セーシュンの新小岩機関区~ハチロク編 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 夕刻にはまだ少し早い時間、茶色い総武線の電車が、荒川放水路と中川に架かる長い鉄橋を渡って新小岩駅に到着すると、鼠色に変色したズックの肩掛けカバンをたすきにかけた一人の中坊が電車を降りて、駅の北口に向かいます。本来の下車駅はまだ先の市川なんだけど、学校の帰り道、途中下車してどこかに立ち寄ろうという魂胆?
 平和橋通りを渡ると、国鉄の敷地は北側に大きく膨れて、その側道に沿って歩いて行くと大きな給水塔が見えてきます。その下の線路を、奥にあった国鉄新小岩工場の方から、時代がかった蒸気機関車がバックでやって来ました。ナンバーは38638。
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 駅の方に向かった蒸気機関車を見送ると、中坊は側溝に架けられた階段を登り、鉄道の敷地に入り込むと、勝手知ったる調子で線路を渡り、給水塔の下を回り込み、大きくに広がっている線路群を右手に見てそのさきにある事務所棟にスタスタと入り込んでいく。
 「こんにちは」すっかり顔なじみになった助役さんに声をかけると、「また来たのか…」とでもいいたそうに、助役さんは一冊のノートを取り出し、それに名前と住所を書くと手続き完了。
 ズックのカバンに隠し持っていたカメラを取り出し、カバンを預かってもらい「気をつけてな」という助役さんの声を背にして事務所棟を出ると、目の前には何両もの蒸気機関車がうっすらと煙をあげながらたむろしていました。

 中学から高校にかけて…昭和38年から43年頃まで…何度となく通った国鉄・新小岩機関区です。


 昭和39年(1964年)の配置表を見ると、新小岩機関区に配置されていた機関車は8620が6両、C57が5両、C58が9両にD51が10両。総計30両はなかなかの規模ですが、形式的には地味だったなぁ…。
 新小岩のクラは検修先を本並べた矩形庫。私が行く時間帯にはいつも、庫内手の方たちが機関車磨きに精を出していました。
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 この日は運良く(!?)矩形庫前の検修線に大正生まれの古豪、8620が3台並んでくれました。
 新小岩のハチロクは、デフレクタこそついているけど、化粧煙突(残念ながら年中クルクルパーは装着…)、スポーク動輪の原型を保っていました。
03_88622_4006.jpg


 一番右側の88622は1966年まで新小岩に在籍。車歴は若いんだけど、88635と並び前面に形式入りナンバープレートを装着。その後廃車になったかとおもいきや、九州にわたり若松機関区で73年頃まで活躍していたんですね~。え!? いまは壱岐に渡って保存されているんですか?
 真ん中の68626もハチロクが消えた66年まで新小岩に残ったカマ。その後は廃車になったようです。
 左側の58631は配置表では新小岩の所属になったことがない、ずっと佐倉機関区所属の機関車。http://c59176.blog.so-net.ne.jp/2011-08-09で昭和41年、佐倉で廃車寸前の姿をご紹介していますが、新小岩で働いている姿もずいぶん見ているなぁ…。

 転車台に乗る58683。この機関車も65/66年の2年間だけ、新小岩に配属、その前後は佐倉の所属です。佐倉では69年のハチロク全廃まで活躍、その後は佐倉駅近くの公園で、屋根(金網も)つきの良好な状態で保存されているとか。
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 貨物中心の地味な運用を受け持つ新小岩機関区には、給炭塔なんて洒落たものはなく、機関車への燃料補給はもっぱらショベルカーが担当していました。
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 何度も通ううちに我が家のような気分になっていたのか、中坊は平気で機関車の運転台やテンダによじ登っては、こんな写真を撮っていました。メカニカルなハチロクの運転台。
06_8620のキャブ.jpg


 48623。64年に廃車になっています。後ろにEF80の姿が見えますが、新小岩-金町を結ぶ新金貨物線が電化されて、EF80が新小岩にやってくるようになったのは64年(昭和39年)の9月…ということは、おそらく廃車寸前の姿なんでしょうね。
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 68626は39年に廃車になったハチロクの代換えに佐倉から異動してきたカマ。撮影日は昭和40年の6月。
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 68649も新小岩の在籍が長かった機関車。撮影は65年(昭和40年)7月。
09_68649_4007.jpg


 操車場の入換に精を出す58631。入換仕業についていても、本線運用も持つのが新小岩のハチロク。トラ塗りの警戒色なんて無粋な塗装はしていません。
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 やはり1966年(昭和41年)の新小岩のハチロク全滅まで残った一両、88635。やはり前面だけですが形式入りナンバープレートを付けていました。写真が見つからないので以前ご紹介した写真を再掲させていただきました。
11_88635入れ換.jpg


 これで当時の新小岩のハチロク、オールメンバー? 

 ここは機関区の構内なのか、操車場の中なのか…、入換の仕業についていた38638が少休止中。この機関車も64年(昭和39年)限りで廃車になってしまいました。
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 同じく操車場で小休止する58631。右側のダブルルーフの木製(?)客車が気になりますが、おそらく新小岩操車場に常駐していた救援車のナエ17(だったと思う…)。間もなく鋼体化客車改造のスエ30に置き換えられて姿を消してしまいましたね。
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 新小岩操車場を58683が両国までの区間貨物を牽引して出発していきます。
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 当時の新小岩機関区のハチロクの主な運用は、新小岩操車場の入換と、新小岩-両国間の区間貨物。平井、亀戸、錦糸町の途中各駅は、すべて当時貨物の取扱駅で、各駅に停まって貨車の解結を行って行きます。両国には転車台もあって、短い区間ですがハチロクは上り下りとも正向きでの牽引でした、…。

 が、こんな運用もあって…。
15_68649.jpg

 逆向きの68649を先頭に、次位には正向きのC57。けっこうな長さの貨車を牽いて、新小岩駅を通過、中川&荒川放水路の鉄橋にかかろうとするところです。

 これは錦糸町止まりの貨物列車。C57は錦糸町までつきあい、客車を引き出して両国まで回送し、夕方の館山行きの列車で下っていく運用です。

 58683の牽く貨物列車が両国から夕暮れの新小岩操車場に到着しました。
16_58683_39年.jpg

 もうお気づきかもしれませんが、この中坊は機関区の見学許可は取ってるけど、隣接する操車場の中まで平気で歩きまわっていますね…。まったく今見ると、ヒヤヒヤものではあります。

  昭和39年いっぱいで廃車になった2両のハチロクは、新小岩操車場の東のはずれ、新中川放水路の土手の近くまで伸びていた引き上げ線の一番奥にしばらく放置されていました。
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 まっさきに廃車になった2両のハチロク、38638と48623の代換に、佐倉機関区から2両のが補充され、新小岩のハチロクは6両体制を保ちますが、それも昭和41年(1966年)までのこと。千葉気動車区に配置されていたDD13とは、それまでうまく棲み分けていた新小岩のハチロクも、新造のDD13300番代が投入され、さらに各駅で扱っていた貨物が、小名木川、西船橋に集約されたことで、操車場の入換と、小運転貨物双方の仕事を失い、新小岩機関区から消えて行きました。
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 昭和生まれのC57/C58/D51はまだしばらく新小岩の機関区に残り、昭和45年(1970年)春まで活躍を続けますが、それらの姿はまた後日に…。
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Cedar

昔は機関区にアポなしで行っても、住所と名前を書けば入構させてくれましたね。
北九州筑豊の某機関区で、風呂場に行くため構内を全裸で歩く機関士さんを見て、びっくりしたことがありました。
SLにそんなに興味なかったですが、機関区めぐりは楽しかったですね。
by Cedar (2011-09-30 00:20) 

gardenwalker

こんばんは
随分とおおらかな時代だったんですね~
デフ板が象の耳のように大きくて
愛嬌がありますね!
by gardenwalker (2011-09-30 22:22) 

maipenrai

Cedar さん
>昔は機関区にアポなしで行っても、住所と名前を書けば入構させてくれましたね。
 そう、まさに現場はフランクだったし、ファン自体も少なかったし…。でもいい年した爺がブログで「昔はよかった」というだけで済むのか、ってことを考えたりします。「昔はよかった」ことは確かなんだけど、そう言いっ放しじゃマズいんじゃないか? みたいな…。

hanamuraさん
よしくんさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-09-30 22:23) 

maipenrai

gardenwalkerさん
 そーなんです。おおらかすぎて、体験している本人ですら、この世のこととは思えません(笑)。
 いわれてみれば、ハチロクのデフ、ずいぶんデカいですね。物心ついてからこのタイプばかり見ていたので、違和感は感じませんが、デフなしのハチロクの古い写真を見ると、デフ無しのほうが急客機らしいスピ^ード感を感じるかもしれませんね。
by maipenrai (2011-09-30 22:31) 

む〜さん

良いですね~、8620。ナンバー形式の機関車、好きな形式は多いけれど、上位にランクされる8620をたっぷり見せてくださって有難う御座いました。
昭和の中頃、軽快な8620は、各所で入れ替えに励む姿を見せてくれました。成田線で旅客列車を引いているのを見たことがありますが、気持ち良さそうでした。
D51、C57、C62ほどの人気はないでしょうが、私は好きですね。
by む〜さん (2011-09-30 23:37) 

伊 謄

 こんにちは。
 わたしが新小岩へ行ったのは1968年でしたので、新小岩で86に出会うことはありませんでした。
by 伊 謄 (2011-09-30 23:56) 

シュウチャン

客車でも貨物でもどちらでもお似合いの8620はいいですね。気笛もボゥ-でなくてピィ-(表現が上手くないな)で少し寂しさを感じていましたが花輪線の急勾配を3重連で力強く走っていましたね。
by シュウチャン (2011-10-01 11:24) 

maipenrai

む〜さん
 明治生まれの古典的な機関車でもなく、昭和期の近代的な機関車でもない…いかにも質実剛健な大正生まれという感じの機関車でしたね。成田線の旅客列車、見たかったなぁ…客車を牽いているのを見たのは、花輪線と五能線の混合列車くらいしかありません。

伊 謄さん
 新小岩のハチロクが消えた66年は、八王子や横浜、茅ヶ崎に残っていたハチロクも消えてしまい、首都圏では佐倉機関区と土浦や水戸の入換用しか残らなかったんですね。それまではどちらかというとありふれた機関車のひとつでしたが、なくなるときには一気呵成でした。

シュウチャンさん
 そうそう、あの汽笛も大切なポイントでしたね。昭和生まれの蒸機の五室音(というのかしら)の野太い汽笛に較べるとどこか頼りなさ気で…。龍ヶ森の勾配を登り切った三重連の「ポーーッ、ポッ、ポッ」の三連奏…懐かしいなぁ…。
 ところでポーーッ、ポッ、ポッじゃ鼠先輩ですね。汽笛の音を表記するのは難しいです(笑)。

nexus6さん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-10-01 14:19) 

maipenrai

素人写真さん
あおたけさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-10-02 01:16) 

twingo583

初めまして!当方へのご訪問ありがとうございました。
いいですね、昔の新小岩機関区。まさに良き昭和の時代
を感じる写真の数々ですね。
おおらかな機関区というと、会津若松がこんな感じに
近いですね。ノートに名前と住所を書けば見学させて
くれてしまう。残念ながらこの度の震災で、扇型庫に
損傷を受けたらしく、立ち入り禁止になってしまい
ました。
by twingo583 (2011-10-02 22:59) 

maipenrai

twingo583さん
 はじめまして。一日で羽越線から信越線、そして上越線水上まで動き回られる行動力に脱帽です。
 会津若松は扇形庫が残っていて貴重ですね。転車台に乗るC57、見てみたいです。見学が再び可能になればいいですね。

フジトモさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-10-03 06:18) 

ひもブレーキ

はじめまして。年齢が2年後の1953年生れの私は佐倉のハチロクに見入られ通うことになりました。あと都電も追いかけました。どちらも、maipenraiさんより少し遅れた時を巡っていたようです。

by ひもブレーキ (2011-11-07 17:44) 

maipenrai

ひもブレーキさん
 はじめまして。たくさんのniceありがとうございます。
 「国鉄時代」は私も愛読させてもらってます。王子界隈で撮影したことはほとんどないんですが、27番の都電に乗って、EB10が走っていた須賀貨物線を見に行ったことがあります。生憎EB10はクラの中でしたが(笑)。
by maipenrai (2011-11-07 20:01) 

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池田 昌弘

てらさき様
はじめまして、突然のメール失礼します。私、佐倉市SL保存会で58683の保存活動に携わっております、池田 昌弘(61)と申します。今年は58683の生誕100年を記念して地元商工会を中心に「100年記念イベント」を開催する事になりました。
つきましては貴兄の新小岩での58683の写真を是非会場で展示したいのですが、よろしいでしょうか?

突然の依頼で恐縮ですが、ご検討のほど宜しくお願いいたします。

佐倉市SL保存会員
-00周年記念実行委員
成田SL保存会 副会長

池田 昌弘
by 池田 昌弘 (2022-06-23 07:42) 

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