昨日朝からの雪は、当地では空振りに終わったようです。木曜日夜の天気予報で、ひょっとすると直近のブログ記事
http://c59176.blog.so-net.ne.jp/2011-01-31
http://c59176.blog.so-net.ne.jp/2011-02-01
1967年2月11~12日の大雪の再来? なんてワクワク期待しちゃったんですが…。そううまくものごとは符合しません。

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 朝方から降りだした雪も、わが家の狭い庭やクルマの屋根をうっすら化粧するものの、降ったぶんだけ溶けてしまうという感じ。京成八幡駅近辺に出動してはみたものの、なんのことはない、写真に映るのはただの雨模様。ただし体感気温はむちゃくちゃ寒い…といういいことなんにもない状態。
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霙とか氷雨とか、言葉は素敵ですが、鉄写真を撮る日和ではありませんでした。
 今日も引き続き似たような空模様。家でゴロゴロしていても仕方が無いので、市の図書館にちょっと調べ物に出かけてきました…というとおおげさですが、古ネガを漁っていてこんな写真を見つけたからです。
 1月18日の記事
http://c59176.blog.so-net.ne.jp/2011-01-18
で、60年代の総武線市川駅の話をさせていただいたのですが、その上り線側貨物用の側線に停まっているチキに乗せられたダルマになった電車の車体。哀れ、三つに分断されて、どこかに運び去られようとしています。
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 総武線市川-本八幡間で起きた踏切衝突事故で脱線転覆、民家に突っ込んだ車両です。
 まぁそんなこともあったよ、と記憶で書き流しちゃおうとも考えていたのですが、待てよ、亡くなった方もあった事故だし、当時の新聞記事でも当たって見ようかと縮刷版の閲覧をお願いしに行ったわけです。
 そうしたらまぁ…、いかに自分の記憶が曖昧であり、思い込みを信じていたか…ということを思い知らされ…といっても何がなにやら? だと思いますので、まずは新聞記事の要約で事故の概要を…。。
「(昭和38年)9月9日午後2時5分ごろ、総武線千葉発中野行き電車が本八幡-市川間(本八幡駅から200メートル)の警報機のある踏切で日本通運の大型トラックと衝突、電車は一両目が横向きになって民家に突っ込み2両目は横転、3両目は脱線した。トラックは電車の下敷きになり乗っていた2人が即死。このため同線は上下線とも不通になり、電車の乗客一人と電車が飛び込んだ家の住人一人が重傷。乗客三人が軽い怪我を負った」
 新聞記事には空撮の現場写真も載っていした。それをもとに現場の見取り図を書いてみました。
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 当時複線だった総武線。電車は完全に下り線を塞いでいます。ここに下り列車が突っ込んできたら、まさに三河島や鶴見事故の再現…。
 翌日の新聞の続報には「上り電車には二人の車掌が乗務、事故発生直後、一人は後方警戒、一人は前方(市川方)に走り、三分後に通過するはずの佐倉行き貨物列車を停止させ、二次事故を防いだ」というゾッとするようなエピソードも紹介されていました。

 さて、哀れにも三分割されてチキに乗せられた電車の素性です。クハ79350。桜木町事故で63系の新製が打ち切られ、昭和27年から新たにモハ72/クハ79の新製が行われたわけですが、27年製は切妻でフラットな前面窓で新製されたクハ79、28年製のうち2両は前面窓を5度傾斜させたスタイルで登場します。それがクハ79350/352の姉妹。翌29年度製からはのちの101系や103系にもつながっていく前面窓10度傾斜のスタイルが確立します。つまり前面窓フラットから10度傾斜にスタイルが移行する過渡期に2両だけ存在した5度傾斜のクハ79、その片割れがこのダルマ電車なわけです。
 残念ながらこのクハ79350の健在なときの写真は撮っていません。350と2両とも津田沼電車区に配置されていて、中野寄り先頭に組み込まれ、何度も見かけた記憶はあるんですが…。マニア的にはかなり注目の車両らしく、画像が紹介されているWEBページもいくつかあるようです。因みに前面5度傾斜の片割れクハ79352も昭和44年2月に房総西線楢葉(現袖ヶ浦~長浦間でダンプカーと衝突、脱線。結局事故廃車になっているとのこと。試作的前面窓5度傾斜の2両とも、踏切事故で廃車になる…なにかの因果を感じるのは私だけでしょうか?
 さて、私の思い違いです。まず衝突したのはダンプカーだと思っていた。これは上記長浦事故とごっちゃになったせい? 2番目、衝突現場はもっと本八幡よりの行徳街道踏切だと思っていた。これはダンプカーが通れるような道は当時行徳街道しか思い当たらなかった、ということでしょうか。ひとつの思い込み違いが次の勘違いを呼び起こす…典型的な老人性の思い込みですね。いずれにせよ、写真を出す前に調べておいてよかった…(汗)。総武線は翌朝には平常運転に恢復したようです。とするとこの写真は翌日9月10日の撮影でしょうか。
 事故現場の48年後の画像もお目にかけます。もちろん総武線は複々線化と同時に高架化しましたので、踏切は存在しません。
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本八幡駅から遠くないこのあたりは当時も今も民家の密集地帯です。
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警戒色にぬられた鉄柱が、なんとなく大事故の起きた踏切の遺構に見えるのは気のせいでしょうか?
 ダルマ電車の背後に写っている「タカラサイダー」の工場。このあたりのことも書きたいのですが、既にあまりにとりとめがなくなってきました。今日はこれにて…。

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