鉄道博覧会~昭和37年 [昔鉄(フジペットシリーズ)]
雨こそ降らないけれど、どんよりした空模様、なにより6月に入ったとは思えない気温の低さで、気分も体調もパッとしません。仕事が詰まって気晴らしに短時間、線路際に立つこともままならず、本ブログの更新もとどこおりがち。
そういえば、ブログ開設時に「マイカテゴリ」の設定を求められ、思いつくまま作成したはいいけれど、さっぱり記事本数が増えていかないカテゴリがいくつもあって、「おでかけ鉄」が都電荒川線1回きりじゃ、いかにも寂しい…といって、どこにも出かけていないから仕方ないんですが…。
ということで、やはりさっぱり記事が増えない「フジペットシリーズ(シリーズになってない?)」の古ネタを引っ張り出してみました。
昭和37年(1962年)6月、東京晴海にあった東京国際見本市会場で「伸びゆく鉄道科学大博覧会(鉄道博)」というイベントが催されました。
昭和37年は鉄道90周年の年、主催する毎日新聞社も創刊90周年ということで、盛大に開かれたわけですが、調べてみると開催時期が6月15日から7月10日、野外展示を中心にしたイベントとしては、梅雨時だし、夏休みをハズしているし、なかなか微妙…。
この国際展示場は1996年に閉場したそうですが、それまでは東京モーターショー(私たちの世代は「自動車ショー」)をはじめ東京で大きなイベントといえば「晴海」、若い世代の方なら、コミックマーケットの開催地としてご存じの方も多いかと思います。
それはともかく、各地から現役車両、保存車両がかきあつめられ、晴海埠頭の一角にずらりと並べられたわけです。
ED7211
九州に行かなければ見られない、こういう機関車は撮っているんですが、展示されていたはずの401系電車は撮っていない…。上野に行けば撮れるから、ってことなのかなぁ。小学生の私、相当フィルムをケチっております。
EF551
よもやこの機関車がのちに復活するとは…って前にも書きましたね。運転室を公開していたようで、ムーミン顔は子供たちに大人気。右後方にチラリと見えるのはキロ28でしょうか。
クモヤ93000
架線試験車。ご存知時速175キロの狭軌鉄道世界最高速度のレコードホルダー。
当時晴海埠頭には小名木川-越中島から臨港鉄道が伸びてきており、ワムやトラを岸壁近くで見ることが出来ました。鉄道博で展示された車両の多くは、このルートで搬入されたと思われますが、う~ん、回送風景を撮りたかったなぁ…
DF50510
これも東京近辺の子供にとってはめったに見られない機関車です。
写真がことごとくてっぺんが切れてしまっています。私のフジペット、ファインダーの画角と、実際の画角がズレていたんでしょうか? それとも…単に私の感覚がヘン?
。
1号機関車義経号
いまでも大阪の交通科学博物館で見ることができるんですね。
C62と20系客車の連結部
……。って何を狙って撮っているんだか…48年前の自分を小一時間問い詰めたい。C62は1号機、「あさかぜ」のヘッドマークを付けているはずなんですけどね~。
マイテ3911
「平和」のトレインマークに自慢気に手をかけているのは私の幼なじみにして最初の鉄友・小山悟くん。家が隣同士で誕生日も近いことから、いつも一緒につるんで東京駅や上野駅、万世橋の交通博物館などをちょろちょろと巡っていました。中学は別々の学校となり、一緒に出歩くことも少なくなりましたが、高校一年になった年、ちょうど今頃の季節だったと記憶しますが、医療事故がもとで急逝してしまいました。
実は博覧会自体の記憶はあまり残っておらず、博覧会会場への経路を、二人でああでもないこうでもないとやりあったことを鮮明に覚えています(行きは東京駅からバスで、帰りは錦糸町までのバスに乗った…と思う)。
彼が生きていれば、爺さんになった同士、やはりああでもないこうでもないと鉄談義をしていたのだろうかと、詮無いことを考えます。
思えば彼が生きた年月の何倍もの時間を徒に馬齢を重ねてしまいました。
そういえば、ブログ開設時に「マイカテゴリ」の設定を求められ、思いつくまま作成したはいいけれど、さっぱり記事本数が増えていかないカテゴリがいくつもあって、「おでかけ鉄」が都電荒川線1回きりじゃ、いかにも寂しい…といって、どこにも出かけていないから仕方ないんですが…。
ということで、やはりさっぱり記事が増えない「フジペットシリーズ(シリーズになってない?)」の古ネタを引っ張り出してみました。
昭和37年(1962年)6月、東京晴海にあった東京国際見本市会場で「伸びゆく鉄道科学大博覧会(鉄道博)」というイベントが催されました。
昭和37年は鉄道90周年の年、主催する毎日新聞社も創刊90周年ということで、盛大に開かれたわけですが、調べてみると開催時期が6月15日から7月10日、野外展示を中心にしたイベントとしては、梅雨時だし、夏休みをハズしているし、なかなか微妙…。
この国際展示場は1996年に閉場したそうですが、それまでは東京モーターショー(私たちの世代は「自動車ショー」)をはじめ東京で大きなイベントといえば「晴海」、若い世代の方なら、コミックマーケットの開催地としてご存じの方も多いかと思います。
それはともかく、各地から現役車両、保存車両がかきあつめられ、晴海埠頭の一角にずらりと並べられたわけです。
ED7211
九州に行かなければ見られない、こういう機関車は撮っているんですが、展示されていたはずの401系電車は撮っていない…。上野に行けば撮れるから、ってことなのかなぁ。小学生の私、相当フィルムをケチっております。
EF551
よもやこの機関車がのちに復活するとは…って前にも書きましたね。運転室を公開していたようで、ムーミン顔は子供たちに大人気。右後方にチラリと見えるのはキロ28でしょうか。
クモヤ93000
架線試験車。ご存知時速175キロの狭軌鉄道世界最高速度のレコードホルダー。
当時晴海埠頭には小名木川-越中島から臨港鉄道が伸びてきており、ワムやトラを岸壁近くで見ることが出来ました。鉄道博で展示された車両の多くは、このルートで搬入されたと思われますが、う~ん、回送風景を撮りたかったなぁ…
DF50510
これも東京近辺の子供にとってはめったに見られない機関車です。
写真がことごとくてっぺんが切れてしまっています。私のフジペット、ファインダーの画角と、実際の画角がズレていたんでしょうか? それとも…単に私の感覚がヘン?
。
1号機関車義経号
いまでも大阪の交通科学博物館で見ることができるんですね。
C62と20系客車の連結部
……。って何を狙って撮っているんだか…48年前の自分を小一時間問い詰めたい。C62は1号機、「あさかぜ」のヘッドマークを付けているはずなんですけどね~。
マイテ3911
「平和」のトレインマークに自慢気に手をかけているのは私の幼なじみにして最初の鉄友・小山悟くん。家が隣同士で誕生日も近いことから、いつも一緒につるんで東京駅や上野駅、万世橋の交通博物館などをちょろちょろと巡っていました。中学は別々の学校となり、一緒に出歩くことも少なくなりましたが、高校一年になった年、ちょうど今頃の季節だったと記憶しますが、医療事故がもとで急逝してしまいました。
実は博覧会自体の記憶はあまり残っておらず、博覧会会場への経路を、二人でああでもないこうでもないとやりあったことを鮮明に覚えています(行きは東京駅からバスで、帰りは錦糸町までのバスに乗った…と思う)。
彼が生きていれば、爺さんになった同士、やはりああでもないこうでもないと鉄談義をしていたのだろうかと、詮無いことを考えます。
思えば彼が生きた年月の何倍もの時間を徒に馬齢を重ねてしまいました。
晴海で何でも開催されていたのですね!
ホント展示車両の移動中を見てみたかったなぁ。
私はモーターショーが、幕張より晴海…という世代です。
by hanamura (2011-06-02 05:37)
実物を仮線で運んできて展示するなんて、
なんとゴージャスな展示会でしょう。
今なら、北海道や九州の車両だとものたりないので、
海外の新幹線を持ってくるなんていう企画を、
是非やって欲しいです。
by manamana (2011-06-02 06:03)
ピントがど~の、構図がこ~のと、特に自分が撮った写真に対してはキビシク見てしまいますが、でも数十年も経ってしまえば、その瞬間を切り取っていた行為全体が貴重なコトとして残るんですよね
そういえば小生も小学生時代にクモヤ93000を撮ったのですが、ハテサテ ネガやプリントがどこにいっちまったのやら? 遺失してしまったら元も子もないですわ....
by nexus6 (2011-06-02 07:04)
この博覧会には私も行きましたよ。ほんのガキの頃なので父親に連れられて~写真もいくらかあったはずですが見つからない。
展示車両はEF55くらいしか記憶がないです。DF50なんか来ていたのか・・・
前の職場が晴海のトリトンスクエアで、そのころは貨物線の残骸も残っていてオフすの窓から見えていました、そういえばここで鉄道博覧会があったなあ・・と記臆がよみがえったものでした。
by Cedar (2011-06-02 08:21)
いや~、懐かしい!昭和37年といえば、私は24歳、新婚一年も経っていません。家内と、オヤジ・・・・当時64歳(今の私より10歳近く「若い」)と、三人で出掛けてゆきました。何故かED72と、伊予鉄の『坊ちゃん機関車』を覚えています。いろいろな車両の前、オリンパスペンで白黒フィルムに記念写真を一杯撮ったんですが、きちんと車両は写さなかった記憶。たぶん、現場で写さねば、なんて考えていたようです。そんなフィルムも、『ビネガーなんとやら』に罹病して、見る影もありません。とほほ・・・・であります。
若き日を思い出して、ちょっぴりセンチメンタル!懐かしい写真、感謝です。
by む〜さん (2011-06-02 16:47)
hanamuraさん
まとまった土地と大きな展示場と、車両を搬入する臨海鉄道があって実現した企画なんでしょうね。10年後の100周年のときは…大阪で忌まわしい事故がありました。
manamanaさん
国鉄の分割民営化後、スケールの大きいイベントはめっきり減りましたね。そのぶん、梅小路やテッパク、名古屋のリニア館など、常設の立派な施設が増えているので、こうしたイベントは見られないのかも知れませんね。
nexus6さん
子供の頃の写真を見ていて、何撮ってるんだか、と思う反面、全然進化してねーな、と思うこともしばしばです。鉄離れしていたとき、写真の処分も考えたのですが、万一息子たちが鉄ちゃんになったら…、と捨てずに取っておいたことで、こうしてブログを楽しむことができています。
Cedarさん
おお、やっぱりいらっしゃってましたか。
珍しい車両も来ていましたが、写真を見るまであんまり記憶に残っていないということは、やっぱり鉄道車両は「動いていてナンボ」なのかもしれませんね。
トリトンスクエアの近くの、春海橋の脇の臨海鉄道のトラス橋、まだ残っているんですね。
む〜さん
『坊ちゃん機関車』、いましたねぇ。記憶をたどっていくとデュアル・モード・ビークルの元祖みたいな「レールを走れる国鉄バス」というのも見た記憶があります。私も当時はガキでちょろちょろしていたと思うんですが、人が多くてマニア的にきれいな車両写真を撮る、って雰囲気ではなかった気がします。
銀狼さん
よしくんさん
あおたけさん
あんぱんちーさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-06-02 17:31)
フジトモさん
gardenwalkerさん
FTドルフィンさん
arail206さん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-06-04 19:20)
私も小学生の時行った覚えがあります。計算して見ると3年生だったのですが、どんなものがあったのかあまり良く覚えていません。その中で一番良く覚えているのが、レールの上も走れると言うバス。その他は背が小さかったためか、記憶に残るのは足回りばかりでどんな車両があったか??です。その中でも蒸気機関車の動輪の踏面が減ってへこんでいたこと、さらに外側にめくれ張り出していたことを覚えています。鉄道趣味に目覚める前でしたが、蒸気機関車の足回りを見るのが好きな今の自分を予感させる記憶です。
by ひもブレーキ (2011-11-11 11:54)