勝浦は今日も暑かった~昭和42年、房総東線 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]
お暑うございます。
この一週間ばかり、朝の9時前にはもう、窓を開け放った部屋の温度が30度を超える日が続いています。少し前には、高空に秋の気配を感じる筋雲が見え、「そういえば虫の声が聞こえ出しましたね」なんてご近所の方と話していたんですが、昨晩なんぞは夜の9時というのに、やかましいほどセミが泣き止まず、虫の声どころではありません。
↑7~8月の東京の天気です。7月20日過ぎに数日、肌寒かった日が続きましたが、24日に最高気温が30度を突破して以來ひと月あまり、ずっと30度超え…おっと一日だけ29度というのがありましたが…それも連日35度に限りなく近い気温の日が続いている。
しかも雨マークが一日もない。この表は、毎日15時の時点での天気と気温を表したものなので、パラッと雨が降った日が、なかったわけではないですが、それにしても見ているだけで暑っ苦しくなるような表ですね。
そんなわけで、まだまだ続く夏ネタ。今回は昭和42年(1967年)の夏、高校のクラブの合宿で、外房の勝浦に行った時の写真をお目にかけます。
上総一ノ宮駅に進入してくる臨時急行「そとうみ」。7両編成の両端の「皮」の部分だけキハ26、真ん中の5両「あんこ」の部分はキハ45という、遜色急行なのか、それなりに整った編成美というのか、よくわからない列車であります。
キハ26の右側に、副本線で対比しているキハ17系の普通列車がみえています。勝浦に向かう私が乗車していたのは、こちらの列車のようで、急行に追い抜かれる間の上りホームから撮影した写真のようです。
次のカットにキハ17系の車内が写っていました。
狭っ苦しいボックスシート。上の方は固定されて開かないバス窓。うかつに凭れると、後ろの席の人の頭とゴッツンコしてしまいそうな、低い背もたれ。
奥の方に見える、床から立ち上がった太いパイプ状のものは、エンジンの排気管。触ると結構熱かったですね。冬場はいいけど、真夏にはこの近くの席に座りたくはなかった。
一枚だけ見える吊り広告は「コアップガラナ」のものでした。
ご存じない方も多いと思いますが、今で言うとドクターペッパー系とでもいうのか、当時結構飲まれていた薬臭い系の炭酸清涼飲料水です。Wikiで見てみると、全国にボトリング会社を作って全国展開していたコカ・コーラに対抗して、地場の中小の清涼飲料水会社が連合して作ったブランドだそうです。いつの間にか消えてしまったけど、コカ・コーラの進出が遅れた北海道では、今でもかなり飲まれているそうで…。
ずっと後のことだけど、台湾で「黒松沙士」という炭酸飲料を飲んだ時に、妙に懐かしい味だな…と感じた原点は、おそらくこれ。沖縄や米国体験のある方なら、ルートビアのような飲み物、といったほうが分かりやすいかもしれませんね。
途中駅で上り急行「外房」と交換。
「外房」は定期急行ですが、5両目、6両目にキハ45(23?)が組み込まれています。この駅、どこだろう、と思って画像を拡大、左側の電柱に見える縦書きの駅名票、文字は読めないんですが、文字数が6,7文字あるところから、おそらく「長者町」でしょうか。
勝浦に到着しました。左側に見えるキハ17が、私が乗ってきた列車。あれれ、昼前というのに、側線に蒸気機関車が2両も停まっていました。佐倉区のC58308はともかく、新小岩のC57164が真昼間、こんなところでなにやってるの?
…というのも、夏場の多客期になると、DC列車の置き換えや、臨時快速の設定で、一気に蒸機列車が増える房総西線と対照的に、房総東線は例の大網-土気の勾配や、大網駅でのスイッチバックの関係で、基本的にDC列車一辺倒。勝浦まで入る蒸機客車列車は、早朝勝浦を発ち、夜にもどってくる両国直通の一往復(新小岩のC57牽引)だけで、昼間C57が勝浦にいるはずがない…。
C58308(佐)のほうは、ヨ2両の間に、ワム(ワ?)を2両だけ挟んだ貨物列車。こちらは朝の4時台に佐倉を出発、成東、大網を経由して房総東線に入り、そのまま房総西線に直通、各駅で貨物扱いを行いつつ、深夜0時近くにようやく新小岩に辿り着く房総一周貨物列車271レ~174レの牽引機のようですが…。
結局C57のほうはなぜこの時勝浦にいたのかは謎のままなんですが…。
ところがもう一両、上り方の側線にC58183(岩)が停まっていました。
キミもねぇ、なんでこんなところに一人でいるの?
跨線橋から。ちょうど上りのDC普通列車が到着。
右側のキハ28系やC58の後ろのキハ26系は、夕方の上り臨時急行に使われる車両でしょう。奥の方に小さく見える検修庫のような建物は「勝浦機関区」(千カウ)。SLやDLの配置はありませんが、20両あまりのDCの配置があり、そのうち6両のキハ30は現在のいすみ鉄道、木原線用に使われていました。(昭和43年の配置表。じっさいは大原支区常駐)。
そんな経緯があったので、いすみ鉄道のキハ52125に「千カウ」の所属標記が描かれているのを発見したときは、思わず唸ってしまったのでありました。
さて、先に「高校のクラブの合宿」と書きましたが、私が所属していたのは新聞部です。勝浦と御宿の中間にある部原という漁港近に、かつては網元さんだったという、藁葺き屋根の大きな民家がありまして、そこには未亡人のおばさんが一人で住んでいたのですが、クラブの先輩に知恵者がおりまして、その民家をひと夏いくらで借り上げ、友人知己に声をかけて一泊いくらで泊まらせて、利益をクラブの活動資金(新聞の印刷代)に回す、なんてことをやっていました。
当然、合宿はその(私設)民宿で泊りがけで行われました。
新聞部の合宿とは、どんなことをするのかというと、昼間は浜辺で読書に勤しんだり(…って、マンガだし)。
夕暮れ時には近所の野良犬相手に動物愛護精神を学び…。
夜ともなれば近所の山の上の祠まで出かけ平常心の訓練(肝試しともいう)、さらには夜更けまでゲーム理論の勉強会…(ポーカーでしょ)。
あはは…でも楽しかったなぁ。
この一週間ばかり、朝の9時前にはもう、窓を開け放った部屋の温度が30度を超える日が続いています。少し前には、高空に秋の気配を感じる筋雲が見え、「そういえば虫の声が聞こえ出しましたね」なんてご近所の方と話していたんですが、昨晩なんぞは夜の9時というのに、やかましいほどセミが泣き止まず、虫の声どころではありません。
↑7~8月の東京の天気です。7月20日過ぎに数日、肌寒かった日が続きましたが、24日に最高気温が30度を突破して以來ひと月あまり、ずっと30度超え…おっと一日だけ29度というのがありましたが…それも連日35度に限りなく近い気温の日が続いている。
しかも雨マークが一日もない。この表は、毎日15時の時点での天気と気温を表したものなので、パラッと雨が降った日が、なかったわけではないですが、それにしても見ているだけで暑っ苦しくなるような表ですね。
そんなわけで、まだまだ続く夏ネタ。今回は昭和42年(1967年)の夏、高校のクラブの合宿で、外房の勝浦に行った時の写真をお目にかけます。
上総一ノ宮駅に進入してくる臨時急行「そとうみ」。7両編成の両端の「皮」の部分だけキハ26、真ん中の5両「あんこ」の部分はキハ45という、遜色急行なのか、それなりに整った編成美というのか、よくわからない列車であります。
キハ26の右側に、副本線で対比しているキハ17系の普通列車がみえています。勝浦に向かう私が乗車していたのは、こちらの列車のようで、急行に追い抜かれる間の上りホームから撮影した写真のようです。
次のカットにキハ17系の車内が写っていました。
狭っ苦しいボックスシート。上の方は固定されて開かないバス窓。うかつに凭れると、後ろの席の人の頭とゴッツンコしてしまいそうな、低い背もたれ。
奥の方に見える、床から立ち上がった太いパイプ状のものは、エンジンの排気管。触ると結構熱かったですね。冬場はいいけど、真夏にはこの近くの席に座りたくはなかった。
一枚だけ見える吊り広告は「コアップガラナ」のものでした。
ご存じない方も多いと思いますが、今で言うとドクターペッパー系とでもいうのか、当時結構飲まれていた薬臭い系の炭酸清涼飲料水です。Wikiで見てみると、全国にボトリング会社を作って全国展開していたコカ・コーラに対抗して、地場の中小の清涼飲料水会社が連合して作ったブランドだそうです。いつの間にか消えてしまったけど、コカ・コーラの進出が遅れた北海道では、今でもかなり飲まれているそうで…。
ずっと後のことだけど、台湾で「黒松沙士」という炭酸飲料を飲んだ時に、妙に懐かしい味だな…と感じた原点は、おそらくこれ。沖縄や米国体験のある方なら、ルートビアのような飲み物、といったほうが分かりやすいかもしれませんね。
途中駅で上り急行「外房」と交換。
「外房」は定期急行ですが、5両目、6両目にキハ45(23?)が組み込まれています。この駅、どこだろう、と思って画像を拡大、左側の電柱に見える縦書きの駅名票、文字は読めないんですが、文字数が6,7文字あるところから、おそらく「長者町」でしょうか。
勝浦に到着しました。左側に見えるキハ17が、私が乗ってきた列車。あれれ、昼前というのに、側線に蒸気機関車が2両も停まっていました。佐倉区のC58308はともかく、新小岩のC57164が真昼間、こんなところでなにやってるの?
…というのも、夏場の多客期になると、DC列車の置き換えや、臨時快速の設定で、一気に蒸機列車が増える房総西線と対照的に、房総東線は例の大網-土気の勾配や、大網駅でのスイッチバックの関係で、基本的にDC列車一辺倒。勝浦まで入る蒸機客車列車は、早朝勝浦を発ち、夜にもどってくる両国直通の一往復(新小岩のC57牽引)だけで、昼間C57が勝浦にいるはずがない…。
C58308(佐)のほうは、ヨ2両の間に、ワム(ワ?)を2両だけ挟んだ貨物列車。こちらは朝の4時台に佐倉を出発、成東、大網を経由して房総東線に入り、そのまま房総西線に直通、各駅で貨物扱いを行いつつ、深夜0時近くにようやく新小岩に辿り着く房総一周貨物列車271レ~174レの牽引機のようですが…。
結局C57のほうはなぜこの時勝浦にいたのかは謎のままなんですが…。
ところがもう一両、上り方の側線にC58183(岩)が停まっていました。
キミもねぇ、なんでこんなところに一人でいるの?
跨線橋から。ちょうど上りのDC普通列車が到着。
右側のキハ28系やC58の後ろのキハ26系は、夕方の上り臨時急行に使われる車両でしょう。奥の方に小さく見える検修庫のような建物は「勝浦機関区」(千カウ)。SLやDLの配置はありませんが、20両あまりのDCの配置があり、そのうち6両のキハ30は現在のいすみ鉄道、木原線用に使われていました。(昭和43年の配置表。じっさいは大原支区常駐)。
そんな経緯があったので、いすみ鉄道のキハ52125に「千カウ」の所属標記が描かれているのを発見したときは、思わず唸ってしまったのでありました。
さて、先に「高校のクラブの合宿」と書きましたが、私が所属していたのは新聞部です。勝浦と御宿の中間にある部原という漁港近に、かつては網元さんだったという、藁葺き屋根の大きな民家がありまして、そこには未亡人のおばさんが一人で住んでいたのですが、クラブの先輩に知恵者がおりまして、その民家をひと夏いくらで借り上げ、友人知己に声をかけて一泊いくらで泊まらせて、利益をクラブの活動資金(新聞の印刷代)に回す、なんてことをやっていました。
当然、合宿はその(私設)民宿で泊りがけで行われました。
新聞部の合宿とは、どんなことをするのかというと、昼間は浜辺で読書に勤しんだり(…って、マンガだし)。
夕暮れ時には近所の野良犬相手に動物愛護精神を学び…。
夜ともなれば近所の山の上の祠まで出かけ平常心の訓練(肝試しともいう)、さらには夜更けまでゲーム理論の勉強会…(ポーカーでしょ)。
あはは…でも楽しかったなぁ。
懐念的黒松沙士(笑)。
蒸機もいいですが、こちらも好きなんです!
by 伊 謄 (2012-08-25 17:41)
いろんな懐かしいモノが写っていて涙モノですが、ここではガラナに反応してしまいました。
今でも「ルノワール」で3度に1度はオーダーします。
by Cedar (2012-08-25 18:59)
こんばんは。
久しぶりにコメントさせていただきます。
自分はまだ30代なので、こういった昔の鉄道写真には、結構興味があります。
いろいろと珍しいもの、古き良きものを見る事ができました。
ありがとうございました。
by 京阪快急3000 (2012-08-25 20:46)
伊 謄さん
アルコールが入っていない飲料は苦手、と自分で勝手に決めつけていますが、ルートビアを起源とする(らしい)飲料の世界は、なかなか奥深いですね。
黒松沙士はを最初に飲んだのは、台北トランジットで亜細亜某国に行く途中でした。台湾元を持たず、100円足らずの支払いにCCを使ったことを覚えてます。
Cedarさん
え`ー、ルノワールのメニューにコアップガラナがあるんですか!?
かつては仕事の打ち合わせといえばルノアール。数限りなく利用していたつもりで、まったく気づきませんでした。ホッピーの発売元が、コアップガラナのネット通販をやっている、という全く意外な情報を仕入れたばかりでしたが、まさかルノワールとは…。
京阪快急3000さん
たぶんお生まれになるずっと前の時代の与太話で恐縮です。でも本当は今では絶対に見ることのできない光景を「こんなことがあったんだゼ」って自慢するのは本意ではなく、例えば↑のように、都内に多数展開する「ルノワール(喫茶店です)」にたまたま入ったとき、メニューに「ガラナ」の文字を見つけられて、あの美味不味い味を「そういえば…」と体験されて「爺ィどもに騙されたぁ!」と反応されるほうが、ブログを続けていく醍醐味かなぁ…なんて思っています。
プントさん
あるまーきさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-08-25 21:40)
フジトモさん
パルの大冒険さん
nexus6さん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-08-26 21:11)
窓を開けっ放しのDCの写真から夏の暑さが伝わってきます。上総一ノ宮駅の幅広いホームの佇まいは今も変わりません。国鉄時代に勝浦駅でキハ35が留置されているのを見ましたが、外房エリアの現業拠点だったのですね。快速が113系の時代には夏に一部の列車が安房鴨川まで延長運転されていて海水浴のために乗車したことがありました。
外房にはあまり知られていない漁港がいくつかあり、巡ってみると何か発見があるかもしれません。
by 京葉帝都 (2012-08-27 02:44)
青春の懐かしき「そとうみ」「外房」、そして、何と言っても
淡い思い出っていいなぁ~♬ )^o^(
画像の全て、ワイルドワンズの『想い出の渚』のBGMが似合い
そうで、とくに隠し撮りぽい画像がいいですね。
あっ、i Pad が熱く燃えている様な … (汗)
by KEY坊 (2012-08-27 10:50)
う〜ん、いつもながら貴重なお写真に唸りまくりです。
いすみ鉄道で走っている、大きなマークを付けたキハが、
まさにいきいきと走りまくっている時代ですね。
この情景を眺めていた少年の一人が
房総のローカル私鉄の社長になって、
現代にツートンのキハを走らせている・・・
よくよく考えれば、本当に夢のような話ですよね。
by あおたけ (2012-08-27 17:09)
京葉帝都さん
この「合宿」は何年か続きましたが、最後の頃は183系の特急や113系の快速での行き帰りでした。C57の隣に冷蔵車が見えますが、外房の海の幸もこの頃は冷蔵車で運ばれていたんでしょうね。
KEY坊さん
>ワイルドワンズの『想い出の渚』のBGMが
あはは、まさに海辺でギターをかき鳴らしながら歌っていたような記憶が…。キハ17の車内の美少女といい、美しい女子先輩の「隠し撮り」といい、我ながら色気づいていた頃ですね~(恥)。
あおたけさん
>この情景を眺めていた少年の一人が
>房総のローカル私鉄の社長になって、
所属標記を「千チハ」とせずに「千カウ」としたところが、鳥塚社長のこだわりですねぇ。三セクの経営は楽ではないと思いますし、月並みな言い方ですが、「男のロマン」を感じます。
燕っ子さん
hanamuraさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-08-27 19:12)
とても懐かしい。そうそうこの列車、前にも書いたけど音の割にはあまり加速しない、急行だけど勝浦まで4時間近くかかったのでは?
by TAC (2012-08-28 07:15)
再コメ、お許しくださいませ。
昭和48年頃の夏の房総各線の臨時ダイヤを観ると、定期 (不定期) 急行はそのままで、臨時急行は千葉から先は普通列車同様の表定速度の平行スジで以て描いて、
途中駅から通常ダイヤの普通列車のスジに結びつけて各駅停車 ... (う~む、輸送力優先、許容量一杯、急行料金まいど~♬ 状態だぞ ...)
片や、京成は通常ダイヤに折込済みの不定期特急のスジを使ってましたね ... たしか、千葉線にも接続した不定期特急のスジを入れてたし
確かに、ライバル同士のダイヤは、これまた熱かった
by KEY坊 (2012-08-28 20:15)
TACさん
今のディーゼルカーは電車にも引けをとらない加速度を誇っていますが、昔のはとろとろした加速でしたね。蒸機客車列車よりはマシでしたが…。でもさすがに4時間はかかっていませんよぉ。千葉-勝浦間で急行が1時間半くらいだったでしょうか。でも両国-千葉間は総武線電車に邪魔されつつ、40分くらいかかっていましたから、2時間程度…ってところだったでしょうか。
KEY坊さん
>急行料金まいど~♬ 状態
113系をそのまんま使った急行もありましたねぇ。特急でも内房線は君津から先は千鳥停車、外房は御宿から先はほぼ各停…なんてダイヤだったと記憶してます。京成千葉線は48年頃はもう稲毛、黒砂あたりでは海水浴は出来なくなっていたと思いますが、京成千葉からバス連絡の「九十九里」はけっこう遅くまで走っていましたね。成田空港(東成田)開業以降は、はにわ道経由の蓮沼海岸連絡バスにシフトしましたが。
シュウチャンさん
J-powerさん
niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-08-28 21:00)
今夏の厳しい暑さは何なんでしょうか 雨が少ないのも堪えます。
昭和40年前後の房総夏臨は首都圏から水の綺麗な房総への
キャチフレーズがついていました。小中生5~7年位の毎夏 御宿・鵜原
と兄とともにキャンプに行くのが恒例になっていました。込んだ車内
開け放たれた窓 低い座席の雰囲気思い出が蘇ります。
勝浦駅のC57確かに昼間は居ない釜ですね 何かの関係でちょうど
出くわしたのでしょうか?房総一周のC58貨物は蘇我駅で何回か
房総西線上総湊辺りで撮影はしたことがあります。
鉄道誌には出てこないmaipenraiさんのような記録大事ですね。
貴重な写真ありがとう ございました。
by みやちゅう (2012-09-02 11:53)
みやちゅうさん
昨日今日と絶好のお湿りでしたが降ったら降ったで湿気が気になる…快適に過ごせる季節にはまだしばらくかかりそうです。
勝浦駅の昼間にC57がいた、なんていうのはホントに今となっては訳もわからない上に、今の鉄道ファンには何が何やら…の話ですね。まぁ、そんな積年の(どうでもいい)謎も、こうしてブログで書いているうちに、わかってくることも多いわけで、それが楽しみだったりします。
房総一周のC58貨物をご存知で、なんだかとっても嬉しくなりました。
by maipenrai (2012-09-02 22:11)