北陸電車旅~その2~福鉄にシビレまくる~ [ちょっとおでかけ鉄]
50年近くまえ、ミーハーな鉄ガキだった私は、まだ全国各所に残っていたローカル私鉄や、そこで働いていた神話的世界の旧型電車にまったく興味を示さず、ファン誌やピク誌で紹介される新型電車には「カッコいいなぁ」と憧れながらも、わざわざ見に行く、なんてことはなく、もっぱら蒸気機関車を追っかけておりました。
三つ子の魂百まで、といいますが、いまだに電車の好みのタイプといえば、昭和30年代に製造された、丸みを帯びたデザインの当時の高性能電車、できれば顔立ちは、3枚窓より、2枚窓の湘南タイプが好ましい…でもそんな電車たちも、めっきり少なくなってしまいましたね。
長電2000系なきいま、そんな数少ないストライクゾーンど真ん中の電車が、福井鉄道モハ200形、昭和35年(1960年)製造、2車体連接のWN駆動、福井市内の併用軌道区間を走るため、前面にはカウキャッチャー(でいいのかな?)を取り付け、ドアに連動する3段のステップが付き…なんてことは、皆さんとうにご承知のことですね。
名古屋からの「しらさぎ」で武生着、駅前を出て少し歩くと、福井鉄道の「越前武生」駅です。以前は「武生新」という駅名で、なんで「新武生」じゃなく、後ろに「新」がつくのか、不思議に思っていたものです。
そんな憧れのモハ200形に会いに行くのに、東京駅を出発するのっけから、コレだ。まだ朝の7時半だっちゅーに…。
「どうせなら米原乗り換えじゃなく、名古屋から在来線で行きたいね」という私のリクエストに、同行のY君が選んだのが、品川、新横浜、小田原と止まった後は名古屋までノンストップの「ひかり」で、
「これなら途中のぞみに抜かれないし、5分くらいしか違わないのでお得です」
特急券は同額のはずなのに、なにがお得だかよくわかりませんが、自由席が空いていたのは確かです。
長距離、電車に乗る時は飲まずにいられない困った私の性格、新幹線の中でロング缶2本、車販で一本買い足し、乗り継ぎの「しらさぎ」でも…と、武生に着いた頃には既にいい塩梅に出来上がっております。取材のミッション持ちのY君は2本で自制。エライなぁ…。そんなわけで、新幹線で乗ったのが700系なのか、700Nなのか?「しらさぎ」は681?683?なんてことは、さっぱり意識することもなく、武生に到着です。
さて、のっけから憧れのモハ200形2編成に、越前武生駅で出会えてしまいました。いまは朝夕のラッシュ時中心の運用という200形、昼間はここで昼寝を決め込んでいるようです。しばしそのスタイルを愛でる。ゆったりと丸みを帯びた2扉の側面、正面2枚窓は、センターピラーが太いほうが、好み的にはドンピシャですが、これはこれで悪くない。埋め込みのデカ目のライトもいい!なによりよそでは見られないカウキャッチャーが存在感を強調しています。
でも…やっぱりこの車両は福井市内の路面区間で見てみたい。夕刻ラッシュでの再見を期待して先を急ぎましょう。
福井方面への次の発車はモ800形803号。側面が3ドアで、真中部分が超低床となっているLRT路面タイプで、連接車ではない福鉄では収容力が最も小さいタイプ。00年に名鉄美濃町線の岐阜市内乗り入れようとして製作されたものの、路線廃止に伴い06年に福鉄に移籍してきた車両です。
この電車に乗って、次駅の「北府(きたご)」へ。ここには福鉄線の車庫及び工場があります。かつては「西武生」という駅名だったらしい。はためく幟はソフバンの白犬お父さんのもの。以前この駅でCMのロケーションが行われ、その縁でお父さん犬が当駅の名誉駅長に就任しているとか。もちろん今日はカイ君(だっけ?)は不在の無人駅です。
駅の周囲には、こんな立て看板があって、駅と車庫、そして大きな屋根の木造の検修庫。あたり全体が、ちょっとした産業文化財的な趣です。
まず目についたのは福鉄旧塗装に塗られたモハ600形602号。名古屋地下鉄名城線の車両のボディを元に、豊橋鉄道の車両の走り装置などを組み合わせて誕生した両運転台車…なのですが、15メートル級の中途半端な車体と、総括制御用のジャンパ線がなく、単行での運用しか出来ないため、ラッシュには輸送力不足、ディタイムは輸送力過剰…てな存在で、定期運用から外れて久しいようです。
602号はそれほど傷んだ感じはしませんが、車庫の奥に留置された同型の601号は、既に運用に就かなくなって久しいのか、だいぶ車体の傷みが目立ちます。
その601号の前に留置されていたのが、凸型電機のデキ3号。1951年製(ということは、私と同い年)の元名鉄デキ111号機。今でも除雪用や、工場内の入れ換えように出動機会があるようです。昭和26年製というと、凸型電機でもなかなか近代的なフォルムじゃない? と同い年の私が言ってみる。
そんなご同輩を愛でていると、踏切警報機が鳴って、やってきたのは休車中の600形と同じようなスタイルの610形の越前武生行き。モハ610+クハ610の2両編成です。
こちらもやはり、元は名古屋地下鉄名城線の車両。ラッシュ時の輸送力列車には欠かせない存在のようです。
同行のY君は、運転台や車内を撮ると、荷物を置きっぱなしにして610形に乗って行ってしまった。
置き去りの私は、構内にさりげなく置かれた路面電車用? のクラシカルな台車とか…。
駅はずれのポイントに設置された融雪用の散水装置なんぞを写真に収めます。
モハ610+クハ610が、田原町行きになって戻って来ました。写真に収め、ホームにダッシュ、2人分の荷物を運びこんで車内の人となる。
北府は無人駅なので、乗り込んだ時に整理券発行機を探しますが、見当たらない。運転士さんに尋ねたところ、「この電車はついてないんですよ、言ってもらえば大丈夫なんで…今日は途中で団体が入るんで、臨時の運用なんです」とのこと。
こういうアバウトさ、大好きです。
これは途中の家久駅だったか、水落駅だったか。交換駅のポイント付近には、降雪に備えた逆U字形の「スノーシェルター」が設置されています。
今回のY君のミッションは、運転台や車内設備のほか、サイド真横からの電車の写真、というのもあるとのこと。道中、真横写真の撮影に適当な場所を探しながら北上、下車したのは「神明」の駅。
交換設備に側線まで備えたなかなかの規模の駅。手前左側に見える、高床式のホームは現在は使用されておらず、奥の方の低床式ホームがもっぱら使われているようです。
御存知の通り、福鉄線は長年、鉄道形の高床電車で、福井市内の併用軌道に乗り入れていたのですが、06年から廃止となった名鉄の美濃町線、揖斐線の路面形電車を譲り受け、郊外の専用軌道区間のホームも低床式に改造、ディタイムはもっぱら路面形の電車が走るようになり、従来の高床の鉄道形電車は、主にラッシュ時の運用に用いられるようになりました。
確かに800形のような単行路面タイプでは、ラッシュ時の輸送力には足りない。かといって、ディタイムは格段に乗客数が減り、その乗客も病院通いの高齢者などが多い、とあっては、昼間帯、バリアフリー性の高い路面電車タイプばかりが運用されるのも、やむを得ないように思えます。
さて、神明駅では「真横」が撮りづらかったようで、さらに次の電車で歩みを進め、降り立ったのは「泰澄の里」駅。路面電車タイプの導入と同時期に、新設された駅のようで、交換不可片面一線のホームながら、清潔な多目的トイレがホームの中ほどに設置されており、私も午前中からの過剰水分摂取をこちらで解消。
ホームのはずれは、まだ田植えが始まっていない水田で、ドン曇りの空ながら、水をはった水田は水鏡となって行き交う電車の影を映します(モ776+777)。
最初に乗車したモ803が越前武生行きとなって走り去ります。
こちらはモ884+885。モ770形とモ880形は、どちらも似たような顔つきの連接車。前者は元揖斐線-岐阜市内線の直通急行用で、窓が固定式。後者は元美濃町線用で、窓が2段上昇式。770が4編成、880が5編成存在し、福武線の主力になっています。
北府の車庫に停まっていた888+889コカ・コーラ広告電車も、出動してきました。
やはり、先ほど乗った610形モハ610+クハ610の越前武生行き。この電車が来る少し前から風が出てきて、水田にはさざ波が立ち、残念ながら水鏡とはならず…。
さらに移動。次に降りたのは福井市街の外れになる「赤十字前」。ここの旧駅名は「福井新」。えちぜん鉄道には「新福井」駅があるので、両者併存時代はややこしかったことでしょうね。
ここでのお目当て…の前に…、この駅はJR南福井の旧貨物ヤードに隣接しています。ローズピンクの車体が見えたので、ダボハゼ鉄の本領発揮。待機していた原色EF8133を柵の隙間からパチリ。
寄り道終了。赤十字前の名物。この駅の側線に常駐する、福鉄デキ11号機がいるはずの場所へ…、アレ、ディーゼルモーターカーと、ホキがいるだけで、デキの姿が見えないよ…。
デキ11は、電気機関車を名乗っていますが、元を正せば大正13年製の木製電動貨車。貨車に運転台とパンタグラフをくっつけたような車両で、福鉄ではスノープローをつけて軌道線の除雪用に使われていたそうです。対面が楽しみだった車両のひとつなんですが…。
「解体されちゃったんだろうか?」
「だいぶ痛んでましたからね~、駅に行って聞いてみましょうか?」
ということで、赤十字前駅の駅員さんに…。
「あ~、あれはいま北府に持って行って、大工さんがいじってますよ~。中なんかだいぶ痛んでましたからね~」
大工さん? そりゃ木造車だからねぇ。ひとまずほっとします。
コンパクトに見えて、意外に大きかった北府の木造検修庫の奥に、たぶんデキ11はいたのでしょう。修理しているということは、まだしばらくは健在ということ。次の雪のシーズンに再び大正生まれの元電動貨車の勇姿を見られることを楽しみに…。
さて、線路は一つ武生寄りのの花堂から複線になり、次の木田四ツ辻からは併用軌道に入ります。
専用軌道の終端部分。武生から観察してきたところ、福武線の架線柱はコンクリートも多いんですが、ところどころ木柱が残っており、福井市内に近づくに連れ、がぜん鉄柱(かご形、というのかしら?)が存在感を放ち始めます。
車両はともかく…デジャブな感覚におそわれたのは、なんとなく大昔の都電砂町線で見たような光景だから?
木田四ツ辻電停近く、専用線から併用軌道上に出てきたモ880形。時刻は16時を回り、急行運転が始まっています。
木田四ツ辻電停で離合する鉄道線車両610形と路面形770形。こういう並びに、わけもなく萌えてしまいます。
傾いた夕刻の太陽が、電車の下回りを浮かび上がらせる。Y君の「真横」ミッションは、うまくいったのかな?
すっかりお馴染みになったモハ610+クハ610が、急行表示を出して越前武生に下っていく。私の立っているのは市内方面行きのホーム=安全地帯。線路幅(1067ミリ)と較べれば分かると思いますが、電車とクルマに挟まれるとけっこう怖いです。
それにしても…200形はやってこない。もう時刻は17時を回り、街はだんだん暮色に包まれてきます。200形は3編成あるんだから、一本くらい上がって来いや! と念じておりましたら…。
キターッ!!
併用軌道上に進入してくる200形、202編成。思わず鳥肌が立ってきます。
いままで、さんざん雑誌や諸先輩のブログで拝見している光景だけど、併用軌道上を走る高床の鉄道車両の存在感は圧倒的!
そうだ、こうしてはいられない。この場所で折り返しを狙うというY君と別れ、そうだ、まずは市役所前に…タックシー!
足羽川の橋は、夕方ラッシュのクルマで渋滞でしたが、市役所前の交差点についた時、200形電車は既に福井駅前で折り返し、交差点に進入中。進行してきた電車の奥が福井駅前。右側に伸びるのが、越前武生方向への線路。
まずは田原町方向行きの電停に停車する200形。その横に田原町からやってきた880形「コカ・コーラ」が並びます。
どちらも行き先は「越前武生」。但しコカ・コーラはこの先、福井駅前に立ち寄るため左に折れ、越前武生へは、200形の急行が先行します。
コカ・コーラが客扱いを終え、福井駅前方向に逃げると、200形急行が転線スイッチバックして、ホームに入ってきます。
路面電車のホームから見上げる鉄道線形車両。デカイ。高い。
お約束ですが…200形の乗降ステップ。私でも(には?)ドア脇の手すりをつかんで「よいしょっ」と声をかけて昇る感じ。
そそくさと客扱いを終えると、200形は越前武生に向かい出発して行きました。
入れ替わるように610形編成が急行福井駅前行きとなってが戻ってきた。
同じようにスイッチバックで転線し、駅前に向かい、さらに駅前から戻ってきて…。
15分サイクルのダイヤながら、各方向が枝線の福井駅前を往復するため、次から次へと電車がやってくる感じで、めまぐるしいほどの市役所前。
時刻は6時を大きく回り、街はすっかり暮色に包まれました。市役所前から枝線の福井駅前へは、そうだな、200メートルほどでしょうか。行き止まりの福井駅前で880形を最後に撮影して、三泊四日の旅の初日は打ち止めといたしましょう。
明日の朝も、ラッシュ時に活躍する(はずの)」200形を追っかける…つもりです。
三つ子の魂百まで、といいますが、いまだに電車の好みのタイプといえば、昭和30年代に製造された、丸みを帯びたデザインの当時の高性能電車、できれば顔立ちは、3枚窓より、2枚窓の湘南タイプが好ましい…でもそんな電車たちも、めっきり少なくなってしまいましたね。
長電2000系なきいま、そんな数少ないストライクゾーンど真ん中の電車が、福井鉄道モハ200形、昭和35年(1960年)製造、2車体連接のWN駆動、福井市内の併用軌道区間を走るため、前面にはカウキャッチャー(でいいのかな?)を取り付け、ドアに連動する3段のステップが付き…なんてことは、皆さんとうにご承知のことですね。
名古屋からの「しらさぎ」で武生着、駅前を出て少し歩くと、福井鉄道の「越前武生」駅です。以前は「武生新」という駅名で、なんで「新武生」じゃなく、後ろに「新」がつくのか、不思議に思っていたものです。
そんな憧れのモハ200形に会いに行くのに、東京駅を出発するのっけから、コレだ。まだ朝の7時半だっちゅーに…。
「どうせなら米原乗り換えじゃなく、名古屋から在来線で行きたいね」という私のリクエストに、同行のY君が選んだのが、品川、新横浜、小田原と止まった後は名古屋までノンストップの「ひかり」で、
「これなら途中のぞみに抜かれないし、5分くらいしか違わないのでお得です」
特急券は同額のはずなのに、なにがお得だかよくわかりませんが、自由席が空いていたのは確かです。
長距離、電車に乗る時は飲まずにいられない困った私の性格、新幹線の中でロング缶2本、車販で一本買い足し、乗り継ぎの「しらさぎ」でも…と、武生に着いた頃には既にいい塩梅に出来上がっております。取材のミッション持ちのY君は2本で自制。エライなぁ…。そんなわけで、新幹線で乗ったのが700系なのか、700Nなのか?「しらさぎ」は681?683?なんてことは、さっぱり意識することもなく、武生に到着です。
さて、のっけから憧れのモハ200形2編成に、越前武生駅で出会えてしまいました。いまは朝夕のラッシュ時中心の運用という200形、昼間はここで昼寝を決め込んでいるようです。しばしそのスタイルを愛でる。ゆったりと丸みを帯びた2扉の側面、正面2枚窓は、センターピラーが太いほうが、好み的にはドンピシャですが、これはこれで悪くない。埋め込みのデカ目のライトもいい!なによりよそでは見られないカウキャッチャーが存在感を強調しています。
でも…やっぱりこの車両は福井市内の路面区間で見てみたい。夕刻ラッシュでの再見を期待して先を急ぎましょう。
福井方面への次の発車はモ800形803号。側面が3ドアで、真中部分が超低床となっているLRT路面タイプで、連接車ではない福鉄では収容力が最も小さいタイプ。00年に名鉄美濃町線の岐阜市内乗り入れようとして製作されたものの、路線廃止に伴い06年に福鉄に移籍してきた車両です。
この電車に乗って、次駅の「北府(きたご)」へ。ここには福鉄線の車庫及び工場があります。かつては「西武生」という駅名だったらしい。はためく幟はソフバンの白犬お父さんのもの。以前この駅でCMのロケーションが行われ、その縁でお父さん犬が当駅の名誉駅長に就任しているとか。もちろん今日はカイ君(だっけ?)は不在の無人駅です。
駅の周囲には、こんな立て看板があって、駅と車庫、そして大きな屋根の木造の検修庫。あたり全体が、ちょっとした産業文化財的な趣です。
まず目についたのは福鉄旧塗装に塗られたモハ600形602号。名古屋地下鉄名城線の車両のボディを元に、豊橋鉄道の車両の走り装置などを組み合わせて誕生した両運転台車…なのですが、15メートル級の中途半端な車体と、総括制御用のジャンパ線がなく、単行での運用しか出来ないため、ラッシュには輸送力不足、ディタイムは輸送力過剰…てな存在で、定期運用から外れて久しいようです。
602号はそれほど傷んだ感じはしませんが、車庫の奥に留置された同型の601号は、既に運用に就かなくなって久しいのか、だいぶ車体の傷みが目立ちます。
その601号の前に留置されていたのが、凸型電機のデキ3号。1951年製(ということは、私と同い年)の元名鉄デキ111号機。今でも除雪用や、工場内の入れ換えように出動機会があるようです。昭和26年製というと、凸型電機でもなかなか近代的なフォルムじゃない? と同い年の私が言ってみる。
そんなご同輩を愛でていると、踏切警報機が鳴って、やってきたのは休車中の600形と同じようなスタイルの610形の越前武生行き。モハ610+クハ610の2両編成です。
こちらもやはり、元は名古屋地下鉄名城線の車両。ラッシュ時の輸送力列車には欠かせない存在のようです。
同行のY君は、運転台や車内を撮ると、荷物を置きっぱなしにして610形に乗って行ってしまった。
置き去りの私は、構内にさりげなく置かれた路面電車用? のクラシカルな台車とか…。
駅はずれのポイントに設置された融雪用の散水装置なんぞを写真に収めます。
モハ610+クハ610が、田原町行きになって戻って来ました。写真に収め、ホームにダッシュ、2人分の荷物を運びこんで車内の人となる。
北府は無人駅なので、乗り込んだ時に整理券発行機を探しますが、見当たらない。運転士さんに尋ねたところ、「この電車はついてないんですよ、言ってもらえば大丈夫なんで…今日は途中で団体が入るんで、臨時の運用なんです」とのこと。
こういうアバウトさ、大好きです。
これは途中の家久駅だったか、水落駅だったか。交換駅のポイント付近には、降雪に備えた逆U字形の「スノーシェルター」が設置されています。
今回のY君のミッションは、運転台や車内設備のほか、サイド真横からの電車の写真、というのもあるとのこと。道中、真横写真の撮影に適当な場所を探しながら北上、下車したのは「神明」の駅。
交換設備に側線まで備えたなかなかの規模の駅。手前左側に見える、高床式のホームは現在は使用されておらず、奥の方の低床式ホームがもっぱら使われているようです。
御存知の通り、福鉄線は長年、鉄道形の高床電車で、福井市内の併用軌道に乗り入れていたのですが、06年から廃止となった名鉄の美濃町線、揖斐線の路面形電車を譲り受け、郊外の専用軌道区間のホームも低床式に改造、ディタイムはもっぱら路面形の電車が走るようになり、従来の高床の鉄道形電車は、主にラッシュ時の運用に用いられるようになりました。
確かに800形のような単行路面タイプでは、ラッシュ時の輸送力には足りない。かといって、ディタイムは格段に乗客数が減り、その乗客も病院通いの高齢者などが多い、とあっては、昼間帯、バリアフリー性の高い路面電車タイプばかりが運用されるのも、やむを得ないように思えます。
さて、神明駅では「真横」が撮りづらかったようで、さらに次の電車で歩みを進め、降り立ったのは「泰澄の里」駅。路面電車タイプの導入と同時期に、新設された駅のようで、交換不可片面一線のホームながら、清潔な多目的トイレがホームの中ほどに設置されており、私も午前中からの過剰水分摂取をこちらで解消。
ホームのはずれは、まだ田植えが始まっていない水田で、ドン曇りの空ながら、水をはった水田は水鏡となって行き交う電車の影を映します(モ776+777)。
最初に乗車したモ803が越前武生行きとなって走り去ります。
こちらはモ884+885。モ770形とモ880形は、どちらも似たような顔つきの連接車。前者は元揖斐線-岐阜市内線の直通急行用で、窓が固定式。後者は元美濃町線用で、窓が2段上昇式。770が4編成、880が5編成存在し、福武線の主力になっています。
北府の車庫に停まっていた888+889コカ・コーラ広告電車も、出動してきました。
やはり、先ほど乗った610形モハ610+クハ610の越前武生行き。この電車が来る少し前から風が出てきて、水田にはさざ波が立ち、残念ながら水鏡とはならず…。
さらに移動。次に降りたのは福井市街の外れになる「赤十字前」。ここの旧駅名は「福井新」。えちぜん鉄道には「新福井」駅があるので、両者併存時代はややこしかったことでしょうね。
ここでのお目当て…の前に…、この駅はJR南福井の旧貨物ヤードに隣接しています。ローズピンクの車体が見えたので、ダボハゼ鉄の本領発揮。待機していた原色EF8133を柵の隙間からパチリ。
寄り道終了。赤十字前の名物。この駅の側線に常駐する、福鉄デキ11号機がいるはずの場所へ…、アレ、ディーゼルモーターカーと、ホキがいるだけで、デキの姿が見えないよ…。
デキ11は、電気機関車を名乗っていますが、元を正せば大正13年製の木製電動貨車。貨車に運転台とパンタグラフをくっつけたような車両で、福鉄ではスノープローをつけて軌道線の除雪用に使われていたそうです。対面が楽しみだった車両のひとつなんですが…。
「解体されちゃったんだろうか?」
「だいぶ痛んでましたからね~、駅に行って聞いてみましょうか?」
ということで、赤十字前駅の駅員さんに…。
「あ~、あれはいま北府に持って行って、大工さんがいじってますよ~。中なんかだいぶ痛んでましたからね~」
大工さん? そりゃ木造車だからねぇ。ひとまずほっとします。
コンパクトに見えて、意外に大きかった北府の木造検修庫の奥に、たぶんデキ11はいたのでしょう。修理しているということは、まだしばらくは健在ということ。次の雪のシーズンに再び大正生まれの元電動貨車の勇姿を見られることを楽しみに…。
さて、線路は一つ武生寄りのの花堂から複線になり、次の木田四ツ辻からは併用軌道に入ります。
専用軌道の終端部分。武生から観察してきたところ、福武線の架線柱はコンクリートも多いんですが、ところどころ木柱が残っており、福井市内に近づくに連れ、がぜん鉄柱(かご形、というのかしら?)が存在感を放ち始めます。
車両はともかく…デジャブな感覚におそわれたのは、なんとなく大昔の都電砂町線で見たような光景だから?
木田四ツ辻電停近く、専用線から併用軌道上に出てきたモ880形。時刻は16時を回り、急行運転が始まっています。
木田四ツ辻電停で離合する鉄道線車両610形と路面形770形。こういう並びに、わけもなく萌えてしまいます。
傾いた夕刻の太陽が、電車の下回りを浮かび上がらせる。Y君の「真横」ミッションは、うまくいったのかな?
すっかりお馴染みになったモハ610+クハ610が、急行表示を出して越前武生に下っていく。私の立っているのは市内方面行きのホーム=安全地帯。線路幅(1067ミリ)と較べれば分かると思いますが、電車とクルマに挟まれるとけっこう怖いです。
それにしても…200形はやってこない。もう時刻は17時を回り、街はだんだん暮色に包まれてきます。200形は3編成あるんだから、一本くらい上がって来いや! と念じておりましたら…。
キターッ!!
併用軌道上に進入してくる200形、202編成。思わず鳥肌が立ってきます。
いままで、さんざん雑誌や諸先輩のブログで拝見している光景だけど、併用軌道上を走る高床の鉄道車両の存在感は圧倒的!
そうだ、こうしてはいられない。この場所で折り返しを狙うというY君と別れ、そうだ、まずは市役所前に…タックシー!
足羽川の橋は、夕方ラッシュのクルマで渋滞でしたが、市役所前の交差点についた時、200形電車は既に福井駅前で折り返し、交差点に進入中。進行してきた電車の奥が福井駅前。右側に伸びるのが、越前武生方向への線路。
まずは田原町方向行きの電停に停車する200形。その横に田原町からやってきた880形「コカ・コーラ」が並びます。
どちらも行き先は「越前武生」。但しコカ・コーラはこの先、福井駅前に立ち寄るため左に折れ、越前武生へは、200形の急行が先行します。
コカ・コーラが客扱いを終え、福井駅前方向に逃げると、200形急行が転線スイッチバックして、ホームに入ってきます。
路面電車のホームから見上げる鉄道線形車両。デカイ。高い。
お約束ですが…200形の乗降ステップ。私でも(には?)ドア脇の手すりをつかんで「よいしょっ」と声をかけて昇る感じ。
そそくさと客扱いを終えると、200形は越前武生に向かい出発して行きました。
入れ替わるように610形編成が急行福井駅前行きとなってが戻ってきた。
同じようにスイッチバックで転線し、駅前に向かい、さらに駅前から戻ってきて…。
15分サイクルのダイヤながら、各方向が枝線の福井駅前を往復するため、次から次へと電車がやってくる感じで、めまぐるしいほどの市役所前。
時刻は6時を大きく回り、街はすっかり暮色に包まれました。市役所前から枝線の福井駅前へは、そうだな、200メートルほどでしょうか。行き止まりの福井駅前で880形を最後に撮影して、三泊四日の旅の初日は打ち止めといたしましょう。
明日の朝も、ラッシュ時に活躍する(はずの)」200形を追っかける…つもりです。
福鉄には数年前に乗りましたが、予習をして行かなかったので800型が現れたときは驚きました。200型をイメージしていたんですが・・・・。
線路状態が良くないのか走り始めると揺れが酷く、車端に座っていると振り落とされそうに感じました。
次回は是非200型に乗らねばと思っております。
by サットン (2012-05-15 15:59)
サットンさん
線路状態もありそうですが、気合の入った走りをするのでけっこう揺れますね。 880形の話ですが、転入時に弱め界磁を付加してスピードが出せるように改造したそうです。体感では60Km/hを越えていたかも…。この「気合の入った走り」は、後で乗車したえちぜん鉄道や富山地鉄でも体感しました。
xml_xslさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-05-15 17:38)
こんばんは
私も10年ほど前に福井鉄道に行きました
まだ485系の雷鳥が走っている頃に
雷鳥目当てで、武生の撮影場所の最寄り駅が
福井鉄道だたので乗ってみたら嵌ってしまい
半日福利鉄道で撮影した思い出があります
まだその一部の車両も残っているみたいですね
昔の電車特有の鉄を切ったような
匂いのする電車だった記憶が残っています
by gardenwalker (2012-05-16 00:28)
gardenwalker さん
消えてしまったけど、「雷鳥」って素敵な愛称でしたね。なんでもカタカナにすりゃあいいってもんでもない(笑)。季節はいつだったんでしょうか? 私はすでに「冬にもう一回行きたい」なんて思っているんですが、体力的にキツイかな?
フジトモさん
シュウチャンさん
J-powerさん
モボさん
プントさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-05-16 19:15)
ディブ松本さん
素人写真さん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-05-17 23:26)
いや~maipenrai様の福鉄写真にシビレまくるCedarでございます。
最近更新サボっていましたので、貴記事の勝手にスピンオフ企画で、昭和52年の福鉄1枚写真ネタでご機嫌伺いしてしまいいますした。
旧名鉄陣もこうしてみると良いですね。前面にカプラー付けて770+800、880+800とかで走れば輸送力も十分です~おっとそんなことをしたら200形が消えてしまいますね。
by Cedar (2012-05-19 00:01)
Cedarさん
そういえば岐阜の名鉄は連接車以外はカプラーつけて連結して走っていたんでしたね。えちてつのLRT化~福鉄市内線乗り入れ計画もあるし、実働50年を越える200形、その姿を見られるのも、あと数年でしょうか?
ところで、調べもせずに「カウチャッチャー」なんて書いてしまいましたが、200形のあれは正確にはなんていうでしょう。「排障器」と呼ぶにはやさしい形だし、「救助網」は人を掬い上げる構造のものですよね?
あおたけさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-05-19 10:38)
200系の存在感には圧倒されます。福井駅前から乗車した時はステップを注意しながら一段ずつ踏みしめました。車内のボックス式クロスシートもナイスです。田原町駅で横から見ると連接車だったのには驚きました。
by 京葉帝都 (2012-05-19 10:52)
京葉帝都さん
さすが皆さん、福鉄にはいらっしゃっているんですね。
昭和30年代生まれどころか、40年代生まれの車両すらどんどんレア化していますが、200形にはいつまでも元気で働き続けて欲しいと思ってます。
by maipenrai (2012-05-20 17:07)