総武沿線各駅停車今昔対比写真~02錦糸町駅 後編 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 1964(昭和39)年の夏、超満員の通勤通学客を詰め込んだ総武線の上り電車が錦糸町駅に近づいたとき、下り線を見慣れぬ電車が…。グリーンとオレンジのツートンカラー、80系湘南電車の6両編成。先頭クハ86には「準急白浜」のヘッドマーク。ご存知中野と館山を結び、非電化だった千葉から先はDD13重連に牽引された房総西線の夏臨です。(1)
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 でも今回はこの電車がテーマではありません。なにしろ夏臨ですので、こちらの方は暑くなった頃にボチボチっと…。「準急白浜」の右側にヤードのようなものがあり、材木を積んだ貨車や客車がとまっています。ここが今回ご紹介する「錦糸町客貨車区」です。
 現在の錦糸町駅、総武快速線ホームに来ています。ホームの北側には15両編成5本(プラス1本)が留置できる電留線があります。(2)
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 217系の2~3両目にプレートガーダーがありますね。
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この下には幹線道路・四ツ目通りが走っています。下に降りてみましょう。
かつてここに踏切ありき。(3)
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 前編http://c59176.blog.so-net.ne.jp/2011-02-28でご紹介した貨物ヤードは画面の右側、現在の再開発が進んだ錦糸町駅北口一帯ですが、四ツ目通りを挟んで左側の比較的狭いエリアが「錦糸町客貨車区」でした。総武線自体は既に土盛りの高架になっていましたが、ともに地平にあったヤードと客貨車区の間には踏切があり、入れ換え時には四ツ目通りを遮断していました。また大塚を結ぶ都電16系統の終点が踏切の手前にあり、踏切とガードを越した先まで来ていた28/36系統とは分断されていました。
(4) (3)と同じ位置で視線を左に向けると、電留線の高架の下に飲食店が並んでいます。この場所が「錦糸町客貨車区」のあった場所です。
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 では50年ほどタイムスリップしてみましょうか。
(5)客貨車区の狭い敷地の中で新小岩区所属のC57160が入換中です。当時両国からは館山、勝浦、銚子の三方向に、夕方発、午前着のダイヤで一往復ずつSL牽引の客車列車が設定されていました。用いられる客車はもっぱら鋼体化改造のオハ/オハフ60、オハ/オハフ61。両者の違いは窓の大きさ、狭窓の60に対し広窓の61。座席の背ずりは木製です。
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 錦糸町客貨車区の受け持ちはオハフ+オハ×5+オハフの基本編成7両にオハ/オハフ1両ないし3両の付属編成、さらにスユニで、成田区と分担して千葉県内の客車列車をまかなっていました。錦糸町持ちの基本編成は運用番号「千2」と呼ばれるもので夕方新小岩から迎えに来たC57に牽かれ両国に回送、館山行き125レで下っていきますが2日目、3日目は館山-千葉を一往復ずつ、4日目に館山発で両国に帰ってきますが、錦糸町には戻らず両国で昼寝の後は331レとなって銚子へ。5日目は銚子-千葉を総武/成田回りで2往復。6日目に銚子発両国行き326レとなりますが、やはり両国留置の後、夕方の221レで勝浦へ。翌7日目早朝、勝浦発両国行きの222レで3たび両国に戻ると、ようやく回送され、錦糸町にもどってくる、という運用です(昭和43年時点)。つまり常時6組の「千2」が千葉のどこかにいるのですが、本拠地の錦糸町に戻ってきて、また出て行くのは一日一組だけ。猫の額のような狭い敷地の客貨車区のわりには配置両数が多い、という秘密はこんな運用にあったのでした。
 そんな錦糸町客貨車区で見かけたちょっと変わった客車たち。
(6)リベットだらけの車体の17メートルダブルルーフのオハ2630。オロハ30形の一等室を格下げ改造車ですが、DC化の進む前の千葉には1等(当時2等)車が連結された客レが設定されていたので、そのころの生き残りでしょうか。
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(7)鋼体化改造車だらけ、と書きましたがすこしずつマシな車両も転入しつつありました。車庫の隅にいたオハ47。背ずりがモケットになっただけでも、一大進化です。
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(8)狭いところに車両がぎゅう詰めで、こんな写真がやっとだった? 三軸ボギーの台車を履いた一等寝台車。形式は不明です。品川区あたりから疎開してきたのかな?
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(9)当時当たり前だった60/61系客車の写真を探したんですが、見当たらないんです。なのでちょっとズルして当時の千葉駅で撮った房総西線の客レを。機関車の次位はスユニ61? 以下60/61系客車が9両連なった千葉では標準的な客車列車の編成です。
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 そんな狭苦しく、地味な存在だった錦糸町客貨車区(千キウ)。その存在はいま電留線の高架の下に忘れ去られてしまいました。

 さて、現代に戻り…。快速線ホームの亀戸方向のはずれで「このあたりが地平線と土盛り高架をつなぐ坂道のあったところだよなぁ」などと感慨にふけっておりましたら、新NEX、E259が「そんな昔のことは知らんよ」とばかり、風を巻き上げかっ飛んで行きました。
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manamana

自分は今年50歳になるんですが、
50年はたった1世紀の半分にしかすぎないのに、
こうして写真を見比べてみると、
移り変わりの激しさに改めて驚いてしまいました。
by manamana (2011-03-02 20:38) 

maipenrai

manamanaさん
 この界隈は今のような姿になっていた10年ほど前飲み歩いていたことがあるんですが(夜です)、そのときはあんまり変化を意識しませんでした。今回改めて「昔撮影したのと同じ視線」を意識して街を眺めると、本当に衝撃です。いたずらに馬齢を重ねてきた自分の今の立ち位置、なんてことまで考えてしまうんですね。


飛騨の忍者 ぼぼ影さん
ほりけんさん
gardenwalkerさん
 niceありがとうございます。



by maipenrai (2011-03-03 07:12) 

む〜さん

両国のC57・・・・・懐かしいですね~!!!
駅前には12系統の5000が居たりして。
by む〜さん (2011-03-04 19:26) 

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