ここはどこでしょう?新京成1964年頃 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]
ブログを始めるに当たり、古いネガを引っ張り出して見ているわけですが、われながらあまりの整理能力の無さにほとほと呆れています。ネガホルダーに日付が入っていないだけならまだしも、スリーブの順序もばらばら。せめて撮影した順番にネガが並んでいてくれたなら、とため息がでてきます。
というわけで、タイトルに1964年頃、と入っていますが、あくまでもアバウト。私が中坊の頃の写真には間違いないのですが。
ネットとは便利なもので、東京地方の降雪記録のデータベースがありました。
http://wikiwiki.jp/snow/
これによると、1964年は2月18日と25日にそれぞれ5センチの積雪があります。が…待てよ、曜日はいずれも火曜日。いくらいい加減な私とはいえ、中坊の頃はまともに学校に行っていたはず…。1965年だと1月6日に積雪5センチ、1月30日には6センチの記録があります。1月6日は冬休みのはずだし、30日は土曜日。正解はこのどちらかでしょうか。
ともあれ…雪が降ると嬉しくなって出かけたくなるのは今でも変わりません。三つ子の魂…ってヤツですね。
常磐線の松戸-金町の大カーブをいく国電が写っています。私の実家の前に市川-松戸間を走る京成バスのバス停があり、それに乗って「二中前」?で降りるとちょうどこのポイントです。ここらも松戸バイパスや外環道が通って風景が一変してしまいましたね。
ここから松戸電車区(いまは松戸車両センター?)はほど近く、立ち寄ったようですが、写真はこの一枚しか見つかりませんでした。
この後、新京成に乗って、どこかの線路際で撮影しているんですが、場所に全く記憶がないんです。線路は複線になっていますが、くぬぎ山 - 五香間が複線化されたのが1965年6月ですから、松戸-五香間のどこか、たぶん八柱-常盤平-五香のどちらかの駅間です。
両運モハ100形の間にクハ2000形を挟んだ3連の新津田沼行き。小坊の頃、京成でさんざん見かけた編成です。新京成に譲渡されたのは1963年からだそうで、当時は「最新鋭」だったんでしょうね。先頭は101号。
同じ編成を後追いで。最後尾は119号。
同じ場所で松戸行き3両編成。先頭は100形110号。
あれ、2列車を撮っただけで、ネガが終わりです。寒くて嫌になっちゃったのか、はたまたカメラが不調になったのか。これだけではあんまりなので、別の日に五香車庫で撮影した写真をお目にかけます。
上の写真と同じモハ100形110号。モハ100形はもともと正面5枚窓の半鋼製車を1953~62年にかけて車体を載せ替え更新修繕したもので、更新時期によって色んなタイプがありましたが、当時の私は全金属車体側面ベンチレーターのこのタイプがお気に入り。なにしろ「乗っちゃえば新車」でしたから(笑)。左右非対称の扉配置もユニークでした。
のちに片運転台化されて最大8連を組むことになるとは想像もつかない時代です。
同じモハ100形でも、更新時期がちと古い123号。
14メートル級車体、非対称2つドアのモハ300形。もうこのころには全金属車体片運三扉への更新が始まっていました。
中間に組み込まれたクハ2000形2017号。国電の戦災車を車体を縦に二つ割りして幅を縮めるという強引な方法で復旧したことで有名なクハ2000形。そのせいか早い時期に全金属車体に更新修繕していますが、この2017号と2018号はもともと大栄車両で新造車体を載せていたこともあり、この時期まで更新修繕されずに古いタイプの車体で残っていました。
クハ20形29号 左右非対称レイアウトのクハ。増設された乗務員室のガラス窓の表記「運轉室」が素敵。大正末期に製造された木造車を戦前に電装解除、戦後に半鋼製非対称車体を新造…という経歴のようです。
同車を反対側から。当時の子どもはかぶりつき席に座れたら「ラッキー!」だったんでしょうね。
ということで、電車音痴の私がいきあたりばったりで撮った写真をご覧いただきました。
というわけで、タイトルに1964年頃、と入っていますが、あくまでもアバウト。私が中坊の頃の写真には間違いないのですが。
ネットとは便利なもので、東京地方の降雪記録のデータベースがありました。
http://wikiwiki.jp/snow/
これによると、1964年は2月18日と25日にそれぞれ5センチの積雪があります。が…待てよ、曜日はいずれも火曜日。いくらいい加減な私とはいえ、中坊の頃はまともに学校に行っていたはず…。1965年だと1月6日に積雪5センチ、1月30日には6センチの記録があります。1月6日は冬休みのはずだし、30日は土曜日。正解はこのどちらかでしょうか。
ともあれ…雪が降ると嬉しくなって出かけたくなるのは今でも変わりません。三つ子の魂…ってヤツですね。
常磐線の松戸-金町の大カーブをいく国電が写っています。私の実家の前に市川-松戸間を走る京成バスのバス停があり、それに乗って「二中前」?で降りるとちょうどこのポイントです。ここらも松戸バイパスや外環道が通って風景が一変してしまいましたね。
ここから松戸電車区(いまは松戸車両センター?)はほど近く、立ち寄ったようですが、写真はこの一枚しか見つかりませんでした。
この後、新京成に乗って、どこかの線路際で撮影しているんですが、場所に全く記憶がないんです。線路は複線になっていますが、くぬぎ山 - 五香間が複線化されたのが1965年6月ですから、松戸-五香間のどこか、たぶん八柱-常盤平-五香のどちらかの駅間です。
両運モハ100形の間にクハ2000形を挟んだ3連の新津田沼行き。小坊の頃、京成でさんざん見かけた編成です。新京成に譲渡されたのは1963年からだそうで、当時は「最新鋭」だったんでしょうね。先頭は101号。
同じ編成を後追いで。最後尾は119号。
同じ場所で松戸行き3両編成。先頭は100形110号。
あれ、2列車を撮っただけで、ネガが終わりです。寒くて嫌になっちゃったのか、はたまたカメラが不調になったのか。これだけではあんまりなので、別の日に五香車庫で撮影した写真をお目にかけます。
上の写真と同じモハ100形110号。モハ100形はもともと正面5枚窓の半鋼製車を1953~62年にかけて車体を載せ替え更新修繕したもので、更新時期によって色んなタイプがありましたが、当時の私は全金属車体側面ベンチレーターのこのタイプがお気に入り。なにしろ「乗っちゃえば新車」でしたから(笑)。左右非対称の扉配置もユニークでした。
のちに片運転台化されて最大8連を組むことになるとは想像もつかない時代です。
同じモハ100形でも、更新時期がちと古い123号。
14メートル級車体、非対称2つドアのモハ300形。もうこのころには全金属車体片運三扉への更新が始まっていました。
中間に組み込まれたクハ2000形2017号。国電の戦災車を車体を縦に二つ割りして幅を縮めるという強引な方法で復旧したことで有名なクハ2000形。そのせいか早い時期に全金属車体に更新修繕していますが、この2017号と2018号はもともと大栄車両で新造車体を載せていたこともあり、この時期まで更新修繕されずに古いタイプの車体で残っていました。
クハ20形29号 左右非対称レイアウトのクハ。増設された乗務員室のガラス窓の表記「運轉室」が素敵。大正末期に製造された木造車を戦前に電装解除、戦後に半鋼製非対称車体を新造…という経歴のようです。
同車を反対側から。当時の子どもはかぶりつき席に座れたら「ラッキー!」だったんでしょうね。
ということで、電車音痴の私がいきあたりばったりで撮った写真をご覧いただきました。
電車音痴とおっしゃる割りに素敵な写真連発に感心してます。
常磐線の写真!親戚が金町に住んでいて。この頃は夏休みなどずっと金町にいましたから・・・江戸川の鉄橋の辺りは懐かしい。
100形は京成の電車中で一番のお気に入りでした。
記事にも紹介が・・お時間あるときに見てください。
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-07-16
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-05-21
by Cedar (2011-01-20 23:57)
Cedar様
いや、上モノ(車体)には目が行くのですが、足回りとかさっぱりなもので(汗)。100形、いいですよねぇ。(昭和30年代的)モダンなボディが好きでしたが、今写真を見ると、足回りの無骨な感じとのバランスが素敵です。いまさら気づいても手遅れなんですが…。
ほりけん様、あおたけ様、SpeedBird様
niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-01-21 09:25)
何年も前から注目していましたが、しばらくの間見失っていて見つけました!ここは実家の近くの五香-元山間の元山寄りの線路を斜めに横切る県道(現在は国道464だったか?)の踏切です。通り過ぎる車輌はモハ101+クハ500形?+モハ118新津田沼行きとモハ110+クハ2017+モハ100形?松戸行きといったところでしょうか?撮影された雪の日は1965年1月ではないかということですが、大変貴重な写真ですね。五香車庫でのクハ29、クハ2017、モハ123(珍しく上り方が出ている)、モハ110、モハ304がまた魅力です。ありがとうございました。
by 稲葉克彦 (2014-12-06 18:27)