チラ見・初関西・チョットだけよ [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]
前回の続きです。
東海道新幹線の初乗りを果たし、どこをどう通ったか記憶はないものの、なんとか無事に東海道線・甲子園口駅近くの叔母の家にたどり着いた父と私。
久しぶりに会って、積もる話もあろうに、そこは父に任せて、お昼ごはんをごちそうになるのもそこそこに、カメラを持って線路際に急ぐ私。だって初めての大阪(兵庫県ですが…)なんだもん、電車を見ないのはもったいない。
広々とした東海道線の線路際、颯爽と駆け抜けていったのはこの日から新大阪-博多間を走り始めた151系特急「つばめ」。昨日までは東海道線の看板列車だったのですが、今日からは山陽線区間の顔に衣替え。。
関門トンネルを越えて、交流電化区間の博多まで乗り入れるため、下関から先は電源車を従えたEF30&ED73に牽引されるという、ウルトラC技(当時流行りましたね、笑)をくりだしたのは、ご存知のとおりです。
そのためすっきりしていた前面スカート部分にものものしいジャンパ栓がつけられ、東海道線時代はカバーがかかっていた自連がむき出しになっているのがもの珍しかったですね。
こちらはやはりこの日デビューの宇野行きの特急「ゆうなぎ」。同じクロ151を先頭にした151系ですが、直流区間のみの運用のため、東海道線時代と同じスタイルで走っています。
内側線を走る80系電車の快速電車です。先頭…というか、後追いなので最後尾…は全金属製のクハ86300番代。大きな窓が垢抜けしていて、大好きな電車でした。
関東では珍しい方向別複々線。2つの信号を並べるため、張り出した鉄柱のアングルが新鮮でした。こちらも先頭はクハ86300、カッコいいなぁ…。
普通電車は当時関東でも普通に見られた3扉、4扉の混結。手前の高架橋は開通間もない名神高速でしょうか?
アップにして見ました。半流型のノーシル・ノーヘッダーに埋め込みヘッドライトのクハ…といっても、外観からは形式まではわかりません。55も68も当時はいたんですね。この辺りは複雑すぎて…。
歩いてさらに北へ…。やがて阪急神戸線の線路とぶつかりました。
1010系5連の普通梅田行き。阪急初の新性能車1000系の増備量産型…2扉でロングシート…だそうですが、なんて美しい電車なんでしょうか。私、カルダンドライブが採用された初期の頃の車両、旧性能車と新性能車の過渡期の電車に、妙に惹かれてしまうんです。なんでなのか、自分でもよく分からないんですが…京成でも一番好きだったのは750-2250形だったり…。そういえば屋根側面に埋め込まれた通風器が、京成のクハ2000(更新後)を思い出させてくれますね。
とはいっても中学2年生の当時は、阪急電車といえば知っていたのは新製間もないオートカーこと2000系(京都線2300系)だけで、颯爽と走る梅田行き特急を撮ろうとしたら、古臭い電車がカブってしまって…。
手前の2扉下降窓の車両、854の番号が見えますが、1949年製800系のクハ854のよう。これまた、故事来歴のある電車のようですが…電車音痴がWiki頼りの生兵法は怪我のもと。ここはおとなしくしておきましょう。
2000系といえば…これは酷いアングルだなぁ…。下りの三宮行き特急ですが…古枕木の表面を焼き焦がした柵が懐かしいなぁ…と笑っていただければ…。左奥は西宮車庫で、もうここは西宮北口駅の近くです。
西宮北口名物といえばコレ! 神戸線と今津線の平面交差ですね。
今津線の320形5連の宝塚行きが、本線との交差部分を渡っているところです。
ダイヤモンドクロスのあたりを拡大。
写真で見ると、今津線の線路が真っ直ぐ繋がっていて、本線の線路が分断されているように見えるんですが…、当然ながら双方、車輪のフランジが通過できるよう、線路に切れ目が入っているはずですよね。まさか通過側だけフラットにするような高度なメカが隠されているとか…?
ただ本線と今津線が直交するだけでなく、相互の連絡線も設けられていて、今から思えばあり得ないような配線だった西宮北口駅。もっとじっくり撮っていればなぁ…と毎度の詮ない後悔です。
この10数年後、仁川にある楕円形(おむすび形か?)の原っぱに出かけた折にも、まだこの平面交差は残っていたはずですが、写真は撮らずじまい…ウマの写真は撮っているんだけどなぁ…。
帰りの新幹線の時間が迫って来ました。叔母の家まで戻り、父と一緒に甲子園口の駅へ向かいます。(じっさいは「つばめ」の後に阪急、「ゆうなぎ」以降は西宮北口の帰りに撮影したようですが…)。
甲子園口の駅で上り電車を待つ間、外側線を走り抜けていった上りの「ゆうなぎ」。
普通電車に乗って…あら、尼崎で下車してしまったようです。
左側で後ろ姿を見せているクハ79が、どうやら甲子園口-尼崎間を乗った電車。福知山線に直通の客車列車がDF50に牽かれて尼崎駅に進入してきます。
尼崎駅では、C11が入換作業に精を出していたり…、
シャイなアングルにもほどがあるだろ? と突っ込みたいほど遥か遠くに、三枚窓クハ86を先頭とする快速電車を撮ったり…、
真逆光&シャイな(以下略)下り151系特急「しおじ」を撮ったりしてるんですが…、
尼崎途中下車の狙いはこの列車に乗りたかったことにあるらしい。
C57が牽引する福知山線大阪行きの普通列車…。たぶん福知山線上りの専用ホームだったらしい5番線には、みごとに人っ子ひとりいませんね。当たり前だって!
尼崎-大阪のひと区間、SL客車の旅を楽しみ(!?)到着した大阪駅。これも酷い逆光ですが、C5758のナンバーがかろうじて判別できます。
生まれて初めての大阪でしたが、滞在は5時間ほどで帰途につきます。新大阪駅で並んだ0系新幹線。おそらく私たちの乗った17時新大阪発の上り新幹線が、ホームを離れようとするところ…? そういえば当時「0系」なんて言葉、誰も使わなかったような…。
次のカットはもう京都駅を発車した直後。往路でも撮った夕闇迫る塩小路の陸橋を走る京都市電。無理矢理ゲインを上げたせいで思いっきりトーンジャンプしてます(恥)。
名古屋駅、あたりはすっかり暗くなっています。そういえば、昔の汽車旅って、見送りのひとが多かったですね。
あー、帰りにも「お願い、車掌さん!」をやっちゃってますね(汗)。210キロを指したスピードメーターを撮りたかったんでしょうが、残念ながら表示は165キロです。
そんなこんなで…新幹線開業日初乗りの旅も、無事に東京駅に帰着することができたようです。
お見苦しい写真ばかりで、お詫びいたします。
おつきあいいただき、ありがとうございました。
東海道新幹線の初乗りを果たし、どこをどう通ったか記憶はないものの、なんとか無事に東海道線・甲子園口駅近くの叔母の家にたどり着いた父と私。
久しぶりに会って、積もる話もあろうに、そこは父に任せて、お昼ごはんをごちそうになるのもそこそこに、カメラを持って線路際に急ぐ私。だって初めての大阪(兵庫県ですが…)なんだもん、電車を見ないのはもったいない。
広々とした東海道線の線路際、颯爽と駆け抜けていったのはこの日から新大阪-博多間を走り始めた151系特急「つばめ」。昨日までは東海道線の看板列車だったのですが、今日からは山陽線区間の顔に衣替え。。
関門トンネルを越えて、交流電化区間の博多まで乗り入れるため、下関から先は電源車を従えたEF30&ED73に牽引されるという、ウルトラC技(当時流行りましたね、笑)をくりだしたのは、ご存知のとおりです。
そのためすっきりしていた前面スカート部分にものものしいジャンパ栓がつけられ、東海道線時代はカバーがかかっていた自連がむき出しになっているのがもの珍しかったですね。
こちらはやはりこの日デビューの宇野行きの特急「ゆうなぎ」。同じクロ151を先頭にした151系ですが、直流区間のみの運用のため、東海道線時代と同じスタイルで走っています。
内側線を走る80系電車の快速電車です。先頭…というか、後追いなので最後尾…は全金属製のクハ86300番代。大きな窓が垢抜けしていて、大好きな電車でした。
関東では珍しい方向別複々線。2つの信号を並べるため、張り出した鉄柱のアングルが新鮮でした。こちらも先頭はクハ86300、カッコいいなぁ…。
普通電車は当時関東でも普通に見られた3扉、4扉の混結。手前の高架橋は開通間もない名神高速でしょうか?
アップにして見ました。半流型のノーシル・ノーヘッダーに埋め込みヘッドライトのクハ…といっても、外観からは形式まではわかりません。55も68も当時はいたんですね。この辺りは複雑すぎて…。
歩いてさらに北へ…。やがて阪急神戸線の線路とぶつかりました。
1010系5連の普通梅田行き。阪急初の新性能車1000系の増備量産型…2扉でロングシート…だそうですが、なんて美しい電車なんでしょうか。私、カルダンドライブが採用された初期の頃の車両、旧性能車と新性能車の過渡期の電車に、妙に惹かれてしまうんです。なんでなのか、自分でもよく分からないんですが…京成でも一番好きだったのは750-2250形だったり…。そういえば屋根側面に埋め込まれた通風器が、京成のクハ2000(更新後)を思い出させてくれますね。
とはいっても中学2年生の当時は、阪急電車といえば知っていたのは新製間もないオートカーこと2000系(京都線2300系)だけで、颯爽と走る梅田行き特急を撮ろうとしたら、古臭い電車がカブってしまって…。
手前の2扉下降窓の車両、854の番号が見えますが、1949年製800系のクハ854のよう。これまた、故事来歴のある電車のようですが…電車音痴がWiki頼りの生兵法は怪我のもと。ここはおとなしくしておきましょう。
2000系といえば…これは酷いアングルだなぁ…。下りの三宮行き特急ですが…古枕木の表面を焼き焦がした柵が懐かしいなぁ…と笑っていただければ…。左奥は西宮車庫で、もうここは西宮北口駅の近くです。
西宮北口名物といえばコレ! 神戸線と今津線の平面交差ですね。
今津線の320形5連の宝塚行きが、本線との交差部分を渡っているところです。
ダイヤモンドクロスのあたりを拡大。
写真で見ると、今津線の線路が真っ直ぐ繋がっていて、本線の線路が分断されているように見えるんですが…、当然ながら双方、車輪のフランジが通過できるよう、線路に切れ目が入っているはずですよね。まさか通過側だけフラットにするような高度なメカが隠されているとか…?
ただ本線と今津線が直交するだけでなく、相互の連絡線も設けられていて、今から思えばあり得ないような配線だった西宮北口駅。もっとじっくり撮っていればなぁ…と毎度の詮ない後悔です。
この10数年後、仁川にある楕円形(おむすび形か?)の原っぱに出かけた折にも、まだこの平面交差は残っていたはずですが、写真は撮らずじまい…ウマの写真は撮っているんだけどなぁ…。
帰りの新幹線の時間が迫って来ました。叔母の家まで戻り、父と一緒に甲子園口の駅へ向かいます。(じっさいは「つばめ」の後に阪急、「ゆうなぎ」以降は西宮北口の帰りに撮影したようですが…)。
甲子園口の駅で上り電車を待つ間、外側線を走り抜けていった上りの「ゆうなぎ」。
普通電車に乗って…あら、尼崎で下車してしまったようです。
左側で後ろ姿を見せているクハ79が、どうやら甲子園口-尼崎間を乗った電車。福知山線に直通の客車列車がDF50に牽かれて尼崎駅に進入してきます。
尼崎駅では、C11が入換作業に精を出していたり…、
シャイなアングルにもほどがあるだろ? と突っ込みたいほど遥か遠くに、三枚窓クハ86を先頭とする快速電車を撮ったり…、
真逆光&シャイな(以下略)下り151系特急「しおじ」を撮ったりしてるんですが…、
尼崎途中下車の狙いはこの列車に乗りたかったことにあるらしい。
C57が牽引する福知山線大阪行きの普通列車…。たぶん福知山線上りの専用ホームだったらしい5番線には、みごとに人っ子ひとりいませんね。当たり前だって!
尼崎-大阪のひと区間、SL客車の旅を楽しみ(!?)到着した大阪駅。これも酷い逆光ですが、C5758のナンバーがかろうじて判別できます。
生まれて初めての大阪でしたが、滞在は5時間ほどで帰途につきます。新大阪駅で並んだ0系新幹線。おそらく私たちの乗った17時新大阪発の上り新幹線が、ホームを離れようとするところ…? そういえば当時「0系」なんて言葉、誰も使わなかったような…。
次のカットはもう京都駅を発車した直後。往路でも撮った夕闇迫る塩小路の陸橋を走る京都市電。無理矢理ゲインを上げたせいで思いっきりトーンジャンプしてます(恥)。
名古屋駅、あたりはすっかり暗くなっています。そういえば、昔の汽車旅って、見送りのひとが多かったですね。
あー、帰りにも「お願い、車掌さん!」をやっちゃってますね(汗)。210キロを指したスピードメーターを撮りたかったんでしょうが、残念ながら表示は165キロです。
そんなこんなで…新幹線開業日初乗りの旅も、無事に東京駅に帰着することができたようです。
お見苦しい写真ばかりで、お詫びいたします。
おつきあいいただき、ありがとうございました。
あ~たのしかった!ありがとうございました。
by hanamura (2011-10-05 05:43)
おはようございます。
貴重なお写真拝見出来てありがとうございます。
by よしくん (2011-10-05 05:55)
hanamuraさん
西宮北口の駅の近くにあった西宮球場(阪急ブレーブスの本拠地)のこととか、書きたいことはあったんですが、あまりにもとりとめがなくなるので…長々と失礼しました。
よしくんさん
逆光や露光不足、さらに保管が悪くネガ傷だらけの写真を無理矢理補正して…お目汚しになったのではないかと危惧しております。
gardenwalkerさん
ほりけんさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-10-05 18:17)
子供の頃、大好きだった鉄道図鑑とか絵本とかを眺めている様な、見ていてなんとも心地イイ感じでありました。
by nexus6 (2011-10-05 20:38)
nexus6さん
ソレです! 自分でもネガを見ながら、ちょこっと撮っちゃ移動…で次から次へと食い散らかしてる感じで、ちっともマニアっぽくない。中2の鉄行動としてはこんなもんかな、と思っていたんですが、もうちょっと幼い感じですね。やっぱり江戸川のダボハゼは、関西に行ってもダボハゼなのでありました。そういいつつ、こういうの、いまだに嫌いじゃありませんが…(笑)。
フジトモさん
niceありがとうございます。改めてフジトモさんの国鉄型電機へのこだわりが眩しいです。
by maipenrai (2011-10-05 21:23)
いいなあ~少年のわくわく感が伝わってきます!
撮るだけ!よりあちこち移動して、乗って見て楽しんで、という、こういうのが好きです。~気がついてみたら今でもまったく変わっていないのが私です。
それにしても関西に親戚がおありだったとはうらやましい!私だったら休みのたびに関西私鉄めぐりの拠点にしちゃってたでしょうね!
by Cedar (2011-10-05 21:31)
まだまだ蒸気機関車が当たり前のように活躍していたんですね。
西宮北口の線路が込み入っていますが、
架線もものすごい事になっていますね。
通過する音を聞いてみたかったです。
by manamana (2011-10-05 22:28)
実に羨ましいご経験をされていらっしゃるのですね!新幹線が今と違って別世界の存在だったという雰囲気が伝わってきます。
当時の東海道線の信号機は独特ですね!!急行線と緩行線の間に信号の柱を立てられなかったからだと思いますが鉄骨が物々しくもあります。
ただ、JRより私鉄という私は、今津線の5連のお写真に真っ先に目が向いてしまいました(汗)
私も先月、四国・関西を旅行しmaipenrai様と場所は異なりますが東海道線を少々と阪急ほか関西の私鉄を撮影してきました。
by 利きゅう (2011-10-06 00:26)
おはようございます。
Cedarさん
私の場合、電車に興味がなかったわけではなく、「浅い」んですね。それは今でも…なんですが、せめて今程度の知識や情報を持って、当時の西宮北口に行くことができたら、一日いても飽きることはないでしょうね。ああ、タイムマシンが欲しい(笑)。
manamanaさん
西宮北口の駅は神戸線と今津線が直交し、神戸線のホームは今津線を挟んで上りは神戸方、下りは大阪方にそれぞれ追い抜き設備のある島式ホームが点対称で向きあい、さらに今津線の宝塚方から神戸、大阪両方向に短絡線があって、そこにもホームが…さらに駅のはずれには車庫まで…というカオスな駅でした。ダイヤモンドクロスを渡る吊りかけ電車の音…たまらないですね(笑)。
利きゅうさん
実は密かに貴兄のブログを拝見させていただいてます(足跡を残さず失礼してます)。家内の実家が、高松・仏生山から南に真っ直ぐ降りた徳島県の美馬市というところで、琴電の記事はわくわくしながら見せて頂きました。今度帰省する時は、元京急の電車に会いに行きたいですね。
by maipenrai (2011-10-06 07:41)
昭和39年の新幹線、関西国電、阪急電車、大阪駅・・・・たっぷり楽しませて頂きました。私が新幹線に乗ったのは、その翌年でありました。
北口の平面交差が無くなっちゃったのは寂しいですね。あの音を未だに覚えています。
普通の平面交差だった気がしますが、光線の具合でしょうか・・・・?
http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2009-01-04
昭和31年の写真ですが・・・・・。
by む〜さん (2011-10-06 08:46)
写真を見入ってしまいました。
阪急にグッときました(笑)
0系って呼ばれるようになったのは、100系がデビューした時に区別をする為って聞いた事があるんですが、それであれば昭和50年代後半から0系って呼ばれるようになったのではないでしょうか・・・たぶん(汗)
by J-power (2011-10-06 11:55)
む〜さん
やっぱり西宮北口にはいらっしゃっているんですね。それにしても昭和31年とは…私はまだ小学校にも上がらない鼻垂れのガキでした。やはりあそこは「電車道(でんしゃみち、ではなく、でんしゃどう)」の先輩方の聖地だったんですね。ブログへのサットンさんのコメントで、近くの商業施設にジオラマがあることを知りました。ジオラマでもいいから、もう一度あの光景を見てみたいですね。
J-powerさん
いいでしょう、阪急。
上のコメにも書いた西宮北口のジオラマ、模型音痴の私でもグッときました(笑)。
0系どころか100系すら風前の灯の新幹線。年を取るわけであります。
by maipenrai (2011-10-06 18:18)
こんにちは。
国鉄の3扉のクハは、砲弾型ヘッドライトのノーシルノーヘッダー車ですね。結構特徴があるので、形式は特定できると思いますよ。
by 伊 謄 (2011-10-06 22:14)
伊 謄さん
おはようございます。私のアンチョコ(笑)、沢柳健一さんの「旧型国電50年」によると、ノーシルノーヘッダ、砲弾型ライトは昭和14年度製造のクハ55/モハ60/クハニ67特有のスタイルなですが、このとき10両造られたクハ55のうち、3両が戦後クハ68に改造されているようなのです。で、クハ68も55も関西にいたらしい…。ただ、手持ちの配置表が年度がずれているので、この時見たのがクハ55だか、68だかは分からないんです…、が。
by maipenrai (2011-10-07 08:59)
今回も貴重なお写真ばかりですね!
西宮北口の平面交差、クロスした線路ももちろん面白いのですが、
櫓のように組まれた架線柱もスゴいですね。
湘南フェイスの80系は名車だと思うのですが、
残念ながら、この顔の80系は一両も保存されて
いないんですよね・・・。
by あおたけ (2011-10-07 09:31)
阪急1000系、今見ても重々しいですね。子供の頃を阪急宝塚線沿線で過ごした私は2100、3100系以外は乗車拒否する厄介な子供でした。
by サットン (2011-10-07 14:55)
あおたけさん
そうなんですか、JR東日本や東海が、一両くらい保存してくれていると思ってました。あの顔はその後の鉄道車両ののデザインに大きな影響があったのはもちろんですが、広々とした運転台(運転席は重役椅子みたいでした)がまた素敵だったんです。残念だなぁ…。
サットンさん
む~さんブログへのコメント、それもかなり前のものを勝手に引用させていただき失礼しました。
>2100、3100系以外は乗車拒否する厄介な子供
よ~くわかります(笑)。私も京成で「赤い電車じゃないとヤダ!」とゴネたと、父に聞かされたことがあります。
by maipenrai (2011-10-07 20:06)
書き込みてすと
by なにわ (2011-11-08 20:01)
ここでははじめまして、どうしても気になったので。
ノーシル・ノーヘッダーのクハ、55も68もおりました。
10両の内、3両は戦災と事故で廃車、3両がクロスシート設置で68になっておりますが、この段階で本線緩行に残っていたのは、55065、55071、68088、68090の4両です。台車がころ軸受ならば55071で確定なのですが。
55065は早い時期に取り付けライトになってますから、平軸受なら68の2両、68088は中央線転出してすぐに土砂崩れに巻き込まれて廃車になってますから写真があまり無いので・・・。
大鉄型信号柱、民営化前後までは残っていたのですが、阪神間に関しては残っていても震災で全滅しています。もう、残ってないんじゃないでしょうか。
by なにわ (2011-11-08 20:13)
なにわさん
コメントありがとうございます。車両ナンバーが定かでなくても外形である程度車番まで推定できるというのが古い車両の醍醐味ですね。クモハ51やクハ68というのは、関東では見られなかった形式なので、気にはしていたのですが、旧国の世界は中学生には荷が重すぎました。
by maipenrai (2011-11-08 22:11)