国鉄千葉駅の小湊鐵道キハ200 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]
更新をサボりまくっているにもかかわらず、連日多数のご来訪ありがとうございます。
正直胸が痛みます。なにしろもう6日もブログは放置状態。思わぬ多忙とネタ詰まり…なんとかしなきゃ…と思いつつも、夜になって晩酌重ねるうち「まぁ明日更新すればいいか…」と気持よく酔っ払って寝てしまう親父なのでした。
とはいえ…皆様方は精力的にブログ更新なさっているし、それをROMして楽しんでいるだけではやっぱり気が引ける。そうこうするうち、敬愛するCedarさんのブログで、昭和47年の小湊鐵道の写真が…。
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2011-06-10
懐かしいね、五井機関区。ここはひとつ小湊ネタにあやかってしまえ、というわけで、いまも当時から一両も欠けることなく現役で頑張り続ける小湊鐵道キハ200就役当時の小ネタでご機嫌を伺います。
冷房装置こそ付いたようですが、就役から45年以上、変わらぬ姿で活躍中の小湊鐵道キハ200です。撮影場所は昭和38年か39年の国鉄千葉駅。なぜか房総西線の下り列車の最後尾に、小湊キハ200が連結されています。
「国鉄のクルマに似てるんだけど、ちょっと様子がおかしいべ?」ホームのおっちゃんも怪訝そうな表情。さりげなく転がっている「千葉-木更津」のサボ。
時刻は夕方。帰宅ラッシュの通勤客を詰め込んだ房総西線列車は千葉駅を後にします。
進路確認の車掌さんが3人乗務? な訳ないですね。はっきりしませんが、最後尾と2両目が小湊車両、3両目は国鉄キハ20かな。キハ17(18?)を挟んで、キハ35900番代らしき車両も繋がっています。
実はこの年(といっても撮影時期が昭和38年or39年が曖昧なのですが)小湊鐵道は新鋭のキハ200を使って、五井から国鉄千葉まで乗り入れを開始したんですね。もとより国鉄キハ20系に準じた仕様のキハ200ですから、国鉄車両との併結も可能で、五井-千葉間は房総西線のDC列車に併結しての乗り入れとなったわけです。
小湊の乗り入れ車両が千葉駅を後にして間もなく、上りの臨時準急「清澄」が千葉駅に入線してきました。
国電ホームの2番線から、3番線に入った「清澄」を撮影しています。
ホームの時計は夕刻18時前後を指しているように見えます。夕刻に千葉を出発する小湊鐵道からの乗り入れ列車は、自社線内と県庁所在地千葉の間の通勤客の便に設定されたようなダイヤに思えます…。
時計の右側に横断幕がぶら下がっており、それには「養老渓谷直通列車運轉(旧字)」と書かれています。
それはいいんだけど、さっき夕方6時前に下っていった小湊直通列車で、養老渓谷へ向かう観光客が果たしていたのでしょうか?
後年、「京成を海士有木まで延伸し、小湊鐵道を電化して養老渓谷までの観光列車を走らせるべきである」とのたまった「鉄道評論家」がいたけど、あの人、養老渓谷に行ったことがあるのかなぁ…。千葉県民としては、どうも「養老渓谷」は観光資源として秘めたるポテンシャルをもっている、と勘違いしている人が多い気がしてならないのですが…。いや、まぁ悪いとこじゃないんだけど…そんなびっくりするようなとこじゃないし…。
話が脱線しました。
せっかく新鋭のキハ200を(2両も)使って千葉乗り入れを果たした小湊鐵道ですが、乗り入れ自体は昭和38年、39年の2年限りで終わってしまったようです。乗り入れ先の房総西線も昭和43年(1968年)千葉-木更津間が、昭和44年(1969年)には木更津-千倉間が電化され、あれほど隆盛を誇った千葉のDCは、新性能電車の投入で各線区からあぶれた72系電車に置き換えられてしまいます。せっかく国鉄DCと仕様を揃えた小湊のキハ200も、以後は自社線内をひたすら走り続けながら、現在に至っているわけですね。
話の本筋とは関係ないんですが、ネガの最後に写っていたのはC58が牽引する両国からの房総直通客車列車。時間的には館山行きっぽいけど、館山行きはC57のはず…。ま、よくわかりません。
ところで…。
国鉄キハ20形に準じて作られた小湊キハ200が、なぜか京成3100形に似ているという件について…。
どうでしょうか? 細かい部分は気にせずに、邪念を振り払って両方の顔を見比べてみれば…。
京成の海士有木延伸が予定通り進んでいれば、20年以上前にこの「並び」は実現していたかも知れないんですけれどね…。
正直胸が痛みます。なにしろもう6日もブログは放置状態。思わぬ多忙とネタ詰まり…なんとかしなきゃ…と思いつつも、夜になって晩酌重ねるうち「まぁ明日更新すればいいか…」と気持よく酔っ払って寝てしまう親父なのでした。
とはいえ…皆様方は精力的にブログ更新なさっているし、それをROMして楽しんでいるだけではやっぱり気が引ける。そうこうするうち、敬愛するCedarさんのブログで、昭和47年の小湊鐵道の写真が…。
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2011-06-10
懐かしいね、五井機関区。ここはひとつ小湊ネタにあやかってしまえ、というわけで、いまも当時から一両も欠けることなく現役で頑張り続ける小湊鐵道キハ200就役当時の小ネタでご機嫌を伺います。
冷房装置こそ付いたようですが、就役から45年以上、変わらぬ姿で活躍中の小湊鐵道キハ200です。撮影場所は昭和38年か39年の国鉄千葉駅。なぜか房総西線の下り列車の最後尾に、小湊キハ200が連結されています。
「国鉄のクルマに似てるんだけど、ちょっと様子がおかしいべ?」ホームのおっちゃんも怪訝そうな表情。さりげなく転がっている「千葉-木更津」のサボ。
時刻は夕方。帰宅ラッシュの通勤客を詰め込んだ房総西線列車は千葉駅を後にします。
進路確認の車掌さんが3人乗務? な訳ないですね。はっきりしませんが、最後尾と2両目が小湊車両、3両目は国鉄キハ20かな。キハ17(18?)を挟んで、キハ35900番代らしき車両も繋がっています。
実はこの年(といっても撮影時期が昭和38年or39年が曖昧なのですが)小湊鐵道は新鋭のキハ200を使って、五井から国鉄千葉まで乗り入れを開始したんですね。もとより国鉄キハ20系に準じた仕様のキハ200ですから、国鉄車両との併結も可能で、五井-千葉間は房総西線のDC列車に併結しての乗り入れとなったわけです。
小湊の乗り入れ車両が千葉駅を後にして間もなく、上りの臨時準急「清澄」が千葉駅に入線してきました。
国電ホームの2番線から、3番線に入った「清澄」を撮影しています。
ホームの時計は夕刻18時前後を指しているように見えます。夕刻に千葉を出発する小湊鐵道からの乗り入れ列車は、自社線内と県庁所在地千葉の間の通勤客の便に設定されたようなダイヤに思えます…。
時計の右側に横断幕がぶら下がっており、それには「養老渓谷直通列車運轉(旧字)」と書かれています。
それはいいんだけど、さっき夕方6時前に下っていった小湊直通列車で、養老渓谷へ向かう観光客が果たしていたのでしょうか?
後年、「京成を海士有木まで延伸し、小湊鐵道を電化して養老渓谷までの観光列車を走らせるべきである」とのたまった「鉄道評論家」がいたけど、あの人、養老渓谷に行ったことがあるのかなぁ…。千葉県民としては、どうも「養老渓谷」は観光資源として秘めたるポテンシャルをもっている、と勘違いしている人が多い気がしてならないのですが…。いや、まぁ悪いとこじゃないんだけど…そんなびっくりするようなとこじゃないし…。
話が脱線しました。
せっかく新鋭のキハ200を(2両も)使って千葉乗り入れを果たした小湊鐵道ですが、乗り入れ自体は昭和38年、39年の2年限りで終わってしまったようです。乗り入れ先の房総西線も昭和43年(1968年)千葉-木更津間が、昭和44年(1969年)には木更津-千倉間が電化され、あれほど隆盛を誇った千葉のDCは、新性能電車の投入で各線区からあぶれた72系電車に置き換えられてしまいます。せっかく国鉄DCと仕様を揃えた小湊のキハ200も、以後は自社線内をひたすら走り続けながら、現在に至っているわけですね。
話の本筋とは関係ないんですが、ネガの最後に写っていたのはC58が牽引する両国からの房総直通客車列車。時間的には館山行きっぽいけど、館山行きはC57のはず…。ま、よくわかりません。
ところで…。
国鉄キハ20形に準じて作られた小湊キハ200が、なぜか京成3100形に似ているという件について…。
どうでしょうか? 細かい部分は気にせずに、邪念を振り払って両方の顔を見比べてみれば…。
京成の海士有木延伸が予定通り進んでいれば、20年以上前にこの「並び」は実現していたかも知れないんですけれどね…。
小湊の直通運転... やっていそうで、このパターンは無かろう と思っていたんですよ。 あったんですね、本当に。 勉強になりました。
by nexus6 (2011-06-11 04:49)
おでこのライトが、血筋を感じますね。
by manamana (2011-06-11 06:18)
「小湊鉄道祭」が開催中!のようですね。
by hanamura (2011-06-11 08:16)
国鉄乗り入れ時代の小湊キハ200とは、
またまた貴重なお写真ですね!
長編成に繋がれるキハ200の姿が、かえって新鮮です。
房総急行らしいマークの準急「清澄」、
このマークが現代のいすみ鉄道で見られるようになるとは、
こちらも驚きです。
by あおたけ (2011-06-11 08:57)
nexus6さん
木原線時代は大多喜から千葉直通が設定されていたので、小湊乗り入れもアリですよね。ただ2年で中止になったのは何故だったんでしょう? 小湊も、どうせ軌間が違うんだから、京成接続にこだわらず、国鉄の電化に合わせて牛久あたりまで電化して千葉乗り入れを恒常化していたら?? でもそうなれば、今の小湊鐵道の保存文化財的な状態も、変わっちゃったでしょうね。
manamanaさん
おでこのライトだけ似ている…と言われると思ってました(笑)。小湊200形は日車製ですが、京成3100形も日車で製造(他社分もあり)しているので、そのあたりの影響もあるんでしょうか。
hanamuraさん
私の方はあやかり、というか尻馬に乗る、というか…そんな感じです(笑)。
あおたけさん
いすみ鐵道のヘッドマークには驚かされました。この際「くろしお」とか「そとうみ」とか外房線で走った列車名を日替わりで掲出したら楽しいのに…とか、いっそ小湊と相互乗り入れして「房総横断急行」を…とか、妄想はきりがありません。
by maipenrai (2011-06-11 12:23)
キハ200
国鉄本線を走っていたんですか
知りませんでした。
京成似なのは会社の関係が深いせいもあるのでしょうか?
機材調達等で関係も深かったのかな・・・
by FTドルフィン (2011-06-11 14:59)
キハ200のロングシートはラッシュ時には国鉄線内でも威力を発揮していたでしょう。当時から貫禄のある車体だったのですね。私鉄DCの国鉄乗り入れはかつての島原鉄道を思い起こします。
by 京葉帝都 (2011-06-12 02:09)
FTドルフィンさん
「本線」らしくない写真で恐縮です。千葉名物のDC凸凹編成の先頭で颯爽と走るキハ200、どなたか撮っていらっしゃらないかなぁ? 京成3100とキハ200は登場時期も近接していますが、小湊が前照灯二灯にこだわったのは、見通しの悪いカーブが多いことも関係していたかもしれませんね。
京葉帝都さん
当時の千葉にはキハ35系が進出していましたが、まだまだ車体が小さく二扉のキハ17系列が多数おりましたので、キハ200のロングシートは千葉口のラッシュでも有効だった気がしますね。島鉄は急行にぶら下がって小倉まで乗り入れていたんでしたっけ?
銀狼さん
あんぱんちーさん
む~さん
SpeedBirdさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-06-12 08:06)
凸凹編成は気動車・旧国・私鉄旧形車を問わず魅力でしたが、さらに私鉄乗り入れが併結されてるのは、ブラボーです。ステンレス車まで混じっていますしね。希少な写真ありがとうございました。
関西の私鉄ファンはこういうのを<チンドコ編成>と呼んでました。うまい表現ですよね。
小湊の車両がキハ6100か5800だったらもっと良かったですけど(笑)。
by Cedar (2011-06-12 12:28)
追伸。キハ200と3100の共通点、丸いオデコのカーブとライト、忘れてならないのはアンチクライマーですね。位置や枚数まで似ています。
後は側面の<KTK>のロゴの書体も<KDK>そっくりでした。あれは今もそのままらしいですね。
by Cedar (2011-06-12 12:31)
Cedarさん
小湊は41000を導入したときに、千葉乗り入れを視野に入れていた…という記事をどこかで読んだ記憶があります。千葉乗り入れはある意味宿願だったんでしょうね。ただ41000は総括制御できなかったはずなので…。
>キハ6100か5800だったら
インパクトありますね~。
アンチクライマーの枚数の件、恐れ入りました。京成の旧3000系列は3200形以降は前面窓、特に貫通扉の窓の天地寸法が小さくなっているので、もうちょっと似るのかな? あ、でも折れ妻になっちゃいますね。
gardenwalkerさん
ryo1216さん
フジトモさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-06-12 17:51)
はじめまして。
元小湊鉄道沿線住民ですが、千葉駅に小湊線の車両が停まっているなんて狐につままれた気分です。 国鉄に乗り入れてたなどという事実は地元住民でもほとんど知らないと思います。 いやぁ~本当にたまげました。(笑)
私は66年に市川市内で生まれました。
maipenrai さんがUPされている写真を拝見していると、自分が生まれたころの雰囲気を感じ取ることができました。
ありがとうございました。
またおじゃまさせていただきます。
突然のコメント失礼しました。
by きたあかり (2012-03-10 18:29)
高校生の時には通学でも使っていた地元市原市民です。小湊鉄道好きだけどいい加減電化するか新型気動車に置き換えればいいのに、いつまでたってもこのまんま。上総中野で接続するいすみ鉄道やJR久留里線は新型になってるのに小湊だけ変化なしとは。バスには新型車両入れたり、高速バスを東京や神奈川に乗り入れたりとしてるのに、鉄道はほったらかしとは小湊の社長には呆れます。京成が海士有木まで乗り入れて、小湊と相互乗り入れして、小湊鉄道京成上野や京急線走るの期待してたのに。
by お名前(必須) (2013-05-29 08:53)
地元沿線民です。京成の海士有木延伸、小湊鉄道との乗り入れ計画は生きてます
小湊鉄道の京成千葉駅乗り入れ、東京方面乗り入れも夢ではありません。
これは我が市原市民の悲願でありよその人間にどうのこうの言われる筋合いはありません
by お名前(必須) (2022-09-23 22:51)