初めての日帰り遠征その2~昭和39年5月 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 新宿を朝7時に「急行第一アルプス」として出発した列車は、小淵沢から「準急八ヶ岳」と名前を変えて小海線に入ると、八ヶ岳の麓の高原を走り抜け山を下り、11時46分、要衝駅の小海に到着しました。ここはもう佐久盆地の外れです。
032小海駅頭.jpg

 この駅で私たちは新宿から乗り通してきた「八ヶ岳」を下車。かつてはどこにでもあったようなこじんまりとした小海駅の駅舎。未舗装の駅前には赤いポスト、まだキヨスクとは呼ばれていなかった小さな売店…。


 単行のキハ52はこれから山越えに挑む小淵沢行き。
026キハ5218.jpg


 中線に停車している単行のキハ11は「八ヶ岳」の後追いで12時9分に出発する普通列車11D小諸行き。普通列車の列車番号が11D、しかもキハ11単行とは出来すぎのようですが、当時の小海線は小海・中込~小諸間の区間列車が 1D~・2D~を名乗り、小淵沢方面まで行く邪道な? 列車が111D~・ 112D~となっておりました。
027キハ113.jpg

 車両はキハ113、これがキハ111とかキハ1111だったらナンバーマニアが随喜の涙を流しそうですね…実は昭和36年4月の動力車配置表を見ると、キハ111もキハ1111も小海線管理所に配置されていたんです。

 小海駅滞在は僅か20分余り…私たちはその11D小諸行きに乗り込みます。小海駅では山が迫っていましたが、次第に山は遠ざかり佐久盆地の只中をを列車は快調に下って行きます。

 駅名は不明ですが、羽黒下で交換した上り列車はキハ52+キハ11(10)+キハ52の3連。120D小淵沢行き。
033キハ52以下3連.jpg


 臼田(だと思うんですが)到着。
 いたいた、C56144が牽く上り貨物列車です。私たちの乗る11Dはこの駅でこの貨物列車と上りDC準急とW交換。おそらくちょっと長めの停車時間があったんでしょう(時刻表では9分程度停車したようです)。ホームから降りてじっくりC56を観察。
034C56144.jpg

 構内がゆったりしているのでいろんな角度から撮影できます。
036C56144.jpg

037C56144.jpg


 …と、ちょろちょろ激写していたら、機関士さんが声をかけてくれて、キャブに乗せてもらい記念写真を撮ってくれることに…。助士席の太めが私、立っているのは同行の鉄友・A君。どうでもいいけど、2人とも詰襟の中学校の制服着用しての旅行。いやはや。
039C56144記念撮影.jpg


 閑話休題。やがて到着したのはこの列車。循環準急「のべやま」号です。長野始発上田、小諸、小海、小淵沢、上諏訪、松本経由の長野行き。なんだかイベント列車のようなルートですね。ペアとなる逆回りの列車もあって、そちらは準急「すわ」を名乗ります。
040循環のべやま号.jpg

 所属表記が名ナコになっていますが、「しなの」あたりの間合い運用だったんでしょうか?

 小海線の車両基地のある中込で11Dを下車。駅のはずれで浅間山をバックに下りのDCをパチリ。列車は小海行き10D、先頭車はキハ1036。妻面に車号を書いてくれているので、ほんとに助かりますね(笑)。
041浅間山バック.jpg


 中込からは後追いの117Dで小諸に向かいます。
 申し遅れました。私、自信満々に列車番号とか出発&到着時刻などを書いておりますが、御存知の通りのズボラな性格、当時のメモなど残しているはずもありません。写真以外の資料ももちろんなく、困ったときの神頼み、鉄道関連の編集プロダクションの若き(といっても50歳)友人、Y君の手助けを得ました。彼の事務所にはこのころの時刻表があるのをちゃっかりチェック済みであります。大雑把なルートと目にしたもののメモをメールしたところ、詳細な時刻と列車番号、愛称入りの「当時のオヤジの行程表」を作成してくれました。Y君、ありがとう。

 脱線ついでに小諸の2つ手前の「乙女」駅の駅標です。
042乙女駅標.jpg
 
 なぜこのようなへんてつもない駅名標を撮ったかといえば…当時の中学校に「乙女」なるあだ名の先生がいらっしゃったのですね。この写真をプリントして、「乙女」先生の授業の時に教壇に置いておく、まぁ他愛のないイタズラなのですがねぇ…。N先生、その節は大変失礼いたしました。

 小海線を踏破し終え、小諸駅に到着しました。乗り換えとなる長岡発直江津経由高崎行き312レがEF6218を先頭にすでに先着済み。
044EF6218.jpg


 この列車を小諸で追い抜くのは不定期準急「高原1号」1306レ。EF6224に牽かれて先発していきます。
045EF6224高原_小諸.jpg


 小諸-軽井沢間はローカル客車の旅です。
 信越本線軽井沢-長野間が電化されたのは昭和38年6月のこと。ですからこの旅の1年前まではD51やD50が浅間山麓を駈け巡っていたわけですね。

 御代田-信濃追分間(たぶん)の大築堤カーブを行く312レ。SL時代には進行方向左側に浅間山が聳える名撮影地だったけど、電化の際、あろうことかインカーブに木製の架線柱、しかも支柱付きが立ち並んでしまったとの大ブーイング記事を、当時の鉄道誌で読んだ記憶があります。
047大築堤.jpg


 15時07分。312レは軽井沢に到着しました。
 列車はここから碓氷峠の下りに挑みます。横川方に待機していたEF63重連が接近、EF62の前に連結され…
048軽井沢EF6312.jpg

 EL3重連となった312レは都合18基のMT52のモーター音も高らかに峠を目指して出発していきました。
049客レ軽井沢出発.jpg


 完結編はまた明日。

追記;本文中でもご紹介したY君から追加情報をいただき、撮影場所、列車番号などを追加訂正しました。また最後の写真を一枚、アップロードミスしてしまいました。こちらも訂正いたしました。
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コメント 10

manamana

詰め襟の中学生が、こんなに遠征するとは、驚きです。
キハ10と八ヶ岳の風景がとてもすばらしいですね。
by manamana (2011-05-01 20:50) 

maipenrai

manamanaさん
 詰襟は…親に着ていくようにいわれたのか、はたまた他に着ていく服がなかったのか…いま考えると不思議です。アルバイトで旅費を稼げるようになるのは高校に入ってからなので、このころは相当親に無理強いしていたんだな…といまさらのように気づきます。

素人写真さん
ほりけんさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-05-01 22:34) 

京葉帝都

単行のキハ52の正面のおでこの色の濃い部分が広いのをカラーで見るとかなり派手に見えるのではないでしょうか。洒落た小海駅の駅舎を見ると東金駅を思い起こします。小海線は80年代初めに小淵沢から小諸まで一気に乗り通しただけでした。当時は夏のシーズンでかなり混んでいました。近いうちにじっくりと乗車しようと計画しています。
by 京葉帝都 (2011-05-01 23:49) 

nexus6

両運キハの単行やEF62の引く客車列車、そして極めつけは現役C56のキャブに入っての記念撮影...
そう、昔は大らかだったんですよね~  v(^^)v イイですね~
by nexus6 (2011-05-01 23:55) 

Cedar

私はこういうビビッド&アグレッシブな旅はしていませんね~まぶしくって、涙が出そう~(♪)。
制服着用の、鉄旅行というのもスゴイ(笑)

信越線の新規電化区間が木の架線柱だったのもスゴイ。
by Cedar (2011-05-02 00:20) 

maipenrai

京葉帝都さん
 このころの普通車DCはオレンジとクリームの塗り分けですが、車体の輪郭がくっきりして派手な印象は受けましたね。キハ52といえば、いすみ鉄道にやってきた車両がGWから走りだしたそうですね。

nexus6さん
「坊主、どこから来たんだぁ?」「東京からです」「そりゃまた遠くから。ちょこっと乗ってみるか?」……こんな感じで「ガキの特権」を享受したこと、2度や3度ではありません。
 あれっ、それ狙いで学生服を着ていた……まさか、そんな…。

Cedarさん
>ビビッド&アグレッシブな旅
 (苦笑)。
 行き当たりばったり、エサにはなんでも喰らいつく「ダボハゼ鉄」と呼んでください(笑)。広く浅くのダボハゼっぷりはいまも変わりませんが、テンションは維持できません。今同じ行程で旅行をしたら、新宿出発時点で缶ビールなど飲み始め、八王子あたりでだんだんどうでもよくなり、小海に着く頃にはすっかり出来上がっている、という感じでしょうか(笑)。

シュウチャンさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-05-02 10:02) 

maipenrai

よしくんさん
ゆるキャラさん
あおたけさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-05-02 23:01) 

む〜さん

私の中学の頃だったら、秋→春の詰襟旅行はありそうです。まあ、詰襟は「万能服」ですから。中学にして遠出できたんですからたいしたものです。私の単独旅行は16歳の高校2年ですから、maipenrai様、たいしたものです。写真も充分に資料価値のある鉄道写真をきちんと撮っておられる。

・・・・で、気になるのですが、乙女先生、ウケましたでしょうか?

それにしても、いい駅名ですね。現在、日本のどこかに「池面駅」なんて無いでしょうか?
by む〜さん (2011-05-04 06:28) 

maipenrai

む〜さん
「乙女先生」とは2月に同期会がありお会いしました。75歳になったとおっしゃってましたが、かくしゃくと、というより背筋をピッと伸ばしてお若くダンディな感じで、なぜ当時あのようなあだ名がついたのか不思議でした。例のいたずらの件は話題にするのは避けました(笑)。
by maipenrai (2011-05-04 16:56) 

FTドルフィン

貴重なお写真、すばらしいです!
この時代に鉄道旅行したかった!!

実は私、この年の冬に誕生しております(笑
by FTドルフィン (2011-05-05 16:12) 

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