房総の夏輸送~その1~ [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 ギラギラと照りつける真夏の日差しを浴びてC58218(岩)の牽引する両国始発の客車列車が、総武線・江戸川の鉄橋を渡っていきます。開け放たれた客車の窓からは川面を渡る風が車内を吹き抜けているのでしょうか?
01_C58218かもめ.jpg


 鉄橋を渡り終え、市川駅に向かって勾配を下っていく列車。その後尾には「かもめ」のトレインマークが…。えっ、山陽特急? な訳はないですね。夏の海水浴シーズンに、房総西線(内房線)の館山、千倉まで運転されていた臨時列車です。新小岩や佐倉の蒸気機関車(C57/C58)が牽引、客車はオハ60や61をかきあつめた編成。木の背ずりのシートは、行楽列車としては決して快適なものではなかったはずですが、両国から内房の海水浴場へ直通で、特別料金を必要としない列車として人気が高かったんでしょう。毎夏のシーズンになると、数往復が設定されていました。
02_C58218かもめ.jpg


 夏は海水浴、がレジャーの定番だった時代です。千葉の海は東京から近いということで、人気が高く、今とはくらべものにならないくらいの人々が押し寄せ、賑わいを見せていました。道路事情も悪く、マイカーもまだそれほど普及していなかったんですね。

 夏になると千葉鉄道管理局では、特別ダイヤを編成。定期列車に増結するのを手始めに、臨時の準急(急行」、快速を多数増発。当然手持ちの車両だけではまかないきれず、全国から車両をかきあつめ、押し寄せる海水浴客をさばいていました。

 電化以前の房総夏期輸送の基本的なパターンは
◯DC優等列車の増結と大幅増発。このことで急行用DCが不足するため…、
◯秋のダイヤ改正に向けた各地の新造DCを早期落成させ、千葉地区に先行投入。
◯それでも足りないので、一般用DCを優等列車に組み入れる。
◯それにより不足する一般用DC列車は一部SL牽引客車列車に置き換え。
◯さらに輸送力列車として、SL牽引の客車列車を増発。

 こんな感じでしょうか。例外的には、非電化区間の房総西線にDL(DD13)牽引で電車列車を乗り入れさせる、なんていうのもありましたね。

 結果として、夏の千葉には雑多な編成の急行(準急)列車と、SL牽引の客車列車が数多く見られたわけです。そんな60年代の「房総夏臨」列車を何回かに分けてご紹介したいと思います。まず第一回は昭和42年(1967年)夏、地元市川近辺で見たSL列車とDC列車です。
 C58306(岩)牽引の上り臨時列車両国行きが江戸川の鉄橋にかかろうとしています。総武線国電区間に乗り入れる蒸機客車列車は、ふだんは朝の上り3本と、夕方の下り3本のみ。午前中の下りや、午後の上りは夏臨運転期間しか見られないものでした。
03_C58306.jpg


 こちらの鉄橋は新小岩-小岩間の新中川にかかる鉄橋。やはり上りの臨時列車両国行き。撮影年は他の写真より2~3年前になるのかな。この列車、写真は取り損なったんですが、「学童」と書いたテールマークをつけていました。当時の内房には、都内や千葉県下の小学生が大勢「臨海学校」で訪れていたんですね。私も小学校4年から6年まで、館山の一つ手前、那古船形の臨海学校に行きました。千葉から「学童」マークの列車に乗ったんですが、君津から先に点在するトンネル区間では、みんな大騒ぎして窓を閉めたり、開けたり…、懐かしいなぁ…。6年の時は運良く気動車で、たぶんキハ26だったんでしょう、窓枠の下についていた「栓抜き」に妙な優越感を覚えたものです。
04_C58245.jpg


 夏らしくない天気の悪い日ですが…新小岩操車場の脇を走り抜けるC5720の牽く上り「かもめ」。これだけ客車列車が増えると、当然蒸気機関車も不足をきたし、このC5720は平機関区から借り入れた機関車です。この2週間ほど後、お盆輸送たけなわの常磐線で、この機関車に出会したときにはちょっとびっくり。
05_C5720かもめ.jpg


 この列車にも「かもめ」のテールマークがついていました。ウィキペディアを見ると、「学童臨」以外の一般客の乗れる客車列車は昭和39年~42年が「かもめ」、その前後は「さざなみ」と名付けられていたようです。
06_C5720かもめ後追.jpg


 江戸川の鉄橋に戻りまして…キハ26を先頭にした臨時急行「そとうみ」です。これは房総東線に向かう列車で、房総西線行きは「うちうみ」。ただし「そとうみ」「うちうみ」を名乗ったのは昭和42年ひと夏きりで、毎年のように愛称が変わるのも、千葉の夏臨急行(準急)の特色でした。「浜風」「汐風」「夕凪」「清澄」…あとなにがあったっけ?
 記憶に新しい「青い海」「白い砂」は電車化以降のことですね。
07キハ26そとうみ.jpg


 「そとうみ」の後追いです。前後の先頭をキハ26、中間の5両をまだ新車の匂いがしていたキハ45に統一。千葉のDCというと、凸凹編成の印象がありますが、急行ともなると編成美(!?)的にこだわりがあったんでしょうか? もっともそのせいか、次回あたりにお目にかけますが、トンデモ編成美の優等列車もあったりするわけで…。
08キハ26そとうみ02.jpg


 普段は両国・新宿-千葉までを併結している定期の房総東西線急行も、夏の間は増結する関係で単独運転となります。「内房」号。
09キハ28内房.jpg


 こちらは「外房」号。相似形を狙ってますね、私…。
10キハ28外房.jpg


 夏場でもそれほど輸送量の増えない総武線系統「犬吠」、成田線系統「水郷」は併結運転のままです。キハ28で揃えた「水郷」(前3両)にくらべ、後ろのほうがごちゃごちゃしています。
11キハ28水郷犬吠.jpg


 狭窓が並んだ車両はキロ60。大出力機関を搭載した試作車として知られているキハ60系ですが、このころには普通のDMH17に換装されていたんですね。キロ601は翌昭和43年には格下げされてキハ60101に改番されていますので、優等車として使われた最後の夏の姿です。その後ろの2両は、両運転台なのでキハ23ですね。千葉にはキハ23は配置されることがなかったので、おそらくどこかの地方に配属される早期落成した新車を、一時的に千鉄局が強奪(笑)して使っていたんだと思います。
追記:キロ60の前にちょこっと写ってる車両、屋根に水タンクがあるのでキハ28ではなく58ですね。これもどっかの新製車を強奪したクチ?
12犬吠編成キロ60キハ23.jpg


 江戸川鉄橋を渡る下り「犬吠・水郷」を上流側から。橋脚の辺りでなにやら工事が始まっています。複々線化に備えた鉄橋の掛替え工事が、このころから始まっていたんでしょうか。
13犬吠横位置.jpg


 夏期輸送とは関係ないけど…江戸川鉄橋を渡る101系電車。船橋行きの行き先幕が懐かしいですね。昭和42年ともなると、総武線国電区間の旧型電車も、だいぶ勢力を縮小していました。
14_101系船橋行.jpg


 翌、昭和43年には春に成田電化、夏前に木更津電化が完成し、房総の「完全非電化時代」は終りを告げます。夏臨も大きく様変わりしていくわけですが…、それにしてもグリーン車含めただの一両たりとも冷房車など存在しなかった44年前の夏、思えば当時は「熱中症」なんて言葉はなかったなぁ…とめっきり暑さへの耐性がなくなってしまった我が身を振り返り溜息をつく親父なのでした。
nice!(14)  コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 14

コメント 8

Cedar

nice!nice!またナイスですね~。
私も小学校の臨海学校で岩井、家族で保田や興津などの千葉の海に行ったものです。臨海学校の時は両国からSL牽引客レ、家族で行ったときには気動車でした。
いた~涙ちょちょ切れる、とはこういう画像です~続編も楽しみにしています。ありがとうございました。
by Cedar (2011-07-14 22:10) 

manamana

総動員という言葉がぴったりですね。
さすがにキハ35は急行には入らないですね。
by manamana (2011-07-15 06:15) 

maipenrai

Cedarさん
 Cedarさんは臨海学校にいらっしゃるとき「貸切の都電で両国駅前まで乗り付けた」んでしたね。なんとまぁ、うらやましい旅。船橋ヘルスセンターや谷津遊園、稲毛や黒砂の海岸はお手軽な日帰りコース、内房や外房へはお泊りの海水浴…昔は夏になると、ホントによく千葉方面へでかけました(千葉県みんなんですが…)。

manamanaさん
 それが…、「キハ35を急行でも使った」説、昔から流れているんですね。写真を見たことがないので、真偽の程はわからないんですが…電化後にトイレのない72系や101系が館山方面への運用に使われて、連結部の幌の中はエライことに…という噂は本当のようです。

よしくんさん
あおたけさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-07-15 10:40) 

maipenrai

銀狼さん
フジトモさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-07-15 23:57) 

京葉帝都

SL牽引旧客車と非冷房の気動車の写真、真夏だと見ているだけで汗が出てきます。当時の夏の千葉エリアがこんなに賑わっていたとなると、車両の留置場所も大変だったかと思います。旧千葉駅東側の留置線も活用されていたのかもしれません。
当時の子どもたちににしてみれば、海水浴のみらなず往復の列車の旅も思い出となって焼き付いているかと思います。
私は初めての海水浴は帰省先の富山県の島尾海岸で、高岡から氷見線のC11牽引の旧客列車(往復)に乗車しました。雨晴、島尾、氷見と海水浴のメッカだったので相当混んでいました。
泊まりの海水浴となると、南紀方面が思い出に残っています。
天王寺から白浜までDC急行は窓全開で疾走していました。
混んでいて立ちっぱなしなのはキツかったです。
by 京葉帝都 (2011-07-20 13:03) 

maipenrai

京葉帝都さん
 当時の千葉の夏輸送の間は、時刻表が別刷りになるほど多数の臨時列車が走っていました。しかもどの列車も混んでいて…。それが千葉だけでなく、全国的にそうだったんでしょうね。
 いつしか自分も列車でなく、出かけるときはクルマになり、「夏は海水浴」という感覚も薄れてきて…、いまの時刻表を見ると、寂しい限りです。

ねじまき鳥さん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-07-21 00:17) 

やまびこ3

こんにちは。懐かしい映像を拝見しました。
このころ新小岩近くに住んでおりましたが、岩井に家族で海水浴に行った帰り、急行で帰ろうという家族にSLにのりたいとせがみました。
「今どきSLなんてない」と父は行っていたのですが、1回だけSL客車列車に乗ることができました。トンネルに入ると一斉に窓を閉めたのも懐かしい思い出です。
by やまびこ3 (2011-07-25 08:17) 

白龍

またまたお邪魔します。
キハ26・28のころの急行「急行:犬吠・水郷」も何度も乗りました。
当時は両国発で、一日数本が船橋駅停車でそれを利用していました。
大体10両編成で、佐倉駅で犬吠5両(総武本線八日市場回り)と水郷(成田線佐原回り)に切り離して運行していましたね。鹿島線ができると佐原駅でこの水郷が鹿島行き3両と銚子行き2両にまたまた切り離して・・・
ほとんどの銚子行きは佐原から各駅停車になりました。とういより日中ですとお客さんもほとんどいませんでした。
一部の急行「犬吠」は銚子駅で切り離して1両?のみ銚子電鉄に乗り入れしていました。(夏季シーズンのみ)
確か1972年10月1日に鉄道記念で、C571号機が往路総武本線・復路成田線で運行しました。この日は私もおっかけました。
往路は猿田駅で近辺で撮影し、後続の列車で銚子駅へ向かい銚子機関区で撮影会があり、今度はタクシーで銚子駅から二つ目の成田線椎柴駅(母親の実家がありました)まで行き、ここでも撮影しました。
ネガが行方不明で捜していますが・・・
もし見つかったらお送りします!
by 白龍 (2011-08-25 21:12) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。