恥ずかしい写真~C62「はくつる」~ [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]
「恥ずかしい写真」とタイトルを打ってから、昔のエッチな雑誌の下段に並んでいた広告を思い出してしまった私は、けっこう恥ずかしい…。
そもそもCedarさんのご幼少のみぎりのちょっとしたオイタの記事
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2011-12-08
のコメントに迂闊にも「恥ずかしいネタならいっぱいありまっせ」とヤッてしまったのがいけない。「是非公開を」と返されては、棺桶の蓋が閉じるまで秘匿し続け、あの世に持っていくつもりだった「恥掻きネタ」を出さないわけにはいかなくなりました。
心ある、正しき鉄道ファンの皆様の顰蹙を買うのは覚悟の上で、ホームラン級のアホ写真をお目にかけることにします。
時は昭和40年(1965年)、場所は仙台機関区。
この写真であります(ああ、恥ずかしい)。
機関車は平機関区のC6245。機関車に付いているヘッドマークは「はくつる」、ええ、「ゆうづる」ではありません。
皆様先刻ご承知のとおり、「はくつる」は昭和39年10月改正で上野-青森間に設定された寝台特急です。しかし、仙台までは東北本線を経由、平のC62が牽くことなど、あり得ないのであります。つまり、これは白昼堂々、撮影されたウソ写真、ヤラセ写真なのです。ホント、バカですね~。
では、もっと恥ずかしい写真を。
機関車の前部デッキに座って、ヘッドマークに手なぞかけちゃって、ニヤついている少年こそ、中学3年生の私…。
あ゛~、もう何をやってんだか。
機関区の片隅で見つけた「はくつる」のヘッドマーク、本来これは仙台~青森をロングランで牽引する仙台機関区のC61に掲出されるもの。いわば仙台機関区の誇りというべきヘッドマークであります。それを機関区の方におねだりして機関車にとりつけてもらった、と…。
それでも仙台区のC61につけて撮影するならまだしも、あろうことか平のC62にくっつけちゃうとは、開いた口がふさがらないとはこのことなのであります。まぁ、「はくつる」は夜行で、仙台を通過するのは上り下りとも深夜ですから、昼間機関車にヘッドマークがついてる事自体おかしいのですが。
ヘッドマークを拡大すると、ステーにしっかり刺さっていないのか、マークが斜めってるし…。
弁解をさせていただくなら…この時機関区にC61は何両もいたんですよ。ただ、どれもが扇形庫に頭を突っ込んで、転車台にお尻を向けている状態で。
たまたま庫外の光線状態のいいところに、C62が止まってくれていたので…だからってC62に「はくつる」はないだろ!
いちおう、こんな写真も撮ってます。
盛岡機関区のC60が来ていまして、これにもヘッドマークをつけて…。確かに盛岡のC60は盛岡-青森間で「はくつる」の前補機として運用されてました。でもこれもアウト!
「(C61の)ヘッドマークは(前補機C60の)巨大なテンダに隠され…」。鉄道ファン誌1965年1月号に掲載された、のちに鉄道ジャーナル編集長となられる竹島紀元さんの特別ルポ「北の流れ星」にこんな記述があったと、(雑誌はとっくに手元に無いのでうろ覚えですが)記憶しています。残念ながら、前補機C60にヘッドマークは付いていなかったのでした。
そう、あの記事にヤラれちゃったんですね、当時の私は。
もう熱病のように、「はくつる」を牽くC61が見たい。盛岡電化も間近に迫っているし、DD51の配置も加速している。とにかく「はくつる」は無理でも、北の地で活躍するハドソン三兄弟が見たい…。
そんな思いは募るばかりでした。で、この時生まれて初めて、単独での撮影行が許されて、夜行列車に乗って早暁の一関へ、風前の灯のD62や、C61の牽く寝台急行などを、駆け足ながら撮影する夢を叶えて…、あ、この写真は一関から仙台に向かう途中の小牛田駅ですね。
そして次の目的地、常磐線へ向かう途中、仙台で下車して機関区を訪問した際の愚行なのでした。
そこまでわかっていて、なんでC62に「はくつる」? ね、おかしいでしょ。このへんのもう天然としかいいようのないズレ具合が…やっぱり恥ずかしいんであります。さらにこういう性格が今に至るもあんまりなおっていないところも(以下略)。
機関区を辞す直前に、C61がようやく光線具合のいい場所に出てきてくれましたが、も一回ヘッドマークをつけてもらう余裕はありませんでした。
よもやこの半年後、常磐線回りの寝台特急「ゆうづる」が誕生し、正真正銘、C62がヘッドマークをつけて特急牽引の任につくことなど、まったく思いもよらなかったときの出来事です。
この後は、常磐線で鹿島へ向かい、日立木駅との間で撮影したのでしたが…オモチャにしてしまった報い、C6245が牽いてきた上り「みちのく」で手痛いしっぺ返しにあう羽目になったのですが、その件はまた別の機会に…。そうそう、前後は分断されているものの、原ノ町-相馬の間の常磐線がまもなく復旧、運転を開始するという、ちょっとうれしいニュースがありました。
おかげさまでカメラも修理が終わり戻って参りました。今年も残り僅か、いろいろ積み残していることを片付けなければ…。なんたって、忙しさにかまけて、2週間近くブログをほったらかしにしていた(コメ辺もせず申し訳ありません…)のが、一番恥ずかしい、かな。
そもそもCedarさんのご幼少のみぎりのちょっとしたオイタの記事
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2011-12-08
のコメントに迂闊にも「恥ずかしいネタならいっぱいありまっせ」とヤッてしまったのがいけない。「是非公開を」と返されては、棺桶の蓋が閉じるまで秘匿し続け、あの世に持っていくつもりだった「恥掻きネタ」を出さないわけにはいかなくなりました。
心ある、正しき鉄道ファンの皆様の顰蹙を買うのは覚悟の上で、ホームラン級のアホ写真をお目にかけることにします。
時は昭和40年(1965年)、場所は仙台機関区。
この写真であります(ああ、恥ずかしい)。
機関車は平機関区のC6245。機関車に付いているヘッドマークは「はくつる」、ええ、「ゆうづる」ではありません。
皆様先刻ご承知のとおり、「はくつる」は昭和39年10月改正で上野-青森間に設定された寝台特急です。しかし、仙台までは東北本線を経由、平のC62が牽くことなど、あり得ないのであります。つまり、これは白昼堂々、撮影されたウソ写真、ヤラセ写真なのです。ホント、バカですね~。
では、もっと恥ずかしい写真を。
機関車の前部デッキに座って、ヘッドマークに手なぞかけちゃって、ニヤついている少年こそ、中学3年生の私…。
あ゛~、もう何をやってんだか。
機関区の片隅で見つけた「はくつる」のヘッドマーク、本来これは仙台~青森をロングランで牽引する仙台機関区のC61に掲出されるもの。いわば仙台機関区の誇りというべきヘッドマークであります。それを機関区の方におねだりして機関車にとりつけてもらった、と…。
それでも仙台区のC61につけて撮影するならまだしも、あろうことか平のC62にくっつけちゃうとは、開いた口がふさがらないとはこのことなのであります。まぁ、「はくつる」は夜行で、仙台を通過するのは上り下りとも深夜ですから、昼間機関車にヘッドマークがついてる事自体おかしいのですが。
ヘッドマークを拡大すると、ステーにしっかり刺さっていないのか、マークが斜めってるし…。
弁解をさせていただくなら…この時機関区にC61は何両もいたんですよ。ただ、どれもが扇形庫に頭を突っ込んで、転車台にお尻を向けている状態で。
たまたま庫外の光線状態のいいところに、C62が止まってくれていたので…だからってC62に「はくつる」はないだろ!
いちおう、こんな写真も撮ってます。
盛岡機関区のC60が来ていまして、これにもヘッドマークをつけて…。確かに盛岡のC60は盛岡-青森間で「はくつる」の前補機として運用されてました。でもこれもアウト!
「(C61の)ヘッドマークは(前補機C60の)巨大なテンダに隠され…」。鉄道ファン誌1965年1月号に掲載された、のちに鉄道ジャーナル編集長となられる竹島紀元さんの特別ルポ「北の流れ星」にこんな記述があったと、(雑誌はとっくに手元に無いのでうろ覚えですが)記憶しています。残念ながら、前補機C60にヘッドマークは付いていなかったのでした。
そう、あの記事にヤラれちゃったんですね、当時の私は。
もう熱病のように、「はくつる」を牽くC61が見たい。盛岡電化も間近に迫っているし、DD51の配置も加速している。とにかく「はくつる」は無理でも、北の地で活躍するハドソン三兄弟が見たい…。
そんな思いは募るばかりでした。で、この時生まれて初めて、単独での撮影行が許されて、夜行列車に乗って早暁の一関へ、風前の灯のD62や、C61の牽く寝台急行などを、駆け足ながら撮影する夢を叶えて…、あ、この写真は一関から仙台に向かう途中の小牛田駅ですね。
そして次の目的地、常磐線へ向かう途中、仙台で下車して機関区を訪問した際の愚行なのでした。
そこまでわかっていて、なんでC62に「はくつる」? ね、おかしいでしょ。このへんのもう天然としかいいようのないズレ具合が…やっぱり恥ずかしいんであります。さらにこういう性格が今に至るもあんまりなおっていないところも(以下略)。
機関区を辞す直前に、C61がようやく光線具合のいい場所に出てきてくれましたが、も一回ヘッドマークをつけてもらう余裕はありませんでした。
よもやこの半年後、常磐線回りの寝台特急「ゆうづる」が誕生し、正真正銘、C62がヘッドマークをつけて特急牽引の任につくことなど、まったく思いもよらなかったときの出来事です。
この後は、常磐線で鹿島へ向かい、日立木駅との間で撮影したのでしたが…オモチャにしてしまった報い、C6245が牽いてきた上り「みちのく」で手痛いしっぺ返しにあう羽目になったのですが、その件はまた別の機会に…。そうそう、前後は分断されているものの、原ノ町-相馬の間の常磐線がまもなく復旧、運転を開始するという、ちょっとうれしいニュースがありました。
おかげさまでカメラも修理が終わり戻って参りました。今年も残り僅か、いろいろ積み残していることを片付けなければ…。なんたって、忙しさにかまけて、2週間近くブログをほったらかしにしていた(コメ辺もせず申し訳ありません…)のが、一番恥ずかしい、かな。
本物の機関車をおもちゃにしてしまうなんて、
なんていい時代だったことでしょう。
by manamana (2011-12-16 23:26)
昔の国鉄はずいぶんおおらか、当時は鉄キチさんも少ないしマナーも良かったのでは?いま娘のところで聞こえる汽笛はマナーの悪い撮り鉄への警告なのかサービスなのか。
by TAC (2011-12-17 07:17)
「私の恥ずかしい写真」っていうから、さぞかしと期待(!!)したのに、正しい王道鉄写真ではありませんか(笑)。
中学生でこういう体験ができたなんて、<うらやましい>と感じる方は多くても、恥ずかしいなんて誰も思いません。
そもそも、あの頃は鉄趣味そのものが、ちょっと恥ずかしい事だった~なんて!
by Cedar (2011-12-17 12:15)
manamanaさん
いい時代であったことは間違いありませんが、こういうアホなことをするのは私以外いなかった、と思います(汗)。私と同年配の方は、どなたも一途でストイックで…。
TACさん
そこらじゅうの線路が金網で囲まれてしまっている都会のファンは、地方に行くと羽を伸ばしてしまうんでしょうか? かくいう私も近所でJRを撮ろうとすると、けっこうストレスが溜まります。
それにしても、毎週蒸機の汽笛が聞こえるところにお住まいの娘さんがうらやましい…。
Cedarさん
お言葉を返すようですが(笑)、邪道も邪道、クリフ・リチャード&ザ・ジャドウズ(意味不明)ってくらいであります。小学生なら多少のやんちゃは許されても、中学生にもなって分別がないっていうのも困りものです…と60過ぎるまでまともな分別が身につかない私が言ってみます。
う~む、鉄道趣味を声高に広言すると「引かれちゃう」感はありましたねぇ。モテたいと思ったら、鉄趣味だけは口にするなという掟があったような…。
あんぱんち~さん
フジトモさん
マチャさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-12-17 19:06)
①クリフ・リチャード&ザ・ジャドウズ(意味不明)~座布団3枚!
②私が学生のころは、音楽好きな自分と鉄な自分~ジキルとハイドのように、2人の自分がいましたねえ~とにかくモテたいと思っていましたから鉄趣味は口にしなかったです。今の時代は楽ですね。
by Cedar (2011-12-18 14:54)
Cedarさん
座布団3枚、ありがたく頂戴します。
高校、あるいは中学の頃のダジャレネタ、栴檀は双葉より芳し、ではない、オヤジギャグは永遠に…、これじゃぁ女子にモテない人生もやむを得ません(苦笑、もしくは涙)。
gardenwalkerさん
nexus6さん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-12-18 21:55)
C61には「はくつる」、C62には「ゆうづる」・・・
今の時代よりもずっと特急列車もその牽引機にも
誇りと拘りがあった時代ですね。
昨今の撮影会などでEF510に「はくつる」のマークが
付けられているのを見ると、
なんだかなぁ・・・と思ってしまいます。
by あおたけ (2011-12-22 08:49)
あおたけさん
>EF510に「はくつる」のマーク
なるほど、そりゃぁ…しかし待てよ、そうしたらいすみのキハ52の「そと房」もどうなの? ってなっちゃいますね(アレは似合ってると思うんですが…)。
そういえば、C61が復活して大宮で試運転をしているとき、「はくつる」のマークをつけた写真をみたような気がするんですが、営業運転ではつけてないんでしょうか? 見てみたいなぁ…。
素人写真さん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-12-22 09:16)
初めまして。
「はくつる」のC60について調べていたらこちらの記事に目が留まりました。
盛岡のC60は補機ですけど、C61とは別にきちんとヘッドマークを付けて連結していましたのでアウトではありませんよ。
以前、故臼井茂信氏の撮影されたマーク付の盛岡C60先頭の重連駅撮り写真が度々雑誌に掲載されていましたし、それとは別の物ですが、雑誌「わが国鉄時代」の編集長ブログにも写真があります(直リンクは避けます)。
ttp://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2010/05/post_1271.html
その後、補機が盛岡のDD51になってからはマークなしでしたが、SL廃止でDD51重連になってからはマークがついていました。
by 105系F11 (2012-10-04 15:55)