に乗りにいきましたが、
そのときは元・京王井の頭線の3000系でした。
この電車は浅野川線で乗れるので、石川線では7000系
に乗りたかったところでしたが・・・(^^;)

国鉄色の475系、私も運用など解らないので、
出会えたらラッキーなのですが、
だいたい狙っているのと反対の線や、
撮影地から帰ろうと乗る電車がコイツだったりします・・・。
by あおたけ (2012-05-21 19:54) 

maipenrai

あおたけさん
 国鉄色の485系T18編成や、475系は、共通運用なので運用を調べるのが難しいことを後で知りました。狙ったわけでもないのに、数時間の間に偶然にも両方見られたのは相当ラッキーだったんですね。じつは…475系はこの後にも…。

gardenwalkerさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-05-22 08:56) 

サットン

金沢駅にしろ札幌駅にしろ昼なお暗いホームというのも考えものですね。雪害対策もあるのでしょうが…。
その反省があってか後発の福井駅はずいぶん明るくなったように思います。
by サットン (2012-05-27 12:02) 

maipenrai

サットンさん
 線路上に人工地盤を作ってビルを建てたり、商業空間にしたり…っていうのはJREのお家芸で、そんな駅がやたらと増えているのが、なんだかなぁ…っていつも思っていたのです。同じ屋根をかけるのでも、JR大阪駅のような、開放的な空間ならいいんですが…。

シュウチャンさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-05-27 13:23) 

京葉帝都

北陸鉄道の西金沢駅の鶴来方には凄まじいカーブがあります。
俱利伽羅峠は今は高速電車が疾走していますが、かつては難所でした。
幼い時の記憶になりますが、カーブで貨物列車が脱線(たぶん競合脱線)し、客車急行「立山」の車窓から見た雪の中に黒色のワムが散乱していた光景に唖然としたのを覚えています。
521系はとうとう富山口にも登場しました。日中の2連は立ち客がいなくてもちょっと窮屈です。
by 京葉帝都 (2012-06-09 19:42) 

maipenrai

京葉帝都さん
 Uの字の底が国鉄線に接着しているような線形、面白いなぁと思いました。倶利伽羅越えのE10はもはや伝説の世界ですが、昔の線路跡は随所に残っているようですね。
by maipenrai (2012-06-09 21:46) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。